朝4時15分に起きる。夜中とても寒くて何度か目覚めてしまった。今日の夜もこんなに寒かったら、もう少し着込んで寝た方がいいかもしれない。朝食は昨日の昼に羅臼のコンビニで買ったおにぎり1個。ちょっと少ないが、これで頑張って知床峠を越えよう。ハーレーのライダーから4時30分に起こしてくれと言われていたので、テントを揺すって起こすが、テントの中から返事はあったものの、再び眠ってしまったようだった。 テントを撤収していると5時頃、ハーレーのライダーは起きてきた。今日の行き先をしばらく話し、彼はタオルを持って歩いて熊の湯に行ってしまった。しばらくすると熟年夫婦のライダーも起きてきた。挨拶した後、奥さんの方が私に小声で話しかけてきた。それは昨日の夜、近くのテントの10人ほどのグループが深夜1時過ぎまで大騒ぎしていてまったく寝られなかったと言うのだ。近くのテントの人達が何度か注意しに行ったらしいが、まったく聞く耳を持たなかったようで、ずっと騒いでいたとか。キャンプ場は21時を過ぎたら静かにしなければならないというのは常識なのに、マナーを知らない人達だと彼らのテントを蔑視する。しかし私は酔っぱらってぐっすりと寝ていたので、そんな事があったとはまったく知らなかった。 出発の準備をしている時、昨日、一番最初に声をかけた長期滞在のおじさんがやってきて「もうトンズラするのか?」と言われた。文字にすると刺のある言い方だが、実際には親しみのこもった言い方だった。おそらくおじさんにしてみれば、せっかくチャリダーの話し相手ができたのに、たった1日で私がキャンプ場を離れてしまうのが寂しかったのだろう。確かにこのキャンプ場は長期滞在の人が多く、ライダーでもここに1週間程度泊まって、ここをベースキャンプにして活動している人も多いと聞く。そんなライダーたちを見ていたおじさんも、私がもう少し泊まっていくと思っていたのかもしれない。しかし私にはどうも長期の滞在は性に合わない。今日訪れる場所には素晴らしい景色が待っているかもしれない、そして見知らぬキャンプ場でチャリダーやライダーとの楽しい出逢いが待っているかもしれない、そう思うと自転車で毎日場所を変えながら走ってしまうのだ。だが、それにしても羅臼の長期滞在の人達はみんな人がいい。昨年お世話になったおじさんも、その後の2日間、何回かやって来て気さくに話しかけてくれたし、今年も同様だ。それはもしかしたら私がチャリダーだったからなのかもしれないが、少なくともキャンプ場で話し相手を探しているようなソロのチャリダーには親切だ。もし私がライダーだったら彼らがどういう対応になったかはわからないが、きっと家族連れは相手にしないと思う。 出発直前に熟年夫婦から今日はどこに行くのか尋ねられた。これから知床峠に登るから、今から2時間半くらいで頂上に着くはずだと答える。その熟年夫婦に見送られながら5時40分にキャンプ場を出発する。昨年お世話になったおじさんにお礼をするという目的は達せられなかったが、あらたに長期滞在のおじさんから話を聞けたりと、この国設羅臼温泉野営場はいつ来てもいいもので、私の心は軽やかだった。 キャンプ場を出発するといきなり国道335号線の急な坂を登りはじめる。このあたりは傾斜10%はあるだろうか。出発直後だというのにすぐに息が切れはじめる。全長256mの湯の沢覆道に入ると覆道の出口に鹿が2頭いるのが目に入った。こちらは覆道に入っているので鹿からは見えないが、チェーンのまわるかすかな物音がするので鹿はこちらを気にしている。しかし私が覆道を出ると同時に私の姿が見えたようで慌てて逃げ出した。知床の鹿はみんな人間に慣れていると思っていたが、人間に慣れているのは一部の鹿で、多くの鹿はそれほど慣れていないようだ。
