4時30分に起床。このキャンプ場はカラスが多く、カラスの鳴き声で起こされてしまった。シュラフとマットとジャージを片づけてテントから外に出ると空は一面の曇り空だった。テントを撤収し、朝食にパンを2つとトマトを食べる。歯を磨きに炊事場に行くと、炊事場のすぐ横に一人用のテントが張ってあり、ライダーとは思えないおじさんがテントの横に座って炊事場に来る人を睨んでいた。こんな人通りの多い炊事場のすぐ横にテントを張るとは変わった人だと思うし、炊事場に来る人を見て一体何をしているのだろうと不思議に思ってしまった。撤収が完了しキャンプ場を出発した時には5時40分になっていた。今日は比較的早い出発だろう。 キャンプ場を出発すると、いきなりきつい登り坂があり、これを越えるとコンビニだ。コンビニに入ると真っ先に凍らせたペットボトルを探した。今日は日勝峠越えになるので、ぜひとも凍らせたペットボトルが欲しかったが、残念な事に売っていなかった。それどころかおにぎりを買ってコンビニを出たが、このコンビニにはゴミ箱がないのだ。どうやら日高町の条例でゴミ箱を置かないようにしているそうだが、チャリダーにとっては困ったものだ。どうやらゴミと一緒に日勝峠越えになりそうだ。
自転車を走らせながら日勝峠の方向を見ると山の上の方に霧がかかっているのが見える。そういえば昨日キャンプ場で話をしたライダーも、日勝峠はすごい霧で完全雨装備で走ったと言っていた。もしかしたら今日もそんな感じになるのかもしれない。
10分ほど休憩して、さらに国道274号線を東に走ると、すぐに日高ウェスタンファームの大きな熊が見えてきた。この熊はアテンションベアーズという名前だそうで、交通安全を訴えかけている。昔はただの木製の大きな熊だったようだが、いつの間にか手に「その運転危険!」という看板と股間にアテンションベアーズという看板ができ、さらにシートベルトを模したタスキには「しっかりシートベルト!」と「シートベルトするベアー作戦」と書かれている。さらに極めつけは首から笛までかけているではないか。あとは肩にロープと無線機、腰には拳銃と警棒を装備すれば立派な“おまわりベアー”の完成だ。
標高505mの3合目の標識の場所にちょっとしたスペースがあったので、7時20分から休憩する。おにぎりを食べながらゆっくりしていた時、休憩場所のすぐそばの工事現場にゴミ箱を発見したのでゴミを捨てさせてもらう。これでゴミと一緒に日勝峠を越えずに済みそうだ。
7時55分から標高660mの5合目で本日3回目の休憩をとる。ここまでで25kmを走破した。8時に出発しさらに走ると、標高700m付近にほとんど登りのない平地があり、ここで距離を延ばす。この頃から霧雨が降るようになってきた。さらに8時50分から標高850mで本日4回目の休憩。霧雨がひどくなりだしたのでここからはレインスーツを着て走る事にする。
レインスーツなしでは走れないほどの霧雨の中を自転車で登り続け、9時20分から標高940mの9合目で休憩していた時、霧の中からソロのチャリダーが登ってくるのが見えたので挨拶する。ロードの自転車に荷物はほとんど積んでいなかったのでチャリダーとは言わないかもしれない。荷物が少ないので宿泊はどうしているのかと聞くと温泉宿に泊まっているとの事だった。驚いた事に彼は今日はこれから層雲峡まで走ると言うではないか。層雲峡まではここから150km程だが、その間に標高1023mの日勝峠、900mの白樺峠、1081mの幌鹿峠、1150mの三国峠を越えなければならない。1000m級の峠を1日で4つ越えるなど私には信じられなかったが、あながち嘘を言っているようにも思えなかった。きっと健脚で荷物を積んでいなければ不可能ではないのかもしれない。 彼はこの道は路肩が狭くて意地悪なトラックの運ちゃんに幅寄せされるから嫌だと言っていた。確かに私もこの国道274号線は路肩が狭く三国峠などと比べると走りにくいと思うが、意地悪な幅寄せはされていないと思う。5分ほど話をした後、先を急ぐからと言って彼は雨の中を元気に走っていった。
