3時30分に目覚めるが、もう一度寝て、起きたら4時20分だった。相変わらず波の音は大きかったが1/fゆらぎの影響か、よく眠る事ができた。朝少し雨が降っており、どうしようかと悩んでいたが10分もしないうちに雨はやんでしまった。朝食は昨日の昼に弟子屈のコンビニで買ったおにぎりを1つ食べて撤収開始。抜いたペグが砂まみれだったので、目の前の屈斜路湖でペグを洗うと、予想以上に屈斜路湖の水が暖かかったのでびっくりする。よく考えたら屈斜路湖のまわりには温泉がたくさんあり、和琴半島にも多数の温泉があったので、それで暖まったのだろう。屈斜路湖は湖そのものが温泉だと言われるが、そう言われるゆえんがよくわかった。そういえば昨夜、隣のライダーのタープとポールが波にさらわれないかと心配していたが、どうやら無事だったようだ。
撤収の準備が完了した時、川崎のチャリダーが起きてきたので挨拶する。彼も今日は美幌峠を越えて美幌のみどりの村森林公園キャンプ場に泊まるらしい。私も当初の予定ではそこに泊まる予定だったが、屈斜路湖を1周しないとなれば、もう少し足を延ばす事になるだろう。彼としばらく立ち話しをした後、6時前に出発する。 出発しようと自転車にまたがった瞬間、昨日知り合ったもう1人のスペシャライズドのチャリダーが自転車に乗って私の前を走り過ぎて行った。彼はテントを張ったままで荷物をすべておろした軽い自転車で美幌峠を登るとの事だ。私もこれから美幌峠を登るので同行しようと考えたが、彼の太いタイヤはキャンプ場のダートをものともせず走り、国道243号線に出た時には500m近く引き離されてしまっていた。しかしオンロードではこっちのものだ。彼の自転車のギアは完全なマウンテン仕様だが、こちらはフロントがロードでリアがマウンテンという混血児。しかもフロントのアウターは56Tという、とんでもなく大きなチェーンリングをインストールしているので高速巡航に向いている。平地では荷物の重さが気にならないので、逆風だったがキャンプ場を出て国道243号線を北西に6〜7kmも走ると、彼に追いついてしまった。しかしさあ追い抜こうとした時、いきなり急な登り坂が始まり、あっという間に引き離され、彼の姿は見えなくなってしまった。やはり荷物が重いと坂を登るのが大変だという事を実感する。
展望台に行くと屈斜路湖がきれいに見えた、天気は曇っていたが屈斜路湖が太陽の光を反射して輝き幻想的だった。美幌峠からの屈斜路湖の眺めは木や山に邪魔される事なく屈斜路湖を一望できるので、これで晴れていたらさぞかしきれいだったろうと思わずにはいられなかった。展望台と駐車場の間には足場がいくつも置いてあったが、あれは何に使うものだろうと不思議に思った。一見、足場の上に登って写真を撮る為のものにも見えたが、それにしては数が多い。結局何に使う物かはわからなかった。
美幌峠を下まで下りきってペダルをまわしはじめた頃、前から2人組のチャリダーがやって来たので手を上げて挨拶する。夫婦のようだったが、女の人の荷物の多さもさることながら、男の人のチャリダーにはトレーラーが引かれていたのには驚かされた。そしてさらに数km走るとソロのチャリダーがやって来た。よく見ると20歳くらいの女の人が、私と同程度の荷物を自転車に積んで走っているではないか。手を上げて挨拶すると、頑張って下さいとの声が返ってきたので、私も頑張ってと返事する。女の人が大量の荷物を積んだ自転車で1人で走っているのは珍しかったので驚かされたが、それよりも彼女があと数kmも走れば、私が先程越えてきたばかりの美幌峠を登らなければならないのかと思うと気の毒に思えてきた。もっとも真のチャリダーであれば、あの程度の峠は気にもならないのだろうけど…
ライダーと別れた後、この先どうするかを考える。当初の計画では今日はこの美幌の町にあるみどりの村森林公園キャンプ場に泊まり、明日はサロマ湖へ、そして明後日は女満別まで戻ってくる予定だった。明日走る予定の美幌からサロマ湖までは国道39号線〜国道333号線〜道道685号線を経由し、山側を走るつもりでいたが、そのコースは美幌からサロマ湖まで60kmも山道を走らなければならないし、しかもその間キャンプ場がない。無理をすれば今日のうちに足を延ばしてサロマ湖までたどり着けない事はないが、今日の天気予報では午後から雨だと言っていたので、雨が降っても駆け込むキャンプ場がないのだ。かと言ってまだ9時30分なので美幌の町にあるみどりの村森林公園キャンプ場に入るにはまだ早い。そこでどこかに観光ポイントがないかと地図を見ると近くにチミケップ湖があった。ここは機会があればぜひとも行こうと思っていた。