朝、目覚めると4時30分だった。10分だけうつらうつらした後、4時40分に起きる。シュラフとマットとジャージをたたんだ後テントを開けるとテントの20〜30m先をコブハクチョウが泳いでいたので写真を撮る。残念な事に今日は朝から曇りだったので、朝日は見れそうになかった。 テントをたたむ前に朝食としておにぎりを食べていると、コブハクチョウがこちらに近づいてきた。私はおにぎりを差し出すと、驚いた事にこのコブハクチョウは完全に人間慣れしており、目の前までやって来た。そこで私は御飯をコブハクチョウの足元に投げてやると喜んで食べていた。ところがコブハクチョウは事もあろうに、私の食べているおにぎりをもっとよこせとばかりに迫ってきたので、足の裏で牽制しつつ少しずつ分け与えて、その間に写真を撮った。
キャンプ場から道道132号線を西に少し走り、滝之町まで一気に40mほど駆け降りる。この滝之町は洞爺湖の水面の標高よりもずいぶん低いので、地震で崖が崩れたら洞爺湖の水が一気に押し寄せて来るのではないかと心配になってしまった。国道453号線との交差点にコンビニがあったので立ち寄るが、6時を過ぎているのにまだ開店していない。今持っている携行食としては、おにぎりとパンが1つずつしかなく、この先の国道453号線や国道276号線にコンビニがあるようには思えなかったので、ハンガーノックになってしまわないかと心配になるが、コンビニが開店していないのではどうしようもない。国道453号線を東に少し坂を登ると、道の駅「そうべつサムズ」に到着した。この先登り坂が多いのに給水できる場所がないので、この道の駅でボトルを満タンに給水する。
キャンプ場を出発してから1時間ほど走り続け、7時ちょうどに今日初めての休憩をとる。1時間でまだ13kmしか走っていないが、もう既に標高で200mほど登ったのだからまずまずだ。昨日洗濯した洗濯物がまだ乾いていなかったが、自転車の荷台にくくりつけて走れば乾くのではないかと考え、貴重な長袖の服をリアの荷台にくくりつけて走る事にする。きっとすぐに乾いてくれるだろう。携行食のクッキーとチョコレートを食べ10分だけ休憩して7時10分に出発する。 ここから先は完全な山道となりアップダウンが続く。しかも路肩が狭い割には交通量が多く大型トラックが猛スピードで駆け抜けていくのだ。アップダウンのある道で大型トラックがスピードを落とさないのはわからないでもない。登りで一度スピードを落とすと加速できなくなるので、下りの時に得たエネルギーで一気に登ってしまいたいのだ。しかしそんな時に路肩の狭い道でチャリダーに遭遇したらどうなる? もちろん対向車が来ていなければ反対車線にまではみ出して避けてくれるが、対向車が来ていたら? 親切なドライバーはスピードを落としてでもできるだけ安全な間隔を保ってくれるが、そうでない人は自転車の30cmと離れていない距離を100km/h近い猛スピードで駆け抜けていくので、とても恐ろしかった。 北湯沢まではアップダウンが延々と続き苦しめられた。幸いな事に山の中の道だったので日陰が多くてそれほど暑さを感じる事はなかった。しかも北湯沢の温泉街を抜けるとアップダウンは少なくなり走りやすくなった。
