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水稲発祥之碑
遠別の町から南東に13kmほど道道688号線を走った所に水稲発祥之碑がある。かつてこの道北の地において1897年から稲作が挑戦された。当初は福井から取り寄せた種子で稲作を試みたがうまくいかなかった。しかし耐寒性のある上川産の種子を用いて遠別川から水を引いて田を作る事で1901年に南山仁太郎氏によってようやくこの地で稲作が可能となった。1921年には灌漑工事が進み水耕栽培が本格的に行われるようになった。その後、遠別町稲作経営研究会は創立20周年を記念し、遠別の稲作の礎を築いた南山仁太郎氏の功績を讃えて遠別町に水稲発祥之碑を作った。これ以降、これより北では水稲は世界的に見ても実施されておらず、遠別町は日本最北の米どころとされる。ゆえにこの碑は遠別町の水稲発祥を意味するだけでなく、世界的にここが最北の水田である事も意味している。この遠別町で作られる米は北限のもち米「はくちょう」であり、この米は旭川の高砂酒造によって純米酒「北吹雪」となる。石碑は道道688号線から脇道に50mほど入った場所にあり、標識はまったくないが場所さえ知っていれば道道からもよく見えるので迷うことはないだろう。おもしろいのはこの石碑のすぐそばの脇道はヘリポートとなっており、道に大きくHの文字が書かれている。
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水稲発祥之碑
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石碑の横にはヘリポートも
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