昨夜は22時にシュラフに入ると途中一度だけ目覚めたが、ぐっすり寝ることができた。4時10分に目覚めたがまだ周りは誰も起きていなかったのでもう少し寝ることにする。次に目覚めたは4時50分。まだ周りは起きている雰囲気でなかったが、とりあえず旅の日記だけ書いて5時から朝食と撤収の準備を始める。テントから出るとちょうど朝日が見られた。 今朝は昨日に比べても暖かくフライシートのジッパーに取り付けた温度計を見ても18度を示していた。これなら濡れたままのサイクリングジャージーを着ても寒くはない。ついでに天気予報も確認するが今日は晴れ時々曇りで代わり映えはせず、気温は11時には29度、14時には31度というものだった。そういえば北海道を直撃するはずの台風6号がどこに行ったのかまったく調べないままだった。
今日は撤収のスタートこそ5時と遅かったが、撤収は順調に進み6時20分に撤収の準備が完了した。出発する時、昨日話しかけた4人組み大学のサークルらしきグループも撤収を進めていたのでどこへ行くのか聞いてみたところ旭川に行くとのことだった。このグループの女性の一人が自転車のフレームに付いた夜露をタオルで拭いているのを見てびっくりした。夜露で濡れたフライシートをタオルで拭く人はよく見かけるが自転車を拭く人は初めて見た。まあ人それぞれだからいいのだけど。
6時20分にキャンプ場を出発し天塩川にかかる止若内橋を渡ると国道40号線に戻るのではなく、そのまま天塩川沿いの道を走ろうと考えていた。2007年に走った時に得た経験から国道40号線まで戻ると標高差で25mは登らなければならないが、JR咲来駅まで天塩川沿いの道を走れば登ることなく国道40号線に合流することを知っていたのだ。ところがこのこの道に進入しようとして通行止めの標識を見つけた。これではショートカットできないではないか。
やって来たチャリダー4人組はすぐそばの天塩川温泉駅に自転車を止めると自転車をばらし始めた。きっとこの駅から輪行するのだろうけど、こんな駅に電車など来るのだろうか? そしてこんな駅に止まるワンマンカーに4台も自転車を輪行したら車両の出入り口が埋まってしまうのではないかと心配になってしまう。
JR音威子府駅には立ち食いそば屋「常磐軒」があり、ツーリングマップルによると黒くてコシのある音威子府そばが名物とある。私もこの店の音威子府そばはお気に入りで北海道に来た時、何度か食していた。今回もせっかくここまで来たのだから食べたかったのだが、開店が9時30分だったので断念して先を急ぐ。音威子府の町の国道275号線の交差点には道の駅おといねっぷがある。まだキャンプ場を出発して間がなかったのでここもパスだ。
今日は南風ということもあってスピードが乗る。2007年にここを走った時にもスピード記録を出したが、今日もハイペースで飛ばした。これならカメ作戦など気にする必要もないだろう。この音威子府から先の国道40号線はアップダウンが少なく追い風になりやすいのでとても走りやすくスピードに乗りやすい。 カメ作戦とは2007年の北海道自転車ツーリングにおいて遭遇したソロの女性チャリダーの走りを参考に私が採用するようになったペース配分だ。自転車ツーリングでは残り何kmだったらあと何時間とか、どこで休憩するとかのペース配分がなかなか難しい。そこで休憩を含めた平均時速を12.5km/hで走る事にして2時間を一区切りとし、出発から25km走ったら2時間までの残りの時間を休憩時間とする。これを2時間おきに25km走って繰り返すことで平均時速12.5km/hを達成するというものだ。しかし実際には観光地巡りをしたり峠を走ると2時間で25km走れないことが多く、あくまでペース配分の参考程度とする事が多い。