大滝村に入ると大滝温泉病院というのが見えてきた。病院の中に温泉があるとは、何と羨ましい病院だと思ってしまう。入院しないに越した事はないが、もし入院する事があったらぜひともこの病院に入院したいものだと思わずにはいられなかった。 国道276号線との合流まではまだまだ距離があるだろうと覚悟していたが、大滝村を過ぎるとあっけないほどすぐに国道276号線との交差点に到着した。国道276号線との合流点の少し手前にパーキングがあったので、そこで10分ほど休憩しておにぎりを食べる。8時50分出発。ここまでの走行距離が30km。かなり登ったという事を考えるとまずまずだろう。 国道276号線を東に走るとすぐに道の駅「フォーレスト276大滝」が見えてきた。この道の駅には1億円のトイレがあると聞いていたので、ぜひとも道の駅に立ち寄り、したくもないのにトイレに行く事にした。ところがいざ自転車を止めて道の駅の建物に入ろうとすると、5人くらいの人が入口で待っている。一体何をしているのだろうと思っていたら、どうやらこの道の駅は9時に開館らしく、まだ開いていないのだ。時計を見ると8時59分。1分だったら待っても問題はない。そして30秒後に開館となった。
道の駅で一通りの写真は撮ったが、そろそろ暑くなってきたので、何か冷たいものでも食べたい。運のいい事にこの道の駅には生乳のアイスクリームが売っていたので、それを食べる事にした。確かに生乳のアイスクリームはおいしいが、普段食べているようなコンビニのアイスクリームの3倍の値段分のおいしさがあるかどうかと聞かれると微妙だった。 9時15分に道の駅を出発し、さらに国道276号線を東に走る。道の駅を出発するとすぐに美笛峠の登りが始まった。美笛峠は560mもあるので登り坂が延々と続く事は覚悟していたが、路肩も比較的広くて予想以上にあっさりと登り切ってしまった。よく考えたら道の駅の標高も高いので実際には道の駅から100mほどしか登っていないのだ。美笛峠には頂上にパーキングがあり、そこにあった温度計は32.8℃を示していたがきっと嘘だろう。私の体感温度は28℃だ。
滝笛トンネルを抜けるとすぐに急な下りが続く。途中、美笛パーキングエリアで写真を撮り再び下る。このあたりは滝笛橋、春笛橋、夏笛橋、秋笛橋、冬笛橋、美笛橋、笹笛橋など、笛の名前の付いた橋がとても多く、何となくロマンチックだ。さらに下ると全長335mの美笛トンネルがあり、その美笛トンネルでは片側通行となっていた。その片側通行のトンネルのこちら側の出口にチャリダーの集団が休憩をしていたので挨拶するが、どうやら彼らは私に気が付かなかったようだった。おそらく彼らは片側通行の道で対向車に迷惑をかけないように登りのトンネルを全速力で走ったので疲れ切って休憩していたのだろう。 私も片側通行の美笛トンネル入口でしばらく待ち、青になってすへての車が通り過ぎてから私もトンネルに突入する。こちら側からトンネルに入るとトンネル内は下りなのでそれほど苦労せずともスピードは出る。ところがトンネルに入ってショッキングな事が発覚した。美笛トンネルは335mと短いトンネルだったのでHIDライトは点灯しないつもりでいたが、点灯していないはずなのにトンネルに入るとHIDライトが点灯しているではないか。先程の滝笛トンネルでHIDライトを消し忘れ、ここまでずっと点灯し続けて走っていたのだ。時間にして20分くらいだろうか。バッテリーは2時間もつし、もうこの先、それほどトンネルに入る事もないだろうから影響は少ないとはいえ、それでも消し忘れていた事に少なからずショックを受けてしまう。このHIDライトを消灯するにはボタンを長押ししなければならないが、トンネルの出口で走りながら長押ししていると、あたりが明るくなってくるのでライトが消えたかどうかわからず、消したつもりで消えていない事があるので、トンネルを出る少し手前でライトを消すなど注意が必要なようだ。
