目が覚めたら4時15分だった。今朝は久しぶりに一度も夜中に目覚めることなく、ぐっすりと寝ることができた。このキャンプ場は裏が道路なので、うるさいというわけではないが、裏を車が通るとそのタイヤの音が雨の音のように感じてしまうからドキッとしてしまう。しかしテントから顔を出しても洞爺湖の空は低い雲が垂れ込めていて曇天だった。 今朝は不思議なことに露付きがまったくなかった。いったいどういう原理で露付きが起きたり起きなかったりするのかわからないが、残念なことに露付きが起きなくても自転車に干していた洗濯物は完全には乾いていなかった。今日も曇天で朝から少し寒かったので、濡れた服を着ずに、乾いているデュラエースのサイクリングジャージーを着る。
荷物を自転車に積み込んで、重い自転車を砂浜を押していき5時40分にキャンプ場を出発する。キャンプ場を出るとすぐに道道2号線を下って滝之町に出た。この町にはコンビニがあるが、残念なことに朝7時にならないと開店しないので、今は素通りだ。そして国道453号線に入り、少し急な坂を登りきると道の駅「そうべつサムズ」がある。私はこれからオロフレ峠を登るのに備えて、ここで給水するつもりでいたが、ボトルに水を1リットル以上の水を既に積んでいたのと、一昨日の経験から気温が高くなければ、それほど水は飲まないだろうと考え、給水なしで道の駅も素通りする。
6時10分にスタートから8km地点の道道2号線への分岐である久保内に到着する。ここからいよいよオロフレ峠への登りが17km続く。この頃から空が晴れだしたが、まだ朝早いので太陽が低くて日陰が多いし、何より気温が低くて走りやすい。しかし一つ計算違いがあった。このオロフレ峠も中山峠やニセコパノラマラインのような峠だろうと思っていたが、少々違っていた。それは中山峠やニセコパノラマラインは傾斜が6〜7%程度しかなく、前と後ろのギア比も1:1あれば十分登れた。しかしこのオロフレ峠は傾斜が非常にきつく、場所によっては10%を越えているのだ。もちろんギア比は1:1では登れないので、前24T、後ろ30Tまで落として、それでも登るのが大変なほど傾斜がきついのだ。頂上までたった17kmだと思っていると痛い目に遭うだろう。それほどまでにオロフレ峠は登りがいのある峠だ。
そして8時55分にやっとオロフレ峠展望台に到着。道道2号線の麓の久保内の標高が130m程度だから標高930mのオロフレ峠展望台まで標高差にして800m、距離にして17kmを2時間40分で登ってきたことになる。休憩を含めても100mを20分のペースだからまずまずのペースだろう。
全長909mの少し狭いオロフレトンネルを越えてオロフレ峠を下り続けた。道道2号線の登別側への下りも洞爺湖側の登りと同様に傾斜が急でブレーキをかけ続ける必要がある。特に登別側は滑り止めにアスファルトを縦に削っている箇所が多く、そこをタイヤの細い自転車で走るとふらついて危ないので、時速30km/h以上出さないようにブレーキをかけ続けたら、ここ数日間で酷使した後輪ブレーキはかなりすり減ってしまった。 下りはゆっくり下ってきたのでカルルス温泉に着いたときには10時ちょうどになっていた。私はてっきり下りだけで登別まで行けるものだと思っていたが、その考えは甘かった。途中でいくつかの丘越えがあり、太陽が燦々と降り注ぐ中、そろそろ気温も上がってきたこともあって苦しめられた。
坂を下って登別の温泉街に入ると、そこは観光客だらけで、みんな地獄谷に向かって歩いていた。私も倶多楽湖に行くため同方向に自転車を進めるが、さすがにこれだけ観光客が多いと地獄谷に行く気がせず、地獄谷はそのまま素通りしてしまう。せっかく登別に来たのだから地獄谷に行けばよかったと思わないでもなかったが、まあ次の機会でもいいだろう。
日和山展望台を過ぎれば、あと少し登れば倶多楽湖かと思っていた。しかしどこまで登っても倶多楽湖に到着しない。とうとう疲れ果てたのとお腹が空いてきたので、11時10分から登り坂の途中の日陰でパンを食べながら5分ほど休憩する。