途中、全長955mの富和トンネルがあった。このトンネルは内部で左カーブとなっておりドライバーから自転車が見えにくいことから怖かった。しかも国道40号線は幹線道路で交通量が多く、ヘッドライトを点灯せずにトンネルを走るドライバーも多く、リアのフラッシングライトを点滅させていても怖かった。 国道40号線を走り続け道の駅なかがわで休憩しようと考えていたが、道の駅まではキャンプ場から41kmもありそこまで休憩なしで走るには遠すぎた。そこで途中の道道119号線との合流地点を過ぎたところに自転車を止めてバナナを食べつつ8時30分から10分間休憩した。この頃、再び左足の足の裏が痛くなり始めた。しかしペダルを踏む位置を微妙に変えることで痛みは和らいでいった。
2007年にこの道を走った時は今日より20分遅い6時40分にキャンプ場を出発したのに道の駅なかがわの出発時刻はまったく同じだ。つまり9年前は同じ41kmのコースを20分早い時間で走っていたことになる。今日は天気が良くてそこかしこで写真撮影をしていたので仕方がないと言えば仕方がないのだが、体力が落ちたことを実感する。 道の駅を出発するとコンビニに立ち寄るかどうか悩んだ。中川のコンビニは国道40号線の走る天塩川西岸ではなく中川の市街地のある東岸にあるのだ。天塩川に架かる橋は何本かあるので橋を渡ればすぐにコンビニに行けるのだが、まだバナナが2本残っていたのでコンビニはパスしてこのまま走り続けることにした。
さらに後方からすごいスピードで3人組のチャリダーに追い抜かれた。彼らはサイドバックを付けずキャリアの上に荷物をくくり付けるだけかバックパックを背負うだけの軽装だったので軽いのは明らかだ。しかし私が時速20km位で走っているのに彼らは30km近くで走っており、あっと言う間に見えなくなった。よくあのハイペースで走り続けることができるものだと感心する。 9時50分に国道40号線を外れ道道395号線に入る。ここで再び足の裏が痛くなってきたので5分ほど休憩をとり、今度はハンカチを足の裏に入れて対策した。これで少しはマシになるだろう。今年の北海道自転車ツーリングはは靴を変えたせいか足の裏が痛くなることが多い。 新問寒別橋で天塩川を渡る。このあたりが一番標高が低く標高16mとなる。JR宗谷線の踏切を越えるがこのあたりのJR宗谷線は雑草が生え放題で線路が見えないほどだった。JR問寒別駅前で道道583号線に切り替わり、ここから問寒別川に沿って走る。貨車の形をしたJR問寒別駅の駅舎になぜか引かれるものがあり自転車を乗り付けて写真だけ撮影しておく。
今日はここまで69km走った。今の時間は10時55分だからカメ作戦とほとんど同じタイムだ。私はここで少し疑問に思った。今日は旅の日記も書かず、過去のスピード記録にも近いタイムで走っているのになぜカメ作戦と同じタイムでしか走れないのだろうかと。 そもそもカメ作戦を発案した2007年にはカメ作戦はゆっくりと走るために発案した。峠もない場所を走っていたらカメ作戦などあっという間に越えてしまう。しかし今や峠がなくてもカメ作戦と同じ時間にしか走れなくなってしまった。この違いはなんだろう。私は昨日今日とあまりのスピード差で追い抜いていったチャリダーのことを思い出し、自分の体力がかつてより落ちてしまったのではないかと考え込んでしまった。
私は標高で100m登る毎に休憩しようと考えていた。しかしこの道道785号線の知駒峠は高規格の道路のようで道の両側から10mほどまで木をきれいに切り倒しており日陰というものがまったく存在しない。そろそろ気温が上がってきており日陰に入るとまだ我慢できるが、日向はアスファルトの照り返しがあり肌が焼けるように暑い。どうにか日陰を探すがなかなか日陰が存在せず最初に休憩できたのは標高160m地点で11時20分から休憩する。さすがにこの暑さで峠越えとなると水をがぶ飲みだ。 さらに峠を登り続ける。この峠は周囲の木を切り倒していることもあって眺めがよく、登りながらも後ろまで見渡しながら走った。そして次の休憩場所を探すが相変わらず日陰がなく、標高280m地点にどうにか見つけたほんのわずかな日陰で11時55分から10分ほど、最後のバナナを食べながら休憩する。私の休憩は日陰次第だ。