国道276号線の支笏湖沿いの中ほどの日陰で10時15分から15分ほど休憩し、おにぎりを食べる。この道は路肩が広くて比較的走りやすいが、なぜか路肩にミミズが大量に死んでいたのは気になった。ここに限らず北海道の道路の路肩にミミズはよく死んでいるものだが、ここは尋常ではないほど多くのミミズが死んでいるのだ。いったいなぜミミズが土の中からアスファルトの上に出てきて、干上がって死んでしまうのか理解できなかった。 10時30分に再び出発し国道276号線を東に走る。すると走り始めてすぐに苔の洞門が見えてきた。この苔の洞門とは樽前山が噴火したときに流れ出た溶岩の割れ目が、沢水等により浸食されてできた自然の回廊状の渓谷で、深さ約10m、幅約3m、長さ約420mの緑の苔で覆われた渓谷だそうだ。しかし崩落の危険がある為、内部への立ち入りは禁止されているそうだ。 このあたりの国道276号線ほとんど緩やかな下りばかりだったので走りやすい。しばらく湖岸沿いの道を走った後、50m程の丘を登って下ったところにモラップキャンプ場はあった。しかし時間はまだ11時だし、今日はまだ65kmしか走っていない。キャンプ場への入口で自転車を止めてこれからどうしようかと考えた。当初の予定ではモラップキャンプ場にテントを張って自転車を軽量化した上で支笏湖を一周するつもりでいた。支笏湖一周は50km弱。時間的には十分のはずだが、何より標高差が大きい。一周するにはキャンプ場から400m以上登らなければならないのだ。この支笏湖一周のコースからは北海道三大秘湖の1つであるオコタンペ湖が見えるので、私はぜひとも行きたいと考えていた。しかし、テントを張って洗濯してたら12時。それから400m登るのは暑くて無理かもしれない。何せ今日の支笏湖畔の最高気温の予想は32℃なのだ。
後で知った話だが、もし支笏湖一周を実行していたら大変な事になっていた。と言うのは、道道78号線は支笏湖オコタン野営場から南側が通行止となっているのだ。すなわちキャンプ場から400m以上登ってオコタンペ湖を通り過ぎ、そして400m下って支笏湖オコタン野営場に着いたところで通行止を知り、また400m登って戻らなければならないところだった。 苫小牧から近くて温泉がそばにあるキャンプ場を探すと、鶴の湯温泉キャンプ場があった。今日はここに泊まろう。そう決めると11時10分にモラップキャンプ場を出発し国道276号線沿いにある苫小牧・支笏湖サイクリングロードへと入っていった。 今日は天気予報で最高気温は32℃だと聞いていたので暑い事は覚悟していたが、11時になっても、暑い事は暑いがそれほど苦しむほどではない。11時現在の気温を調べると支笏湖畔は28℃、これから向かう予定の苫小牧は25℃しかなく、思わず顔がにやけてしまう。時間があれば丸山遠見望楼に行こうかとも考えていたが、丸山遠見望楼への道は4kmほどのダートを標高100mほど登らなければならないと聞いていたので断念してしまう。眺めは相当良いらしいがダートのハードルは高い。これも後で知った話だが、丸山遠見望楼への道は入口がわかりにくいだけでなく、深い砂利の急坂が続くそうで、自転車には相当ハードルが高いらしい。 苫小牧・支笏湖サイクリングロードは自転車専用道路ではあるが、大規模自転車道として整備されていないので、これまで私が走ってきたオホーツクサイクリングロードや釧路阿寒自転車道とは少し雰囲気が違っている。どう違うか言葉では表現しにくいが、とにかく違っていた。わかりやすく言うと手を抜いているとでも言うべきか。走っていて気持ちがいいのは違いないのだが、案内板や白線がほとんどないのは寂しいものだ。