昨日キャンプ場で出逢った長期滞在のおじさんの話しでは、この橋を過ぎてしばらく走れば傾斜が緩やかになるとの事だったが、確かにその通りだった。さらに走るといきなり380mの標識が見えてきたのでびっくりする。知床峠は標高741.6mだから、もう半分も登ったのかっ! 実際には国設羅臼温泉野営場が標高100mの場所にあるので、実際に登ったのはまだ280mだが、それでも距離はほとんど走っていない。よほど急な傾斜だったのだろう。380mの標識の横でチョコレートを食べてエネルギー補給し、5分ほど休憩する。 昨日話をした長期滞在のチャリダーのおじさんの話では、ここから先は傾斜が緩やかになり、さらに平地に近いところもあって息抜きができるとの事だったが、まさにその通りだった。確かにこれまでに比べると明らかに傾斜は緩やかだし、ほとんど平地に近く息抜きできる場所もある。ライダーから聞く坂の情報はあまりあてにできないが、さすがにチャリダーから聞く坂の情報は正確だ。あのおじさんも相当北海道を走り倒しているようで只者ではない事を実感する。
見返り峠を過ぎると若干の下りがあり、それを越えて知床峠まであと500mに迫った時、前方からチャリダーがやって来るのが見えた。こんな時間にもう峠を下りはじめているので、よほど早い時間に出発したのだろうと思い聞いてみると、彼は昨夜ウトロのキャンプ場に泊まり、朝5時に出発して2時間で頂上まで登ってきたそうだ。私は昨年ウトロ側から登った時は2時間半かかったので、ずいぶん早いねと言うと、今日はかなりの追い風で楽だったとの事。羅臼側は山に遮られてあまり風は吹いていないが、雲の流れを見るとウトロ側は海からの風が強そうだという事が容易に見てとれた。彼とすれ違ったのがちょうど眺めのいい場所だったのでお互い写真を撮りあい、10分ほど話してそれぞれの道へと走りはじめる。
羅臼岳をバックに自転車の写真を撮ろうと道路を横断し、道端の崖の上の草むらに自転車を止めて写真を撮るが、その時強風が吹いて、自転車は1mほど下に完全に一回転半転がって落ちてしまった。崖の傾斜は45度程度で、重い自転車を引き上げる事ができるか心配したが、どうにか引き上げる事ができた。自転車のダメージを調べるが、落ちた場所がちょうど深い草むらだったので、どうやらダメージはなさそうだった。こんな場所で走行不能になっていたら、一昨日のチリのチャリダーの二の舞になるところだった。
私は何度か自転車を止めて写真を撮影し、再び自転車をゆっくりと走らせて撮影場所を探していると、後方からバイクが2台ゆっくりと近づいてきて、ヘルメット越しに私に声をかけてきた。よく見るとそれは国設羅臼温泉野営場で知り合った熟年夫婦のライダーだった。お互い手を振りあって挨拶し、そして熟年夫婦は先に走って行った。私は8時頃頂上に到着すると言っていたので、もしかしたらそれに合わせて知床峠に登ってきたのかもしれない。ただ、予想以上に早く頂上に着いたので、熟年夫婦が着いた時には私は既に下りはじめていたので、おそらく追いかけてくれたのだろう。熟年夫婦と再び再会でき、私はとても嬉しかった。
よく考えたら今年の北海道自転車ツーリングはこういった再会が多い。三国峠で一緒に食事した後、翌日オンネトーのキャンプ場で再び出会ったYさん。双湖台のパーキングと摩周の道の駅で出会い、4日後の浜小清水前浜キャンプ場で再び出会った東北学院大学の面々。そして和琴温泉のキャンプ場で出会い、2日後の知床峠で再び出会った川崎から来たチャリダー。この広い北海道で待ち合わせをしているわけでもないのに、よく再会するものだと感心してしまう。 川崎のチャリダーと別れて坂を下ると、まもなくプユニ岬に到着し、再びオホーツク海が見えてきた。昨年、写真を撮ったのと同じ場所で写真を撮るが、今年はよく晴れている事もあり、昨年とはまったく景色の美しさが違う。昨年は雨が降っていて海は灰色だったが、今年は快晴で海の色は濃い青色、しかも海が透き通っていて海の底まで見えている。やはり知床は美しい事を実感する。