そこからもさらに登り続けた。次の休憩場所を探すうちにツーリングマップルには「晴れた日には遠くに利尻山を遠望」と書かれていることに気づいた。利尻山の方向から考えると後方に見えるはずだ。私は後方を何度も振り返りながら坂を上り続け、とうとう利尻山を見ることのできるポイントを見つけた。私はここぞとばかりに自転車を乗り付けて利尻山をバックに写真を撮影した。確かに利尻山は見えたが残念ながら距離が遠くて霞んでいた。
私はここで気づいた。ここまでのタイムと距離を計算すると77kmを6時間20分かけて走っている。これはカメ作戦と大差ない。あれ? 知駒峠の麓の段階でカメ作戦と同タイムではなかったか? いくら何でもこの知駒峠の登りを平均時速12.5kmのカメ作戦で走れるはずがない。私は混乱した頭を整理すると、どうやら麓の段階で時間を1時間間違えていたようだ。私は1時間間違えていたことで自分の体力低下を心配したが、それは杞憂だったとわかって少し安心した。
ここからの国道275号線は右手に敏音知岳を見ながら緩やかな下りを走る道となり走りやすい。この道は2005年にも走ったことがあったがこの時には逆方向に走っていた。この道を北上するのは今回が初めてとなる。中頓別の手前に上駒パーキングエリアがあったので13時20分から5分ほどだけ休憩する。ここにはトイレもあったので水を補給し水浴びをした。
上駒パーキングエリアを出発し少し走ると中頓別の町に入る。ここにはコンビニがあったので買い出しする。中川の町でコンビニに行きそびれてここまでバナナだけで食いつないでいたので正直おなかがとても空いていた。私は腹の足しになるものと暑かったのでアイスクリームも食べたかったが、一緒に買うとアイスクリームが溶けてしまうので先にカルボナーラを買って店の前で食べて、その後アイスクリームを買って再び店の前で食べた。
アイスクリームを食べる頃にはすっかりと曇り空になって薄暗くなってきた。ここまでは顔の日焼け止めのためタオルによるホッカムリをしていだが、これだけ曇るならもうタオルはいらないだろうと考えてタオルなしで走ることにした。 中頓別の北の外れには寿公園がある。ここには9600型蒸気機関車の他、航空自衛隊の戦闘機F104Jスターファイターが展示されている。私はいつものようにF104Jの前に自転車を持ち込んで記念撮影した。このF104Jの前では2005年、2013年に続いて3回目の撮影となる。こんな辺鄙な場所にある公園でもよく訪れるものだ。
今日は朝のうちの日本海側は南風で追い風となって走りやすかったが、午後から走ったオホーツク海側は風速5m/sくらいの北風で向かい風となり、平地でも時速15kmくらいしか出なくなった。向かい風は辛いが、もうキャンプ場も近いしのんびり走ることにする。 中頓別では曇っていたが再び晴れだしたのでタオルをほっかむりにして走る。今日は暑いのだが気温はそれほど高くないようだ。天気予報で確認すると26度しかない。昨日まではずっと31度の中を走っていただけにこの気温の低下は救われた。どうも日本海側は相変わらず31度だがオホーツク海側は涼しいようだ。 国道275号線は多少のアップダウンはあるが頓別川沿いの平坦な道を走る。向かい風に苦しみながらものんびり走っていたら再び左足の裏が痛くなってきた。知駒峠を登る前に痛くなって靴の底にハンカチを入れたはずだ。これ以上入れるものはないのでとりあえずハンカチを外してみると、これはこれで調子がよくなった。つまりは足の裏を圧迫している場所を変えてやればいいようだ。 中頓別から浜頓別までの国道275号線はしばらく頓別川沿いの平坦な道が続いたが、浜頓別まであと5kmに迫ったところから丘越えが始まる。丘越えと言っても30mクラスの丘が1つと10mクラスの丘が1つだけなのでたいした事はない。この丘を越えると浜頓別だ。 浜頓別の町に15時20分に到着。まずはセイコーマートがあったので今日の夕食の買い出しを行う。