苫小牧・支笏湖サイクリングロードを走っている時、5人組みのママチャリに乗ったチャリダーに遭遇した。彼らはママチャリの荷台に手製のラックを取り付けたり、ザックに背負ったりと、金をかけずに思い思いの方法で自転車に荷物を取り付け走っている。驚いた事にそのうちの一人は背中に背負ったザックに大きな据置型のフロアポンプまでくくりつけていた。普通のチャリダーは携帯用のポンプを装備するが、おそらく携帯用のフロアポンプを買うお金がないのであろう、家にあった据置型のフロアポンプをパンクに備えてそのまま持ってきたような感じだ。自分は高価な山岳用の装備で軽量化したりと楽をしているが、真のチャリダーとはこういう金をかけずに今持っているものだけで何とかし、あとは努力と根性だけで乗り切ってしまうような人の事を言うのではないかと思ってしまう。 苫小牧・支笏湖サイクリングロードは国道276号線沿いの樹海の中を走るが、この樹海が所々切り倒されているのが目についた。こんなところまで開墾して農地にしようとしているのかと思ったが、実際には2004年9月8日に北海道を襲った台風18号の被害によるものだという事がわかった。それにしても6000haというあまりにも広い面積の樹海が切り倒されて荒野になっていたのには驚かされた。
途中、コンビニを見つけた。時間は12時30分で、そろそろ昼食を食べようと思っていたのとボトルの水が完全に尽きていたので、コンビニでジュースとおにぎりを買って休憩がてらに店の前で食べる。このコンビニでも凍らせたペットボトルを探したが、あいにく売っていなかった。その代わりにペットボトルに氷を詰めたロックアイスが売られていた。ロックアイスの氷は完全に砕かれており、凍らせたペットボトルほど長持ちしないように思われたが、試しに買ってタオルで包んでおき、必要に応じてロックアイスのペットボトルにぬるま湯を入れてシェイクし、冷たい水にして飲もうと考えて購入する。 10分程休憩して12時40分に出発。この道道781号線は苫小牧郊外の道路だったので、ホームセンターがないかを探しながら自転車を走らせる。実はまだ北海道自転車ツーリングの全日程の1/3しか経過していないのに、ガスが半分ほどになってしまったのだ。このままガスがなくなってしまうと、コンビニを見つけられないままキャンプ場に着いてしまった時など悲劇を見そうなので、どうにかホームセンターでガス缶を購入しようと考えていたのだが、あいにく道道781号線沿いにはホームセンターはなかった。 道道781号線から国道36号線に入るが、国道243号線に曲がりそびれてしまい、いつの間にか日高自動車道が見えてきてしまった。しまった、これでは行きすぎだ。昨日に続いて2回目の失敗。幸いな事に今日は1kmちょっと引き返すだけで時間的なロスはほとんどなかった。国道234号線に入ると強い追い風で走りは楽なのだが、路肩が狭いうえに交通量が多く、大型トラックが横をすり抜けていくのでとても恐かった。 日高自動車道を越えて少し走ったところに日陰があったので自転車を止めて休憩する。13時30分現在でここまで98km走った。なかなかいいペースだ。先程買ったロックアイスにぬるま湯となったジュースを注いでシェイクすると、それはとても冷たいジュースとなった。しかしこのロックアイスは細かく砕かれているので、2日前の凍らせたペットボトルのように7時間も溶けずに持ちこたえる事はできないだろう。 それからも路肩の狭くて交通量の多い国道234号線を北に走り続ける。早来の駅まで来たが、鶴の湯温泉キャンプ場がない。どうもキャンプ場は国道234号線沿いではなく、道道10号線沿いだと考え、JR室蘭本線を越える陸橋を渡って道道10号線を2kmほど走ると鶴の湯温泉が見えてきた。しかし付近にはキャンプ場という看板がどこにもないのだ。どうやら雰囲気から察するに、昔はこのあたりはキャンプ場だったが、現在ではなくなってしまったような感じだ。私はキャンプ場がないならこの鶴の湯温泉に入るのも断念して、さらに先に進もうかとも考えたが、鶴が湯浴びして傷を癒していた事から発見されたという伝説のある冷鉱泉にぜひとも入りたかったので、キャンプ場はなくても温泉にだけは入る事にした。 ちなみにこの鶴の湯温泉は次のような伝説があるらしい。