いつも通り4時20分に起きる。フレトイ展望台を見るとちょうど日の出を迎えたばかりのようで、展望台の白い四角錐の部分だけが太陽の光を浴びていたので、すぐに展望台に行って写真を撮る。少し雲が出ていたが、きれいな写真が撮れた。展望台から戻り朝食を食べようとするが、よく考えたら昨日スーパーに行った時、夕食の事ばかり考えていたので、今日の朝食の事をまったく考えていなかった。ラーメンを自炊してもいいのだが、なぜかこのキャンプ場では自炊する気にはなれず、携行食のクッキーだけで朝食を済ませてしまう。クッキーは10日ほど前に購入し、封を開けたままずっとフロントバッグに入れていたので、完全に湿っていた。
5時30分に出発しようとしたところ、昨日の東北学院大学のチャリダーの1人がトイレに起きてきたついでに見送りに来てくれた。彼らは今日、最後の打ち上げをして、明日以降は各自自由行動で旅するらしい。またどこかで出逢うかもしれない。キャンプ場を出発する時、チリのチャリダーにも挨拶しに行った。すると彼は「Good Luck!」と言って親指を立てて私の幸運を祈ってくれている。私も「Good Luck!」と言って彼と同様にするが、何って国際的なんだと思わずにはいられなかった。 キャンプ場を出発し自転車を走らせると、すぐにスピードメーターの調子が悪い事に気付いた。どうもセンサーの取り付けネジが緩んでいるようだ。どうにか即席で修理するが、その後も何度か調子が悪くなり、その度に自転車を止める事になる。斜里までの国道244号線は海こそ見えないがフラットな直線で走りやすい道だ。天気は曇りだったが進行方向の東の空は晴れており、知床連山が美しく見える。1時間で20kmちょっと走って斜里の町に到着。国道沿いのコンビニに飛び込んで弁当を買い、店の前で食べる。そろそろデジカメの電池もなくなりかけていたのでコンビニでリチウム電池を探すが、こんな北海道の僻地にそんな電池は売っているはずはない。本当にバッテリーが残り少なくなっていたので、仕方なくパナソニックのオキシライド乾電池を購入する。私のデジカメはアルカリ電池でも使えるが、本当に非常用で十数枚しか撮れない。フラッシュを使おうものなら3〜4枚しか撮れないのだ。それに比べるとパナソニックのオキシライド乾電池はアルカリ電池を越えたという事だったので、アルカリ電池の2倍近くの値段がしたが、試しに買ってみる事にした。
国道244号線の斜里から先の直線部分は緩やかな登りで、直線区間が終り山道に入っても傾斜はそれほど急ではなく、しかも時間が早いので太陽が低くて日陰が多く、気温も低いので走りやすい。途中の道端に大きなコンクリート製の崩れかかったアーチ橋がありびっくりする。これは旧国鉄の根北線の廃線跡で、第一幾品川橋梁と言うらしい。この橋は旧国鉄根北線の為に昭和14年に着工完成した10連アーチ橋で、全長147m、高さ20mあり、当時のコンクリート建築技術を伝える建造物として、また戦時下の過酷な労働を伝える歴史遺産として貴重なものらしい。根北線は昭和32年に斜里〜越川間が開通したが、第一幾品川橋梁までは線路が伸びる事はなく、その根北線も昭和45年に廃線となり、第一幾品川橋梁は建築以来、一度も使われる事なく廃線となったそうだ。こんな橋を間近で見ていると何となく物悲しさと言うか、時代の移り変わりを感じてしまう。
楽な登りを続けていたが、根北峠の頂上まであと4〜5kmに迫った頃から傾斜が急になり、さらに道のまわりに木が少なくなって日陰がなくなり暑さとの戦いになる。頂上に着いたら久しぶりに思いっきり水浴びするぞと心に決めて、必死になって急坂を登り、どうにか9時前に標高490mの根北峠の頂上にたどり着く事ができた。この根北峠を登るのにずいぶん体力を消耗してしまったので、頂上で頭から水をかぶりながらゆっくりと休憩する。しかし暑いのは登っていた時だけで、休憩するとすぐに涼しくなり、逆に寒くなって水浴びした事を後悔してしまう。頂上ではライダーが何人か通り過ぎて行ったので、ここまで登ったんだと自慢するかのように手を上げて挨拶するとライダーもそれに応えてくれるからありがたい。