倶多楽湖はすぐに出発したが、倶多楽湖を出るのにも、また外輪山を標高で90mほど登らなければならない。倶多楽湖は摩周湖と同じすり鉢状のカルデラ湖なので、湖岸まで降りると登るのも大変だ。どうにか標高350mまで登り、そこから外輪山の外側を一気に下った。 下っている途中で再びおなかが空いてきたので、森の中でパンを食べながら5分ほど休憩し、再び出発する。ほどなくして道道2号線に合流し、途中、巨大な鬼の写真を撮りながら下りだけで国道36号線まで一気にたどり着くことができた。 国道36号線に入ったのが12時10分。ここまで山岳コースばかりを60km走ってきた。60kmを6時間30分かかっているので相当遅い。昨日も午前中に60kmしか走らなかったが、昨日は出発が遅かったのと、途中で貝の館を見学したり旅の日記を散々書いていたから距離が伸びなかったのだ。しかし今日は出発はいつもより早かったし、旅の日記も書くことなく、ひたすら走り続けてこの結果だから、相当登りがきつかったのが伺えるだろう。 国道36号線に入ってからは久しぶりの平地の走りとなる。今日は南からの風なので強い追い風となり、今まで苦労して峠ばかりを走ってきたことに比べると、平地を走るのはこんなにも楽だという事を改めて知る。よく考えたら平地が主体の北海道一周よりも、東北の三陸海岸を上から下まで走破したり、四国一周する方がはるかに厳しいと思われる。 そんな楽な走りをしていると、「日本三大美人湯 虎杖浜温泉ホテルほくよう」と書かれた大きな看板があった。こんな虎杖浜温泉が日本三大美人湯だっけと疑問に思っていたが、帰宅後に調べると日本三大美人湯は群馬の川中温泉、和歌山の龍神温泉、島根の湯の川温泉だった。まあ勝手に名乗るのはいいけど、せめて北海道三大美人湯くらいにしておかないとJAROに訴えられそうな気がする。
強い追い風に押されながらメーター読みで時速25km/hくらい、平均時速も20km/hくらいで走り続けた。今日は時間がなければ白老のポロトの森キャンプ場に行こうと思っていたが、白老に13時に到着してしまったのでさらに先に進むことにした。この先のキャンプ場というと、登別から70km離れた厚真町の大沼野営場か安平町のときわキャンプ場になる。13時の段階からこれだけの距離を走るのはちょっと気が引けたが、強い追い風の平地ということもあり、まあ大丈夫だろう。 昼過ぎになりそろそろ暑くなってきたので、白老のコンビニで凍らせたペットボトルを買おうとしたが、あいにく売っていなかったのでアイスを買って店の前で食べた。暑いと言っても自転車で走っていて汗をかかないくらいだから、きっと25℃くらいだろう。しかし凍らせたペットボトルは同じ北海道でも地域によって売っていたり売っていなかったりするので困ってしまう。 国道36号線は海のすぐそばを走る区間もある。私は一昨日の日本海が海の見納めかと思っていたが、よく考えたら太平洋も見ることができるのだ。しかしこのあたりの海は見るべきものもなく、海が反対車線ということもあり、一度も海の写真を撮影することはなかった。しかしさすがに国道36号線は海沿いの国道ということもあり、また私が反時計回りに走っているという事もあって、チャリダーを数多く見かけた。
そしていよいよ苫小牧の街中に突入する。こんな大きな街は信号と交通量が多くて通りたくないのだが、そんなことは言っていられない。信号と交通量に悩まされながらどうにか苫小牧を突破。途中道道259号線に入るが、この道は海岸沿いの倉庫街を走る道で、自転車で走っていてあまりおもしろい道ではなかった。今日は大沼野営場に泊まるつもりなので、近くにコンビニはないだろうと考え、苫小牧の町外れの沼ノ端のコンビニで寝酒やカップ野菜を購入しておく。苫小牧の上空にあった雲は実際にはもっと海の方にあったようで、苫小牧の町は晴れ渡っていた。 明日は国道237号線で富川と日高経由のかなやま湖まで行く予定にしていたので、できるだけ富川に近づいておこうと、大沼野営場に泊まるつもりでいた。その為には6年前の北海道一周の時にも走った日高自動車道の側道を走るのが一番近い。