日勝峠の頂上には曲がりくねった長い三国ノ沢シェルターがあり、これがまた路肩が狭いので走りにくい。しかも三国ノ沢シェルターに続いて722mの日勝トンネルがあり、もううんざりしてしまうほどだった。日勝トンネルを抜けると雨が激しさを増した。今まではレインスーツが必要な程度の小雨だったが、日勝トンネルを抜けると完全な雨になったのだ。
下り坂はどこまでも続いた。何せ標高1023mから700mほど下るのだ。傾斜7%としても10kmほど下りが続く事になる。さらに下ると清水ドライブインが見えてきた。私はここで牛トロ丼を食べようと考えていたが、いざ清水ドライブインに着くと、駐車場は自衛隊の車両数百台であふれかえっていた。どうやら自衛隊の隊員はここで集結してお昼を食べているらしい。さすがにこれだけの人数がドライブインで食事をしていたら私の入る余地はないだろうし、まして雨の日のチャリダーは服がボトボトに濡れているので店に入るのも気を使うのだ。私は残念ではあるが牛トロ丼は断念して先へ進む事にした。 さらに下ると10時40分に十勝清水インター手前の道道55号線との交差点に着いた。ここでおにぎりを食べながら9合目以来の休憩をとる。日勝峠を越えていた時は山の天気らしく霧と雨でレインスーツを着ての走行だったが、ここまで下ってきたら雨は止んでいたので、これからは十勝平野を走るモードに切換えようとレインスーツを脱ぐ。雨の中を延々と下ってきたせいでレインスーツの裾がドロドロに汚れていたが、深く気にせずにたたんでザックに詰め込んでしまう。 さあこれから十勝平野を疾走するぞと自転車を走らせはじめたが、500mも走らないうちに再び雨が降りだした。今レインスーツを脱いだばかりなのについてない。仕方なく自転車を道端に止めて再びレインスーツを着込むが、先程レインスーツを脱いだ時、裾が汚れたままたたんでしまったので、その汚れが他の場所にも広がってレインスーツがずいぶん汚くなってしまった。ちゃんときれいに汚れを落としてからたためばよかったと後悔する。 レインスーツを着直して再び走りはじめるが、まだ500mも走らないうちに雨が止んだ。しかし今日はそれほど暑くなかったので、レインスーツを着てもそれほど汗をかく事もなかったし、今日は一日ずっとこんな天気だろうと考え、レインスーツの上だけウィンドブレーカーに着替えて走る事にした。それでも10分ほど走ると再びレインスーツに着替えなければならないほどの雨が降りだした。 道道55号線を南に、すなわち十勝平野の西の端を南に向かって南下する。天気予報では今日の十勝平野は曇りだと言っていたのにますます雨が強くなってきた。気象庁の嘘つきと罵りながら雨の中を走る。しかし帯広の現在の天気を調べると曇りなのだ。どうも日高山脈に近い西側だけが雨のようだ。
雨の日の走行は嫌だ。まるで3年前を想い出すかのようだ。しかしあの時とは装備がまったく違う。3年前は何もわからないまま、とりあえずホームセンターで買ったレインスーツだけ持って自転車で雨に打たれていたが、今はレインスーツはゴアテックス製だし、靴だってゴアテックス製なのだ。しかも雨の日にどうすれば濡れないかも、この4回の北海道自転車ツーリングで学習したので、雨の日の走りはずいぶん楽になった。とは言うものの、やはり雨の日の走りは嫌だ。もう走る気さえなくなってくる。 私はもうこんな雨の日の走行を止めて、手近なキャンプ場に飛び込んで雨宿りしようかと考えた。当初の予定では今日は中札内から20kmほど山奥に入った札内川園地キャンプ場に泊まるつもりでいた。札内川園地キャンプ場のすぐそばにはピョウタンの滝があるのだが、このピョウタンの滝は農業用のダムが決壊してできた珍しい滝との事だったので、ぜひとも見てみたかったのだ。しかし今日、十勝平野を南下しても明日は然別湖まで十勝平野を北上するので、ピョウタンの滝さえ断念してしまえば、手近なキャンプ場に飛び込んで、そこを今日のねぐらとしても何の問題もない。