しかしそれも金山温泉を過ぎ山道の部分を抜けると緩やかな下りの直線になり、追い風という事もあって久しぶりにフロントギアはアウターの56Tのギアを有効に利用して35km/hの巡航速度で走り続ける。やがて森を抜け視界が広がると、そこには大平原が待っていた。見渡す限りの大平原と、どこまでも続く直線道路。これぞ北海道といった感じだ。国道244号線を東に走っていると、開陽台の標識が見えて来た。そうか、ここから20kmも南に走れば2日前に訪れた開陽台なんだ。何だか道東を西へ東へと行ったり来たりしているような気がする。だが今日は開陽台に行っている時間はないので、そのまま国道244号線を東に走り続ける。
古多糖を過ぎ、国道335号線まで出た私はびっくりした。海の色が真っ青なのだ。緑の木々の間から見える真っ青な海、そしてその奥に見える国後島。昨年ここを走った時は雨が降っていた事もあって青いとは思わなかったが、今日は天気も晴れているし、青い空と青い海に国後島が鮮やかに輝いている。素晴らしい景色に、自転車を止めてしばらく見とれてしまうほどだった。すると前方からソロのチャリダーがやってきた。どこまで行くのかを尋ねると根室までと言う。既に10時を過ぎており、この時間から根室まで行けるのかと思ったが、昨年、私もここから20kmほど先の尾岱沼青少年旅行村キャンプ場を10時過ぎに出発し、15時前には根室キャンプ場に到着しているので、それほど無茶なスケジュールではない。おそらく彼は16時頃には根室キャンプ場に到着する事だろう。
ただ1つ気になったのは、マイカーで来ている観光客のマナーだ。というのは景色を見ながら制限速度に満たないようなスピードでゆっくり走るドライバーが、後ろの車の迷惑も省みずに何十台も車を数珠繋ぎに引き連れながらゆっくりと走っている光景を何度も見かけた。景色を見ながらのんびり走るのはいいが、制限速度以下で走る場合は、後ろに車がついたら自分が止まってでも先に行かせるのがマナーというものだ。景色は良いが見通しの良い道を30〜40km/hで走らなければならない後続の数十台の車が気の毒に思えてならなかった。 国道335号線を北に走ると、やがて峰浜パーキングに到着した。このパーキングは知床連山景観地となっており、知床連山が鮮やかに見える。昨年もここから写真を撮ったが、雨降りだった昨年とは景色が大きく異なっており、今年はとても美しく見えた。これほどまでに違うのだったら、わざわざ知床にまで足を延ばした甲斐があったというものだ。これだったら明後日に行くサロマ湖も昨年は雨続きで景色は良くなかったが、今年は期待できるかもしれない。
コンビニを出発してしばらく走ると、やがて羅臼の町に入った。羅臼の町から見る羅臼岳はとても美しく、今日、知床峠に登っておいた方がよかったかなと、ふとそんな思いが脳裏をよぎったが、ここ10日ほどずっと晴ればかりなので、明日も晴れるだろうと明日に期待する。それにしても羅臼岳を見ると羅臼に来たなと実感してしまう。今年こそは昨年お世話になったおじさんにお礼ができると思うと、嬉しくて仕方がなかった。羅臼の町から国設羅臼温泉野営場までは、昨年も登った事があり、その時はそれほど苦しんだ覚えがなかったが、今年は急な傾斜と強烈な逆風、そして暑さの為にとても苦しむ事となった。よく考えたら昨年、羅臼の町からキャンプ場まで登った時には荷物をテントに置いて空荷の状態で登ったので苦しまなかったが、今年はフル装備の状態だからだという事がわかった。ギアを一番軽くして標高100mほど登り、13時にようやく国設羅臼温泉野営場に到着した。