ウトロ付近の海岸線はオロンコ岩やゴジラ岩など海からそそり立つ岩が数多く点在し、景色も美しい。私は景色を見たくて、いつもの左車線の路肩ではなく、右車線の歩道、つまり海に近い方を自転車で走った。ところがこのあたりは釣り客も多く、平気で歩道をふさぐ形で車を止めている人がいるのだ。何とか避けながら走っていたが、とうとう歩道のど真ん中にワゴン車を止められ、左右両側とも自転車の通れるスペースがない状態になってしまった。こんな迷惑な違法駐車しやがってと、いっその事、むりやり通り抜けて車の側面にペダルで引っかき傷でも付けてやろうかとも思ったが、どう見てもサイドバッグが通り抜けられそうになかったので、あきらめて車道に降りる。 知床峠を登っている頃は涼しかったが、既に9時を過ぎていたので気温も高くなり、燦々と照りつける日差しが痛くなってきた。昨日も8時頃からずっと晴れていたし、一昨日は曇っていたが3日前とそれ以前はずっと晴れで、延々と太陽の光を浴び続けている。しかも暑いので長袖を着る事もできず、一番強力な日焼け止めを毎朝塗っているにもかかわらず、私の腕はもう真っ黒となってしまった。これ以上日焼けすると本当に火傷になってしまいそうだ。ちょうどそんな時、ウトロから少し西に走った所にある三段の滝が見えてきたので、ここで見物と休憩がてらにもう一度日焼け止めをたっぷりと塗る。 三段の滝を出発しようと自転車をスタートさせた時、遠くの方から自転車でこちらに近づいて来るチャリダーが目に入った。あれは知床峠とウトロのコンビニで見かけたチャリダーに違いない。待っていようかとも思ったが、まだずいぶん距離があったので先に行く事にする。三段の滝を出発し、少し走って全長450mのオシンコシントンネルを抜けるとすぐにオシンコシンの滝だ。ここは昨年も来た場所だったが今年も行ってみる。オシンコシンの滝は落差こそあまりないが、岩全体に伝うように流れる滝が美しい。ただ、ここは観光バスの止まる観光地で観光客がとても多く、あまり長居したくなる場所ではなかったので、写真だけ撮るとすぐに出発する。後で知った話だがオシンコシンの滝は一般の観光客が訪れる下から見上げる場所だけでなく、山を少し登ったところにある上から見下ろす場所もあり、ここからの眺めもいいらしい。今度来る機会があればぜひとも上から見てみたいものだ。
どうにか丘を越えたが、それでもしばらくは路肩の狭い道が続く。朱円まで来た時、道端に美しい花壇があるのが目に入った。よく見ると斜里町立朱円小学校の花壇だ。ハマナスがとてもきれいだったので自転車をバックに花の写真を撮らせてもらう。学校の前にこのような美しい花壇があるのは、見ていて清々しいし、ありがたい。
校庭の外れに自転車を止めると、さっそくトマトを取り出し、自転車に積んである水で洗って丸ごと食べる。まず1つをペロリと平らげ、2つ目も食べる。やっぱりこんな暑い時には冷たいソーメンとトマトがおいしい。あいにくソーメンはないが、トマトだけでも十分だ。2つ食べてもまだ満足できなかったので、3つ目にも手をつける。結局トマトを3つも食べ、残りの1つは夜のデザートに残しておく。時間はちょうど12時だったので、ほとんど昼食代わりになってしまった。 トマトは食べ終わったが、もう暑くて走る気がしない。特に腕があまりに日焼けし過ぎて痛いのだ。空を見上げると相変わらずの晴れだが、これから向かう網走方向は曇っている。もう少し待てば曇るのではないかと考え、しばらくこの大栄小学校の校庭の外れで休憩する事にした。小学校はもちろん夏休みで誰もいないし、国道の隣といっても国道から少し低い場所にいたので道路からは見えない。