しかも札内川園地キャンプ場に行く途中にはキャンプ場が多く存在し、2〜3km離れたところにオークウエイキャンプ場があるし、十数km離れたところにはコロポックルの里キャンプ場、そして30kmほど離れたところにはポロシリ自然公園キャンプ場があるのだ。 雨に打たれながら、どうしようかと考えつつ自転車を走らせると、やがてオークウエイキャンプ場が近付いてきた。私は雨に打たれるのが嫌でキャンプ場に飛び込もうかとも思ったが、まだ時間は11時だし、それにキャンプ場に行っても雨が降っている事には変らないので、雨の中の設営も嫌だし、まして雨の中でテントを張ったら浸水してしまいそうで恐い。それなら雨の中を走れるところまで走って嫌になったら近くのキャンプ場に飛び込む事にして、それまでは札内川園地キャンプ場目指して走る事にした。 朝、日高町を出発して以来コンビニに立ち寄っていなかったので、そろそろ食料が尽きてきた。しかしこのまま道道55号線を走り続けていても中札内までコンビニがあるとは思えなかったので、道道55号線を左に曲がり一度国道38号線に出てコンビニを目指す事にした。11時40分に国道38号線に出ると御影駅を少し過ぎたところにコンビニがあったので、立ち寄って食料を調達する。 雨は相変わらず降り続いている。国道を走っているのでライダーが多く、雨の中を自転車で走っているとライダーがいつも以上に応援してくれるのがありがたい。天気予報を調べると帯広の現在の天気は曇りなんだから、帯広に向かって走れば雨は止むのではないかと考えた。そこでツーリングマップルで帯広への最短コースを調べると、それは今走っている国道38号線という事がわかった。私はてっきり国道274号線が帯広への最短コースで、国道38号線は十勝平野を南に下る道だと思い込んでいたが、実際には国道274号線は十勝平野を北上し、国道38号線は帯広まで走っていた。 国道38号線を東に向かって走り、芽室駅近くまで走った12時10分頃、突然雨が止んだ。私は今まで雨の中を憂鬱な気分で走っていたが、雨があがった瞬間、急に気分は晴れ渡り、十勝平野の雄大な景色を満喫しながら自転車を走らせるようになった。チャリダーは雨が降るのと降らないのでは、こうも気分が違うものかというのを身をもって実感する。 再び雨が降りだすのではないかと考えて、それからもしばらくはレインスーツを着て走っていたが、道道62号線に入り芽室駅に近づく頃には、もう路面は完全に乾いており、しかも雨が降ったような形跡もなくなった事から、もう雨は降らないだろうと判断し、ここからはレインスーツを脱いで走る事にする。 芽室駅から南に3kmほど下ったあたりで12時50分から久しぶりの休憩をとる。雨が降っている時は休憩する気も起きなかったが、さすがに2時間ほど走り続けたので疲れてしまった。ここから札内川園地キャンプ場まではおそらくあと50kmくらいだから、到着は17時くらいになるだろうか。しかしこの頃から南南東からの向かい風が強くなり、なかなかスピードが出ないようになってきた。
さらに自転車を走らせていると絵にしたくなるような牧草地と後ろにそびえる日高山脈が見えてきた。私は自転車をからめて写真を撮ろうと、道端に自転車を止めてカメラを構えたが、自転車は強風の為に倒れてしまい、2m程下の牧草地に2回転しながら落ちてしまった。慌てて自転車を起こし、気合いで道まで引きずり上げて被害状況を確認する。どうやら被害はほとんどなかったが、フロントバッグの上にツーリングマップルを固定する洗濯ばさみが1つ紛失していた。私は自転車を転したあたりを念入りに何度も調べたが、何せ牧草だらけの場所では洗濯ばさみの発見も難しくとうとう見つける事はできなかった。まあ予備を1つ持っていたので、問題ないと言えば問題ないのだが。