私が昨年お世話になったおじさんが、その石川から来たおじさんかどうかわからなかったが、昨年のおじさんはバイクで日本海側をゆっくり北上して来たと言っていたし、他に似たような人もいなかったので、そのおじさんが帰って来るまで下で待つ事にした。この長期滞在者のおじさんと話している時、左手の甲に何か虫が止まったが、おじさんと話している最中だったので、よく見ないまま右手で払い落とそうとしたところ、左手の甲を刺されてしまった。何に刺されたのかよく見ていなかったが、おそらくアブかハチだったと思われ、手の甲が腫れてきてしまった。ただ、痛みはそれほどなかったし、塗り薬も持っていなかったのでそのまま放置する事にする。 とりあえず自転車のところに戻りテントを張る。ところが木の下にグランドシートを広げた瞬間、木の上に止まっていたカラスが糞をして、それが見事に直撃。どうやらこの木にはカラスの巣があるようで、今後も糞の被害を受けそうだったので、グランドシートを炊事場で洗って糞を落とし、少し離れた場所にテントを張る。テントを張った直後に野生の鹿がキャンプ場まで餌を食べにきているのが目に入った。相変わらず知床の鹿は人間をそれほど恐れていなかったが、こちらに来る気配はなかったので写真撮影は断念する。 テントを張ったら今度は温泉だ。このキャンプ場には無料の露天温泉「熊の湯」がある。この露天風呂は周囲に遮蔽物が一切なく、小川のせせらぎを聞きながら森林浴を楽しめるという素晴らしい露天風呂だ。それも無料で地元の有志が掃除などの運営をしているという。本当に頭の下がる思いだ。無料の温泉は水着を着た家族連れの遊び場となる事が多いが、ここは規則が厳しく、そんな水着を着て温泉につかるようなマナーの悪い観光客は追い出されてしまう。それが私には嬉しいというものだ。熊の湯に行くと先客が3人ほどいたが、込んでいるというほどではない。少し熱い湯に肩までゆっくりとつかり汗を流す。この熊の湯は一応、洗い場はあるが1つしかなく、おまけに狭いので石鹸が湯船に入ってしまいそうだったので、体を洗うのは断念し、つかるだけにしておく。この熊の湯では小川のせせらぎや鳥の鳴き声を聞きながら熱いお湯につかって森林浴をするのが本当の楽しみなのかもしれない。 温泉から上がると、今度は洗濯だ。4日前につるいキャンプ場で洗濯して以来だから、もう着替えがなくなっていた。いつものようにスーパーのビニール袋に服と洗剤を入れ、炊事場でジャブジャブと洗い、よく絞って自転車に干す。もう手慣れたものだ。洗濯が終った頃、隣のテントの住人が帰ってきた。隣のテントは熟年夫婦のライダーで、奥さんが話好きな人だったので、北海道のキャンプ場や観光地、そして自転車の話をする。話しの中で、なぜバイクではなく自転車で苦労して峠に登るのかという話題になった。もちろんそれは峠に登った時の達成感を味わう為だ。例えば山の頂上までロープーウェイがあったとして、ロープーウェイで何の苦労もなく頂上まで行った時に見る景色と、ふもとから苦労して登り、やっと頂上に着いた時に見る景色とでは、同じ景色であっても感じ方はまったく違う。自転車とバイクでも峠を登る時は似たようなものだろうと、そんな話を30分ばかりしていた。家族連れは嫌いだが、キャンプ好きな熟年夫婦はチャリダーの事をよく知っているだけに好きだ。
また、おじさんは自転車をタダで手に入れ、タダでパーツをグレードアップしているという。いったいどうやっているのかを尋ねると、粗大ゴミの収集所に行くと、自転車はゴロゴロと転がっているし、その中で気に入った部品があれば外して持って帰って来るそうだ。もちろんゴミだから誰も文句は言わないし、この方法でタイヤやブレーキシューなど、いくつも予備のパーツを持っていると言っていた。確かに北海道では自転車屋が少なく、自転車が壊れてしまった時には自転車屋を探すよりも、粗大ゴミの集積場から使えそうな自転車のパーツを探して来る方が早いのかもしれない。 明日、知床峠を越えると言うと、おじさんは羅臼側から登った方が楽だと言う。ウトロ側は中程度の傾斜が延々と続き、羅臼側は急な傾斜で一気に登るからウトロ側から登る方が楽かと思っていたが、どうやら違うらしい。というのは羅臼側から登った場合、急な傾斜はこの国設羅臼温泉野営場前あたりと、もう少し先に1ヶ所あるだけで、あとはそれほど急な坂ではなく、しかも傾斜がほとんどなくなって平地になる場所もいくつかあり、そこで息抜きができるから楽だと言うのだ。