しかしチミケップ湖への最短コースである道道494号線は通行止で、チミケップ湖に行くには道道51号線か道道27号線を使うしかないが、いずれの道も相当な大回りになるだけでなく、長いダートが待っている。 それより当初の計画ではもともと1日予備日を設けていたのと、然別湖やナイタイ高原をパスしたので日程は2日も余ってしまっている。余った2日でどこに行こうかと女満別から100km圏内でめぼしい場所を探すと知床半島が目に入った。ここは昨年も行ったが、昨年は台風で景色がまったく楽しめなかったし、昨年お世話になったおじさんにお礼をしたかった。というのもこの1年間、私はずっとあのおじさんにお礼をすべきだったと後悔していたので、機会があれば1年ぶりになってしまうが今年こそはお礼をしようと考えていたのだ。 それならサロマ湖の前に知床半島に行こうと、そのコースを考える。明日、羅臼に到着する為には今日のうちに浜小清水あたりまで行っておきたい。ここから浜小清水まで55kmほど走らなければならないが、浜小清水まではほとんど平地ばかりだし、まだ時間も9時30分なので時間は十分だ。本当は浜小清水ではなく斜里まで走りたかった。というのは斜里にもキャンプ場があるのだが、それはツーリングマップルの2004年版から記載されており、私の持っている2003年版には記載されておらず、どこにキャンプ場があるかわからなかったので断念する。そこで当初の予定を変更し、今日は浜小清水、明日は羅臼、明後日は網走、4日後はサロマ湖、5日後は女満別というコースを走る事にした。 さて、浜小清水に行くと決まったが、私は美幌の町で行きたい場所があった。それは美幌航空公園だ。美幌の町から4kmほど南西にある河川敷の公園には、戦闘機やヘリコプターが展示されているのだ。このまま浜小清水まで走っても13時には着いてしまうので、せっかくだから足を延ばして美幌航空公園に行く事にした。美幌の町を抜け、道道217号線を南に走る。私は戦闘機というくらいだから、F−15イーグルは無理としても、F−86セイバーくらいは当然置いてあるだろうし、運が良ければF−4ファントムも置いてあるかもしれないと思って期待して走っていた。しばらく走ると国道から少し離れた河川敷に飛行機が見えてきた。が、どうも予想したよりも規模が小さい。確かに河川敷のちょっとした空きスペースに飛行機が3機とヘリコプターが2機展示されていたが、期待していた戦闘機は1機もなく、飛行機はすべて練習機で、しかもそのうちの2機は時代遅れのレシプロ機。ヘリコプターもたいしたものはなく、ちょっと期待外れだった。あまりにもチャチな航空公園だったので観光客はもちろんの事、河川敷にあるので交通量も皆無に等しく誰もいない。おかげで10時過ぎまでゆっくりと、飛行機や練習機をバックに好きなだけ写真を撮る事ができた。
やがて網走湖が見えてきたが、このあたりの網走湖は湖と言うより湿原のように見える。途中、パーキングがあったので休憩するが、ここにあった網走湖の標識を見てどうもおかしい事に気付いた。網走湖と書かれた下に英語でLake Abashirikoと書いてあるのだが、網走湖を英語にするとLake Abashiriではないだろうか? ko(湖)は余計だと思うのだが。これではまるで富士山を英語でMt. Fujisanと言うようなものだ。
やがて博物館網走監獄への道が見えてきた。網走監獄へ行くには坂を登らなければならないのと、今日は小清水原生花園に行きたかったので、網走監獄はパスする。ここから先は昨年通った道だ。釧路でもそうだったが、1年前に1回だけ通った道だがちゃんと覚えていた。やがて自転車は網走市街へと突入する。昨年とは自転車も変わった事だし、再度、網走駅の前で記念撮影をしようと考えていたが、早く網走市街を抜けたいと思うあまり、網走駅に気付かぬまま素通りしてしまった。
13時過ぎに北浜駅に到着。この駅はオホーツク海に一番近い駅で、駅の20m先にオホーツク海があり、駅には北浜駅展望台があって、ここからオホーツク海やオホーツク海沿いに走るJR釧網本線、そして羅臼岳を一望できた。不思議な事にこの北浜駅の駅舎には壁だけでなく天井にまで名刺がベタベタと貼ってある。いったい何の為に貼ってあるのか理解できなかったが、おそらく自分が来たという証しに残していったのだろう。私は付き合いのある会社の人がいないかしばらく名刺を探していたが、残念な事に見つける事はできなかった。 そろそろお腹も空いてきたので、この北浜駅の構内にある喫茶停車場という名前の喫茶店で食事を取る事にした。メニューを見ると、昨年食べそこねたオホーツクラーメンがあったが、どうせ今日は浜小清水前浜キャンプ場に泊まるのだから、隣の道の駅「はなやか小清水」にあるラーメン屋でオホーツクラーメンを食べればいいのだし、メニューをよく見ると停車場ランチというのがあったので、これを注文する。ハンバーグ、目玉焼き、サラダ、味噌汁、ライス、コーヒーがセットになっており、久しぶりの豪勢な食事をおいしく頂く。ちなみにこの喫茶停車場は、ちょっと恐そうな感じのマスターと、ウェイトレスのきれいなお姉さんの2人で営業されていたが、この2人の関係がどんなのかとても興味があった。