ここからは道道55線を東に走るのだが、この道道55号線は川を渡る度に標高を下げていくので、まるで十勝川の大きな河岸段丘を走っているようでおもしろかった。それよりもこのあたりの川は太平洋に向かって流れているのだと思っていたが、実際には一度太平洋とは逆の帯広に向かって流れ、帯広で十勝川に合流して海まで流れていた。この付近では帯広が一番標高が低く、十勝平野の丘は帯広に向かってすり鉢状になっているのであろう。 この頃から東の空が晴れだした。ちょうど十勝川上空が晴れているようなイメージだ。これならもう雨が降る事はないと安堵したが、一方では西側の日高山脈上空には厚い雲が垂れ込めており、雨が降るかどうかは運しだいに思えた。 道道55号線はひたすら人家がまばらに存在するだけの、のどかな農村地帯を走るが、一ヶ所だけ清川という小さな町を通過する。この清川の町に郵便局があった。こんな時間に開いているはずはないと思ったものの、時計を見るとまだ14時20分。もう夕方かと思っていたが、まだこんなに早いのだと少し安心する。
道道55号線を西に走り続けるとやがて国道236号線に出た。ここからは中札内目指して南下する。中札内の町に入るとコンビニがあったので、今日の弁当と寝酒を購入する。札内川園地キャンプ場への到着は遅くなりそうだったのと、雨が降りそうだったので、今日の夕食は自炊を断念しコンビニ弁当で済ませる事にしたのだ。驚いた事にこのコンビニには凍らせたペットボトルが売られていた。これはありがたい。今日はもう必要ないが、明日の朝一番に買いに来る事にしよう。
上札内からは道道111号線に入る。この道道111号線もまっすぐな直線が続く。途中ライダーが私を追い越して札内川園地キャンプ場の方向に走って行った。この道道111号線は札内川園地キャンプ場の少し先にある札内ダムまでしか道がなく、その先は行き止まりになっているので、もしかして私と同じく札内川園地キャンプ場に泊まろうとしているライダーではないかと思ったが、20分ほどすると同じライダーが反対方向から走ってきた。どうやらキャンプ場が気に入らなかったらしい。私は仲間がいなくなってしまったようで少し寂しく感じた。
やがて16時40分に札内川園地キャンプ場に到着した。札内川園地の手前にピョウタンの滝があったので受付を済ませる前に見学する。ピョウタンの滝は1951年に、まだ電気が通っていないこの地に電気を引こうと地域農家が協力し、小水力発電所の貯水池を目的として1954年に建設された一名「農協ダム」だったが、1955年7月の台風15号による洪水のためダムが決壊してしまい、その決壊したダムの痕跡が滝になったという珍しい滝だ。ピョウタンの滝の手前にある虹大橋から写真を撮ったり、滝の横にあるテラスに行って撮影したりと、せっかく目的のピョウタンの滝に来たのだからしっかりと撮影しておく。
テントを張り終えて、自転車を見るとスピードメーターに蝶がとまって、しきりに表面をなめている。後で調べたらこれはイチモンジチョウだという事がわかった。昨日の休憩中にも蝶が腕にとまってしきりに腕をなめていたが、スピードメーターをなめて一体何がおいしいというのだろうか。汗の成分がおいしいのかとも考えたがよくわからなかった。 この札内川園地キャンプ場には近くに温泉がないので、さすがに今日は温泉は断念するしかない。北海道上陸以来一週間連続で温泉に入っていたが、今日で記録も途絶えてしまった。その代わりに屋根のあるステージの上にテントを設営すると、テントにこもって濡れタオルで体を拭いた。
おじさんは話し相手に飢えていたようだし、私も山の話しを聞きたかったので、おじさんと一緒にずっと話をする。おじさんも埼玉の電気系メーカーの技術者だったので、なおさら話しが盛り上がった。おじさんは車なので当然、チャリダーのように最小限の装備で行動しているわけではなく、きゅうりだけでなく温泉卵やチューハイ、さらにはワインと焼酎のお湯割りなど色々なものをご馳走になった。おじさんは山は大好きで、私が聞いた事もないような北海道の山に登っていたので、なぜ日本百名山に登らないのか尋ねると、そんなのはとっくに登ってしまったので、今は北海道百名山に登っているとの事で、恐れ入ってしまった。 おじさんの行動を見ていると、何となく不審尋問したくなるほど行動が怪しく見えた。近くを車が通りかかる度に異常な程、気にしているのだ。それはまるで警察から逃げているかのような行動だったが、どうやらそうではなく、話し相手を探しているだけのようだった。 