勇払郡植苗村で旅人宿を営んでいた新潟県出身の井上利三郎は数等の馬を用いて荷物を運んでいたが、仕事が終ると原野に馬を放牧していた。明治4年2月、放牧馬を見に来た使用人が、しばしば病気の鶴が沢池に水浴びするのを見たが、鶴は病気が治ると来なくなった。翌年、また傷ついた鶴が来て水浴びしていたが、傷が治ると再び来なくなった。たまたま人畜の怪我をしたものがあり、試しにその沢池の水を用いて患部を温めてみると疾病はたちまち治り、神のごとき効能があったので、これが霊泉であることがわかった。これを聞いた井上利三郎はさっそく現地において調査した結果、塩分を含んだ硫黄泉である事を知り、この土地を買い取り、そこに建物を建て浴槽を設けて患者の入浴ができるようにして温泉宿を開き、鶴の湯温泉と命名したそうだ。
15時10分に温泉からあがると、休憩室で冷たいジュースを飲みながら旅の日記を書く。500ccのスポーツドリンクを飲みながら旅の日記を書いていたが、冷たいものを飲み過ぎた為か途中から気分が悪くなり、トイレに何回か駆け込む羽目になる。昨年もそうだったが、この時期、温泉の休憩室ではいつも高校野球が放映されており、もう夏の北海道の決まり事のようだ。 今日はテントを先に張らなかったので洗濯はできない。その代わりに温泉を先に済ませたので温泉が近くにあるキャンプ場を選ぶ必要がない。そこでもう一度ツーリングマップルでキャンプ場を探すと、追分町に鹿公園キャンプ場があった。ここまで走ると明日の走行距離が75kmと短くなってしまうが、明日は暑くなってからの登りが多いのと、何より今日は追い風が強く、明日も追い風とは限らないので、今日のうちに追分まで行く事にした。 16時10分に鶴の湯温泉を出発。温泉にタオルを持っていったのでロックアイスは裸のままフロントバッグに入れており、ロックアイスは全部溶けているかと思っていたが、すべては溶け切っておらず、まだ氷は残っていた。途中、早来駅の少し先で早来町営ときわキャンプ場の看板を見つけた。私はこのキャンプ場にしようかとも考えたが、やはり予定通り鹿公園キャンプ場まで行く事にした。しかしこのあたりのキャンプ場は、もともと泊まるつもりのない場所だったので下調べをまったくしていない。よって値段や本当に今でもあるかどうかなどがまったくわかっていないのだ。ただ、何も事前情報なしで飛び込みでキャンプ場に行くのも悪くない、 夕陽を浴びながら追い風の中、路肩の狭い国道234号線を走り続けた。途中、空に轟音が聞こえた。飛行機の音に間違いないのだが、あのけたたましい爆音は旅客機ではない。空を見上げると航空自衛隊のF15Jイーグルの4機編隊が国道234号線を横切っていくところだった。さらにその後も単機のF15Jイーグルが2回通り過ぎていった。一昨年もこの付近でF15を見た覚えがあったが、ここは千歳空港に近いのでF15がよく飛んでいるのだろう。
17時ちょうどに鹿公園に到着。受付に行くと、人の良さそうな管理人さんが「高橋さんですか」と聞いてきた。どうやら今日は高橋という人がバーベキューの予約をしたそうだが、17時になっても来ないので帰るに帰れないとの事だった。管理人さんは私がこのキャンプ場に来るのが初めてだと知るとキャンプ場を案内してくれようとしたが、私が自転車で来たと知って大変驚くとともに、色々と親切に説明してくれた。テントには赤い布を掲げておくようにと言って赤い布を渡された。どうやって返却すればいいかと聞くと、明日の朝9時から管理人室に来ているから、その時にでも返してくれと言うではないか。朝9時までとてもキャンプ場にいないだろうから、その時にはポストに入れておく事で決着する。 フリーサイトに行くと夏休みのキャンプシーズンだというのに私以外には家族連れが1組しかいない。