しかも日陰の芝生だったので思わず横になってしまう。腕が日焼けして熱を持っていたので、濡らしたタオルを腕に巻くととても気持ちが良かった。そんな事をしながら1時間ばかり時間を潰すが、空は相変わらず晴れており曇る気配はない。しかしいつまでもこんな場所にいるわけにはいかなかったので、13時に出発する。とにかく腕が日焼けで痛かったので、暑かったけどウィンドブレーカーを着る。もちろん前のファスナーは全開にして腕だけを日差しから避けるようにしたが、それでも暑い。しかし腕に直射日光を当てるよりはまだマシだったので、そのままウィンドブレーカーを着続けた。 暑さに耐えヘロヘロになりながら、やがて道の駅「はなやか小清水」に到着。本当はここのラーメン屋「太郎山」で1年前と2日前に食べそこねたオホーツクラーメンを食べるつもりでいた。しかしトマトを3つも食べたばっかりだったので、全然お腹が空いておらず、またしてもオホーツクラーメンは断念せざるをえなかった。今日は暑くて水浴びを繰り返しており、自転車に積んだ水が残り少なかったので、この道の駅「はなやか小清水」のトイレで給水するつもりでいたが、よく考えたら道の駅に行かなくても、その隣にある2日前に泊まった浜小清水前浜キャンプ場で給水し、ついでにフレトイ展望台で写真を撮ってくればいいという事に気付く。さっそく浜小清水前浜キャンプ場に行って炊事場でボトルに給水する。キャンプ場にはいつもの管理人のおじさんが東屋とトイレを掃除していた。いつ来てもここのキャンプ場はきれいで頭が下がる思いだ。 給水を済ませて今度はフレトイ展望台に登る。実は晴れた日のフレトイ展望台に登るのは始めてだった。1年前は着いた時は曇っていたし、出発する時は雨が降っていた。2日前に着いた時も曇っていたし、翌日出発する時も曇っていた。しかし今日は網走方向は曇っているものの、全体的には晴れている。晴れたフレトイ展望台からの眺めも、青いオホーツク海に知床連山が美しく浮かび、とても美しく見えた。
雲行きと雨脚からすると明らかに夕立だったので、そのまま木の下で雨宿りしていると、雨は10分ほどで止んだ。テントを張る場所を探すべくキャンプ場の中に入るが、もうお盆のシーズンを過ぎてしまったせいか広いキャンプ場の割にはテントの数が少なく、テントは好きな場所に張り放題だった。このキャンプ場も網走湖の湖畔のキャンプ場で、湖畔のすぐそばにテントを張る事ができるが、屈斜路湖の和琴半島湖畔キャンプ場と違って湖が汚く、ロケーションがあまり良くない。また近くでボートの練習でもしているのか、かなりうるさいし、しかも蚊がたくさんいた。それでも私は網走湖から2mの距離の場所にテントを張った。
このキャンプ場にはチャリダーが1人いたので話しかけに行く。彼は大学のサークルのメンバーで、この呼人浦キャンプ場で今日メンバーが集合する事になっているらしい。彼は今日スポークがたて続けに折れて走れなくなってしまい困ったと言っていた。彼の自転車を見ると黒いスポークに3本だけシルバーのスポークがあり、明らかに修理した事が見てとれる。彼が言うには普通にアスファルトの道を走っていると、突然ポキポキポキという音とともにスポークが3本折れてしまったそうだ。しかも折れたのが左側ばかりの連続した3本で、1本だけなら走れない事もないが、さすがに連続3本折れるとリムが歪んで走れなくなり、自転車屋まで押して行ったそうだ。北海道は広いので近くの自転車屋までたどり着くのも大変だから、こういった現場で修理不能なトラブルに見舞われるのが一番恐い。 昨日、熊の湯に入ったが、体は洗わなかったし、今日は暑い中を長時間走っていたので、ぜひとも温泉に入りたい。地図を見ると歩いて行けそうな場所に網走湖畔温泉があったので、さっそく着替えと、旅の日記を書く準備をして温泉まで歩いていく。