いつものカップ野菜とヨーグルトに加えて、クッチャロ湖畔キャンプ場にはゴミ箱があることを知っていたので、角ハイボールも購入しておく。 コンビニの前にH社らしきバイクに乗った人を見かけたので早速にも声をかけたが、あいにくそのバイクはアメリカのH社のバイクではなくヤマハだと言われた。独特のエンジン音を聞けばすぐにわかるのだが、バイクに興味のない私には止まっているとH社がどんなバイクかよくわかっていないことを痛感する。 コンビニを出発し浜頓別の町中を走って15時40分にクッチャロ湖畔キャンプ場に到着。出発から9時間20分で116km走っているので平均時速12.5km/hとカメ作戦通りのタイムだ。前半はかなり飛ばしていたがやはり峠で予定通りのペースに落ち着いたようだ。 受付を済ませてテントを張る場所を探しに行く。昨日の天塩温泉リバーサイドキャンプ場の様子からすると今日もクッチャロ湖畔キャンプ場はテントでいっぱいかと思っていたが、まだ時間が早いこともあってかテントはまだ3〜4割程度張られただけで、まだまだ張るスペースは残っていた。今日は風が強いかと思っていたが案外そうでもなく、サイトは全くの無風状態だった。
16時30分には洗濯も終えた。洗濯物は自転車にかけて水滴を落とす。乾くことはないだろうけど絞れないくらいには乾くだろう。この洗濯物は例え乾いていなくても暗くなる前に取り込むことが重要だ。なぜなら乾くことを欲張って朝まで干しているとほとんどの場合、夜露のために後になると干す前よりも濡れているのだ。私の経験上、夕方に洗濯しても1時間ほど干して絞れないくらいまで水滴を落としておいて暗くなる前に取り込んでおけば、靴下は無理としてもサイクリングジャージーは着ることができるようになっているものだ。 炊事にはまだ早かったので旅の日記を書くことにした。今日はテーブルの横にテントを張ったのでテーブルで旅の日記が書けるのでとても楽だ。ベンチに座ってテーブルにツーリングマップルを広げながらポメラを打ち込む。しかも夕食前にもかかわらず角ハイボールを飲みながらだ。これは至福の時と言えよう。
夕食は後かたづけも含めて17時40分には終わり、再び旅の日記を書くことにした。日没まではまだまだ時間がありそうだったのでテーブルでのんびりと旅の日記を書いていたが、いつの間にか水平線上に雲が出てきて太陽が雲に隠れてしまいそうだったので慌てていつもの白鳥の舎の駐車場に向かう。
19時ちょうどにはまとんべつ温泉ウイングに行く。昨日に続いて2日連続で温泉に入れるとは幸せだ。19時30分には温泉からあがって休憩室で旅の日記を書く。今日もツーリング中はほとんど旅の日記を書いてこなかったので書くことがとても多い。1時間ほど休憩室で旅の日記を書いていたが、その間テレビが流れていたにもかかわらず一度も天気予報が流れなかったので台風4号が今どこにいるのか知ることはできなかった。 20時30分まで休憩室で旅の日記を書きテントに戻ることにした。私のテントのそばにはライダー4人組が陣取ってずっと喋っている。元々は熟年夫婦二人連れだったのでうるさくはないだろうと思って近くにテントを張ったが、後からライダー2人がやって来て宴会を始めている。22時には終わってくれればいいのだが。
天気予報を確認するとようやく台風4号の行方を知ることができた。どうやら知床半島を南から北に向かって通り抜けていくような感じで、ここ北オホーツクには大きな影響はなさそうだが、台風が最接近する明日午前には雨が予想された。 天気予報の確認も終わったので22時30分から寝ることにしたが隣のテントのライダーたちはずっと喋ったままだ。徹夜で喋るつもりだろうか。相手にしていられないので深酒して女子マラソンをイヤホンで聴きながら寝ることにした。シュラフに入ってしばらくしてから近くのテントの人がこの4人組にうるさいと注意したようだったが、その直後に寝てしまったのでその後どうなったかはわからない。
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