確かにウトロ側から登ると一定の傾斜で登りの直線が延々と続くから景色が代わり映えせず、苦しかった覚えがあった。羅臼側から登るともっと苦しむと思っていたが、おじさんの話を聞くとちょっと信じられなかったものの、それでも羅臼側からの方が楽だと聞くと嬉しかった。 おじさんから聞いた話の中で一番有益だったのは、クッチャロ湖と国道238号線の間に自転車道があるという情報だった。私も昨年、クッチャロ湖の横を走った時、国道238号線からはクッチャロ湖を見る事ができず、残念に思ったものだったが、この自転車道は自然に溢れた素晴らしい自転車道だそうで、私はぜひとも走ってみたいと思わずにはいられなかった。後日、地図で調べると、確かにおじさんの言っていた自転車道は存在し、ポロ湖の1kmほど南から浜頓別までの20kmほど、北オホーツクサイクリングロードという名の自転車道が国道238号に併走していた。おじさんとは1時間近く話をし、そろそろ暗くなって来たので私も食事の準備の為、おじさんと別れて自分のテントに戻る。結局、昨年お世話になったおじさんに出逢う事はできなかったが、あらたにチャリダーのおじさんと楽しい話ができた事で私の心は晴れやかだった。 自分のテントまで戻ると向かいにソロのライダーがテントを張っていたのでさっそく話しかける。彼は1450ccのでっかいハーレーのライダーで、バイクが大きいだけに荷物も多かった。彼も自炊だったので夕食を共にする。私はカレーと味噌汁だけの粗末な夕食だったが、彼は一人旅にしては多すぎるほどの食材を持ってきており、酒やつまみをご馳走になる。 彼はハーレーのドッドッドッドッというエンジン音にひかれて新車のハーレーを240万円で買ったそうだが、新型のハーレーは音が軽やかに変わっており、古いハーレーの方が良かったと言っていた。1450ccのエンジンだと転けたら1人では起こせないでしょと言うと2日前に2回も転倒したそうだ。かなり大きなジャリの転がる河原の道を走っていてジャリに乗り上げて転倒してしまい、1人では起こせなくなったとか。ハーレーにはそういう時の為にロードサービスがあるそうで、さっそくロードサービスに電話したが、広い北海道ではロードサービスが来るまでに2時間近くかかるとの事。そのうちに観光客の車がやって来たので、運転手に頼んで起こしてもらったが、その道から引き返す途中に再び転けてしまい、再びロードサービスを待っていると、先程助けてもらった車が引き返してきたので再び助けてもらったそうだ。しかし2回も転けた事でバイクには多数の傷がついてしまい、せっかく今の新型のハーレーを売って旧型のハーレーを買おうとしていたのに、これでは高くで売れないと言って嘆いていた。 彼は新宿の駅の近くの月13万円のワンルームに住み、他にも月5万円の駐車場と、さらにハーレーの駐車場も月2万円すると言う。普通のサラリーマンが20万円も家賃や駐車場代を払えるはずがないと思い職業を聞いてみると、法に反するような職業ではないものの、あまり公にできないような職業の経営者だった。と言うより、私にとってそんな職業がある事自体、知らなかった。それでも法人税を払いたくないから1年毎に会社名を変えて税金を逃れ、同業社といざこざが起きるとヤクザに仲裁を頼んだりするような危ない仕事だった。キャンプ場では普段の生活では絶対に出逢えないような人種の人々と話ができるが、今日のライダーの話はこれまでの中で私の興味をそそる最大のものだった。 彼は夕食を共にして3時間ほど話をし、21時過ぎにお開きにする。ずいぶんお酒をご馳走になり、自分のテントに戻る時には真っ直ぐに歩けないほどになっていた。通路を挟んで向かいのテントではどこかのグループであろうか、10人くらいの大人が大騒ぎしていたが、酒の勢いの方が強く、旅の日記を簡単に書くと22時には就寝する。シュラフに潜って横になった瞬間、眠りに陥った。
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