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旧日本郵船株式会社小樽支店
小樽の町の北側、小樽運河の北の端に建つ西洋風の建物、これが旧日本郵船株式会社小樽支店だ。当時北海道開拓の拠点として小樽は金融機関を始めとして船舶・海運・倉庫業界が競って支店を設けた。日本郵船も1906年に前面に船入澗、後背に鉄道という交通の便のよいこの地にルネッサンス様式の石造2階建の営業所を建設した。その建物は外壁は厚さ75cmもある小樽天狗山産軟石、大理石敷き横玄関、繊細な木彫の大階段手すりなど、当時としては贅沢の限りを尽くした作りだ。日露戦争に勝利した事によるポーツマス条約に基づく日露の樺太国境画定会議が、当時完成したばかりのここ旧日本郵船株式会社小樽支店2階の会議室で開かれ、北緯50度以南の樺太が日本領となることがここで決められた。1955年にはこの施設を小樽市が日本郵船から譲り受け、翌年から小樽市博物館として再利用されたが老朽化が進んだため、1987年に修復され今に至る。内部には1階に大きな営業室や分厚い壁の金庫室、2階には大きなテーブルのある会議室や豪華な作りの貴賓室、国境画定会議資料室などがあり、海運資料コーナーでは小樽の発展と日本郵船に関する資料が展示されている。夜間はライトアップされており運河公園から見ると独特の姿を浮かび上がらせている。
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旧日本郵船株式会社小樽支店の外観
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ライトアップされた旧日本郵船株式会社小樽支店
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旧日本郵船株式会社小樽支店の内部
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ここで樺太国境画定会議が行われた
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