おじさんは山屋なので、山登りの道具を色々と見せてもらう。3泊できるくらいのフル装備のザックを背負わせてもらったが、手にした時には重く感じたが、背負うと体の一部になったかのようで比較的楽だった。軽量化の話しで盛り上がっていた時、製品を軽量化するには十万分の1まで重さを測定する必要があると教えられた。つまり1kgの製品を軽量化しようと思ったら、十万分の1の0.01gまで測定しなければならないと言うのだ。これは零戦を設計した堀越二郎氏の言葉らしいが、勉強になった。おじさんは私の自転車に積んだ装備の量を見て「無駄が多い、もっと軽量化できる」と言われた。2週間以上旅をするにはこれくらいの荷物は仕方がないと思い込んでいたが、もっと減らす気になればいくらでも減らせるという事だろう。 山の装備を見せてもらうついでに、おじさんの車であるステップワゴンを見せてもらった。中古車を安くで買ったと言っていたが、車を実用的に使っているので感心してしまった。と言うのは、ステップワゴンは3列シートだが、そのセカンドシートとサードシートの左側半分をフルフラットにしてそこにマットとシュラフを常設してベッドにし、右側のシートはセカンドシート、サードシート共に折り畳んで、その部分を物置としているのだ。これには感心してしまった。なるほど、これならいつでも好きな時にすぐに寝る事ができるし、山の荷物や普段の生活用品も置き場所には困らない。それに車の中で寝るのでテントを張らなくていいし、何より雨が降っても困らない。水とトイレさえあれば生きていく事はできそうだ。自分もセルシオを持っていたが、4ドアセダンでは車内で寝る事はできないし、ましてそんな事をする車ではない。セルシオは東京に転勤になった時に手放してしまったので、今度転勤になって再び車を買う時には、こういう車も選択肢に入れようと思ってしまった。 2時間ほどお酒をご馳走になって話し込み20時になると、おじさんは遅くまで起き過ぎたからもう寝ようと言いだした。ライダーだったらこうはいかないが、さすが山屋は夜が早い。おそらく朝起きる順番は山屋、チャリダー、ライダーの順だろう。おじさんはこのキャンプ場が明るすぎるからと言って、この先の林道に車を止めてそこで寝ると言っていた。どうやらこのキャンプ場で泊まるのは私一人のようだ。しかもこのキャンプ場はドコモの携帯電話すら電波が届かない僻地なので少々寂しい。 夕食に弁当と寝酒を買っていたが、おじさんから色々とご馳走になっていたので、弁当は明日の朝食にする事にして、20時から旅の日記を書く。今日は温泉に行かなかったので温泉の休憩室でいつものように旅の日記を書けず、テントの中で旅の日記を書き終わった時には23時になっていた。 明日はどこに行こうかまだ迷っている。とりあえず候補は然別湖と士幌高原ヌプカの里と池田町の3つがある。だが、今日温泉に入れなかったので明日は絶対に温泉に入りたい。そうすると候補は然別湖と池田町の2つに絞られる。天気予報を見てから決めようと思ったが、残念な事に、ここは携帯電話の電波も届かないので、明日、中札内に着いてから天気予報を見て決める事にしよう。 23時過ぎに眠りについたが、23時30分頃まわりが騒がしくて起こされる。どうやらまた暴走族か無法者の若者集団がやって来て駐車場で花火を上げたり酒を飲んで宴会したりと大騒ぎしているようだ。しかも3年前に浜小清水前浜キャンプ場で出会った集団より相当タチが悪く、近くにいるだけで恐怖を感じてしまうくらいだ。私は警察を呼ぼうかと考えたが、よく考えたらここは携帯電話の電波が届かないのだ。こうなったら彼らに見つからないように隠れているのが一番だ。幸いな事にテントは野外ステージの中に張ったので駐車場からは見えないし、自転車も暗くて見えないはずだ。彼らは2時間ほど駐車場で大騒ぎしてようやく帰っていった。さらに3時頃にも再び来たようだが、さすがにこの時には眠くて夢の中だった。
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