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中島三郎助親子の地碑

函館駅の北東2kmの場所に函館税務署がある。この税務署の前の道路の中央分離帯に設けられた石碑が中島三郎助親子の地碑だ。この石碑は1869年の箱館戦争において戦死した中島父子を慰霊して建てられた。浦賀出身の中島三郎助は1853年にペリーが浦賀沖に来航した時、日本人として始めてペリー艦隊の旗艦乗船し米国使者の応対を勤めた。彼は長崎海軍伝習所で第一期生として射撃と砲台築造などを学び3年後には軍艦操練所教授方となった。戊辰戦争では幕府軍艦開陽丸の砲術指揮者として榎本武揚らと共に軍艦8隻を率いて箱館に行き千代ヶ岱陣屋の守備を指揮した。新政府軍が箱館に迫り千代ヶ岱守備隊が全滅する恐れがあった事から総裁の榎本武揚は五稜郭への撤退を進言するも、ここを死に場所と考えていた中島親子からきっぱりと拒絶された。やがて新政府軍が箱館を制圧すると降伏勧告の使者を送り込んだがこれも拒否。1869年5月16日の箱館戦争最後の戦いにおいて新政府軍は千代ヶ岱陣屋に迫り中島親子は得意の砲撃で新政府軍に多大な損害を与えるも、やがて間近に迫ってきた新政府軍兵士に抜刀して血闘に及び敵弾に倒れた。これを見た長男恒太郎と次男英次郎も敵中に切り込み敵と刺し違えて倒れた。勝ち目のない戦いに自ら出向き死に場所を求めた中島親子は長年仕えた徳川家の報恩のために戦うという義士に例えられ、賊軍でありながら1931年には箱館戦争で散った中島親子を記念して千代ヶ岡陣屋付近の土地が中島町と名付けられた。
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中島三郎助親子の地碑
中島三郎助親子の地碑
中島三郎助親子の地碑
石碑がある
中島三郎助親子の地碑 データ
展望のよさ★★☆☆☆
資料性の高さ
観光客の多さ★☆☆☆☆
お勧め度★★☆☆☆
営業期間通年
費用無料
施設石碑
電話番号
郵便番号
住所函館市中島町
36−12
北緯41.7873
41°47’14”28
東経140.7431
140°44’35”07
マップコード86134168*55
MGコード
マップル地図3G−4
無断転載厳禁

土方歳三最期の地碑  函館中心  赤松街道

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