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南部藩砂原陣屋跡
森町にある砂原の市街地から国道278号線を東に1kmほどの場所に南部藩砂原陣屋跡がある。ここは1858年に幕府の命により南部(盛岡)藩が東蝦夷地の警衛のために兵を派遣した陣屋跡地だ。幕府はロシアの南下政策に対抗するため江戸末期の1855年に仙台、秋田、南部、津軽及び松前の5藩に蝦夷地警衛の分担を命じた。南部藩は箱館表出崎の警衛を主として、恵山岬から東蝦夷地幌別(現登別市)まで一帯の海岸を持場として、箱館谷地頭の北方に元陣屋をおき、1856年には四軒町に3ヶ月かけて砂原分屯所を築造した。市中と神社脇や駒ヶ岳のふもとに見張所を設置した。東西37間(66.6m) 、南北33間(59.4m)の方形の周囲を高さ約1丈(3メートル)の土塁で取り囲み陣屋を配して約30名の藩兵を駐屯した。1868年の明治維新と箱館戦争で自分たちがいつの間にか賊軍となって新政府軍から追われていると知り家屋に火を放って引き上げた。建物こそ残っていないが今でも土塁は残っており、陣屋を記念する石碑が設置されている。
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南部藩砂原陣屋跡
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南部藩砂原陣屋跡
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