キャンプ場から500mほど歩き、さらに踏切を渡って線路を越えて坂を登ると、網走湖畔温泉ではなかったが、網走観光ホテルがあり、ここでも500円で日帰り入浴できると看板に書かれていたのでそちらに向かう。 網走観光ホテルに入って失敗したと思った。なぜならホテルが豪華過ぎるのだ。玄関の前にはボーイがいて出迎えてくれるほどの豪華なホテルだ。少なくとも汚いチャリダーが着替えを入れたスーパーの袋をぶら下げで行くような場所ではない。既に北海道で2週間近く走り回っており、日焼けで真っ黒だし、ズボンの裾はチェーンの油で真っ黒だ。入口で追い返されるかと思ったが、嫌な顔もされずに通してくれた。 ホテルの中も豪華だし温泉も豪華で、髭剃りが無料で置いてあったのには驚いた。露天風呂こそなかったが、同じ入浴料500円でもずいぶん違うものだと思わずにはいられない。温泉にゆっくりとつかって汗を流し、ロビーでのんびりと旅の日記を書く。温泉で旅の日記を書くのは当麻以来2回目だが、テントの中で書くのと違って楽ができるのでありがたい。今後もこれが旅のスタイルになりそうな気がする。ロビーで見たテレビの天気予報では明日の網走の天気は1日中雨と言っており、ちょっと気が重くなる。ロビーで1時間ほど旅の日記を書いていたが、17時になり自炊の準備をしなければならないのでテントに戻る事にした。
ようやく御飯も炊き上がり食べようとするが、外はあまりにも蚊が多いのでテントの中に入って食べる事にする。ところが今日は御飯の量が多かったので水の量が少なかったのか、ものすごく固い御飯となってしまっていた。御飯の炊き方を間違えると、これほどまでに御飯がまずくなるのかと実感しながらも、これしか食べる物がないので我慢しながら食べる。明日、雑炊にするのだからと御飯の固い部分は残したが、結局2/3ほど残してしまった。 食事が終り後片づけして、近くのテントのライダーたち3人ほどとしばらく話をする。そのうちの一人は数年前までチャリダーをしていたそうで自転車談義に話が弾む。その中で彼からおもしろい話を聞く事ができた。それは彼が昔、自転車でキャンプツーリングし、富良野の中富良野森林公園でキャンプした時の事。知り合いとなったライダーから冗談で「明日は呼人浦キャンプ場に泊まるから、そこまで来たら御飯をご馳走してあげる」と言われたそうだ。それを聞いた彼はその言葉を本気に受け取り、翌日の朝早くから必死になって自転車を走らせ、旭川、上川、留辺蕊、北見を経由して、夜遅くになってから呼人浦キャンプ場に到着し、ライダーからとても驚かれ、そして賞賛されたそうだ。しかし中富良野から呼人浦までは250km近くあり、しかも標高1050mの石北峠を越えなければならない。それがどれだけ辛い走りか容易に想像がつくだけに、それを聞いて驚くと同時に感心してしまった。彼も当時はまだ若くて、後先考えずに呼人浦まで走ったそうだが、さすがにそれだけ走ると精根尽きたそうだ。 その後、先程ライターを貸した人にお茶をご馳走になろうとしたが、20時頃から雨が降りはじめてしまい、お茶のお誘いは雨の為に断念せざるをえなかった。網走湖湖畔のすぐそばにテントを張っていたが、雨が降るのだったら明日の撤収の事を考えると国道沿いの木の下にテントを張ったほうが良かったのではないかと思ったが、今さらどうする事もできず、そのまま雨の音を聞きながらテントの中で旅の日記の続きを書く。昼間はあれだけ暑かったが、今夜は冷え込みそうだ。今回の北海道自転車ツーリングで初めて下にジャージとズボン、上にシャツとジャージとウィンドブレーカを重ね着し、シュラフの肩口のドローコードをいっぱいまで絞って暖気を逃がさないようにして21時30分に就寝する。
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