今日は雨も降りそうにないし、ここは風も吹き抜けないので、私は炊事場に近い適当な場所にテントを張った。そして夕食用の米を水にひたして17時40分から買い出しに出かける事にした。コンビニは駅の表側にあったので、軽くなった自転車でコンビニまで走り、寝酒とトマトを買って戻ってきた。戻ってきた時にキャンプ場をぐるっと一周してみたが、なぜかこのキャンプ場には蒸気機関車の動輪と線路が展示されていた。後で知った事だがその他にも飛行機も展示されていたらしい。 この動輪は1940年に製造されたD51465号機のもので、1976年に引退したが、その直後に車庫の火災により焼失し、動輪だけが展示されていた。動輪だけでなく線路も由緒正しきものだった。左側のレールは1898年にアメリカのイリノイ社で製造され日本に輸入し阪鶴鉄道で使用されたもので、右側のレールは1900年にアメリカのカーネギー社で製造され北海道官設鉄道で使用されたものだ。 18時から炊飯開始。このキャンプ場にはバーベキューをする為のテーブルと椅子があったので、そこに自転車を持ち出して食事の準備をする。自転車でキャンプ生活をすると自炊道具一式が自転車に積んであるので、テントのそばでなくても自転車さえ乗りつければ東屋や炊事場、テーブルなど好きな場所で自炊ができるので便利だ。 今日の夕食は牛丼とあさりの味噌汁とトマト。今日は御飯が少し緩かった。食べられないほどではないが、牛丼を食べる時の御飯は少し固めの方がありがたい。芯を残さずに御飯を固めに炊くのは難しいものだ。あさりの味噌汁は具は貧弱だったが味はあさりの味がした。そう言えばトマトを食べるのは長万部以来ではないだろうか。食事をしている時に管理人のおじさんが様子を見に来た。どうやらバーベキューを予約した高橋さんは来なかったようで、管理人のおじさんも帰る決心をしたようだった。
18時30分には夕食の後片付けも終り、19時からテントの中で旅の日記を書く。今日はとても暑く、テントの中は蒸すので裸で旅の日記を書く。しかし今日も書く事が多く、鶴の湯温泉の休憩室で旅の日記を書いていたにもかかわらず、書き終えた時には22時になっていた。このキャンプ場には私以外に1組の家族連れがいた。家族連れは自分達から私に挨拶してきたのでいい人達だと思っていたが、22時を過ぎてもまだ騒いでいた。家族連れだとこんな事もあるだろうと家族連れのテントからかなり離れた場所にテントを張っていたのでそれほどうるさくはなかったが、家族連れは親が子供を連れてクワガタを取りに来たようで、わざわざ私のテントのまわりに来て大騒ぎをしだした。私は頭にきたのでわざと彼らに聞こえるように「うるせぇなぁ〜」と言いながらテントの入口のファスナーを勢いよく下ろしたら、さすがに彼らにも聞こえたようで、すぐに去って行った。 このキャンプ場はトイレがとても立派で、昨日のキャンプ場の古びた汚い汲み取り式のトイレに比べると大きな違いだ。しかも大きな東屋の中にバーベキューのテーブルまであるので雨の日でも安心だ。ただしあくまで公園の中のキャンプ場なので、昼間は近隣住民が遊びや散歩に来るのは避けられない。ベースキャンプとして長期の連泊には向かないが、夕方に来て朝出かけるだけなら、なかなか良いキャンプ場のように思われた。 今日は長時間走ったので水を4リットル飲んでしまった。天気予報では最高気温32℃となっていたが、実際にはそんなには暑くはなかった。しかし、ここ追分町に来ると夜になっても気温が下がらず暑いままだ。あまりに暑かったのでジャージの上を着ずに、シュラフもファスナーをおろして足を出した状態で22時30分に就寝する。
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