やがて浜小清水前浜キャンプ場に到着。このキャンプ場は昨年も泊まった事があったので、勝手知ったるキャンプ場だ。管理人のおじさんも変わっていなかった。受付を済ませると、いつもならどこにテントを張るか歩き回るところだが今日は違う。このキャンプ場は昨年もそうだったが、海のそばの高台にあるので風が強い。しかも、今は風が弱くても夕方になれば必ず風が強くなると確信していた私は、トイレの横に自転車を止めると夕方になるまでテントを張るのを待つ事にした。 夕方まで時間があったので、私はキャンプ場の隣にあるフレトイ展望台に行ってみた。昨年はここでオホーツク海に沈む見事な夕陽を見る事ができたが、さすがに今年は曇っていて夕陽は見れそうになかった。それでも昨年はほとんど見る事のできなかった知床連山が今年ははっきりと見えた。展望台のあるキャンプ場などそれほど多くなく、ここは私のお気に入りのキャンプ場の1つだ。
空もずいぶん暗くなりはじめた18時頃、チャリダーの集団がやって来た。どこかの大学のサークルだろうと思い挨拶に向かうと、逆に向こうの方から「あっ!」と声が上がった。よく見ると4日前に双湖台と道の駅「摩周温泉」で2回も出逢った東北学院大学サイクリング部の面々だった。別に待ち合わせしていたわけでもないのに広い北海道で偶然再会した事に驚くと同時にお互い喜びあう。双湖台で出逢った時には1人だったが、道の駅「摩周温泉」では3人となり、今では6人の大所帯となっていた。彼らは4日前に裏摩周の北のJRみどり駅で集合した後、知床半島をまわり、今は知床半島からの帰りとの事だった。彼らの自転車を見せてもらうが1人を除いて5人がロードタイプの自転車に乗っており、マウンテンの自転車が多い中、強者ぞろいである事を思わせる。
しかしそれにしても、このチリからやって来たチャリダーの勇気と根性には敬服される。まだ言葉もうまく話せないのに、たった一人で自転車ツーリングを続けているのだ。日本語が話せたとしてもソロのツーリングは大変なのに、よく地球の反対側の日本までやって来て自転車で旅をしようと考えたものだと感心してしまった。私が仮に外国に留学したとしても、言葉も満足に話せない状態で自転車で一人旅をしようとは思わなかっただろう。 東北学院大学のチャリダー達は自炊すると言うので、19時過ぎに私は1人で道の駅「はなやか小清水」のラーメン屋「太郎山」まで行く事にした。ところがラーメン屋は19時で閉店しており、念願のオホーツクラーメンはまたしても食べる事ができなかった。仕方なく隣のスーパーで食料品を買い込もうとするが、弁当はすべて売り切れており、簡単に食べられる物と言えばカップ焼きそばしかない。夕食は2日続きのカップ焼きそばとなってしまい悲しかったが、ついでにビールを1パック6本買って東北学院大学のチャリダー達に差し入れする。 カップ焼きそばと言ってもお湯を沸かさないといけないが、もうあたりは真っ暗で自炊道具を出すのも面倒だったので、彼らに頼んでお湯を沸かしてもらい、ビールで乾杯して彼らと一緒に夕食をともにする。彼らの夕食はカレーと焼肉だった。彼らが飲んでいたジュースが普段見かけないジュースだったので何かと尋ねると、それは北海道限定で売っているガラナエールというジュースだと教えてくれ、おいしいとは言わなかったが、セイコーマートで売っているからと、しきりに薦められた。そんなに薦めるのなら今度コンビニに行った時にでも飲んでみよう。大学のサークルと一緒に食事をするのは初めてだったが、こういった大人数で食事をするのも悪くないものだ。ただ、彼らが陣取っていた場所は3人組みのライダーのテントのすぐそばで、ライダーたちはチャリダーが邪魔で自分たちが自炊できなかったのが少しかわいそうだった。 彼らと一緒に食事をして大学のサークルの雰囲気を満喫するが、あまり長居しても悪いので20時頃には引き上げ自分のテントに戻る。テントに戻ると驚いた事にテントの中にスイカが2切れ置いてあった。誰が置いていったのだろうと不思議に思っていたら、キャンピングカーで来た熟年夫婦の差し入れである事が判明しお礼を言う。それから旅の日記を書き、22時に就寝。それにしても広い北海道で彼らに3回も出逢うとは、きっとシンクロニシティに違いない。
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