私は今回もそこを走るつもりでいたが、いざ日高自動車道に来たものの、側道がないのだ。しばらく周辺を探してみたが、やはり日高自動車道への入り口があるだけで側道はない。これは後でわかった事だが、この日高自動車道への入り口と思われたのが側道への入り口だったのだが、私はそれに気付く事はなかった。 私はどうしようかと考えた。側道がないのでは大沼野営場には相当な大回りになってしまうので、このまままっすぐ走ってときわキャンプ場に行こうかと考えた。しかしときわキャンプ場に行ってしまうと、明日のコースが夕張経由で日高に行くか夕張経由で富良野に行くか、それとも岩見沢経由で旭川に行くかしかなくなってしまう。夕張経由の日高に行くコースは一昨年走ったコースでもあり、あまり走りたくなる道ではない。夕張経由で富良野に行くコースはかなやま湖をパスしてしまうのであまり嬉しくない。岩見沢経由で旭川に行くコースは、いずれも帰りも同じコースをたどることになるので、これも嬉しくない。やはり今日は遠回りしてでも大沼野営場に泊まることにした。 日高自動車道の側道が使えないので、仕方なく沼ノ端まで戻って道道781号線に入り、海岸線沿いを厚真まで行くことにした。これまではずっと強い追い風で楽な走りだったが、勇払までは完全に逆風になり、苦しめられた。しかも海沿いは完全な霧で視界も悪く、まるで荒野を走っているようだった。私はこの段階で大沼野営場を選ぶべきではなかったのでないかと疑念が沸いていた。
今日の走行距離は140kmを越え、そろそろ大沼野営場が近づいてきたはずだが、キャンプ場の標識が見えない。もし見つけられなかったら、もうこの時間では他のキャンプ場にたどり着けないので、野宿しかない。いったい大沼野営場はどこにあるのだろうと不安になり始めたその時、ようやく気持ち程度の標識を見つけた。その標識によると、いきなりダートの道へ案内している。仕方なく私はダートの道を進み、途中舗装路にでたが、野営場への直前に暗い森の中に突入していくような急な下りのダートがあった。これを見たとき、私は大沼野営場を選んで失敗したと思った。しかし、急なダートを下ると、そこにはこじんまりとした大沼と、その周りに雰囲気のよいキャンプ場が広がっており、ようやく17時ちょうどに大沼野営場に到着した。もうふらふらだった。 大沼野営場は私の他は夫婦連れが一組しかなく、広いキャンプ場はがらんとしていた。このキャンプ場は有料と聞いていたので、私は先客の夫婦連れに管理人はどこにいるのかと尋ねたが、夫婦連れ曰く、管理人は常駐しておらず、あとでお金を集めに回っているとの事。しかし今日は平日だからきっと集金には来ないといういい加減なものだった。私は大沼の周りのキャンプサイトを自転車で回ったが、湖畔沿いの炊事場に近い場所といえば入り口近くの湖畔沿いしかなかったし、今日はこの雲と霧では夕陽など見れそうもなかったし、どうせ宿泊客は先客の夫婦連れだけだろうと思っていたので、入り口近くにテントを張る。 テントを張ると17時30分から今度は自炊に備えて米を水に浸し、その間にテントに入り、濡れタオルで体を拭く。大沼野営場は近くに温泉がないのと、今日はもう温泉を考える余裕もなかった。そして服を着替え、今まで着ていた服を洗濯する。洗濯していて気付いたのだが、洗濯物を干すためのロープを持ってくるのを忘れていた。今までずっと自転車に干していたので必要としなかったが、洗濯物を干した後で自転車を使いたい場合、ロープがないと自転車が使えないのだ。それにしても今回の北海道自転車ツーリングではレインスーツやジャージーなどよく忘れ物をする。
どうにか18時40分までに後かたづけまで終わらせ、それからテントにこもって旅の日記を書いた。あたりが真っ暗になった19時30分頃、一人のチャリダーがキャンプ場にやってきたようだ。もう遅いので挨拶は明日にするが、よくこんな暗くなるまで走れるものだと感心する。さらに20時頃までに車が3台ほどやって来てどこかにテントを張ったようだった。そして21時30分頃、1台の車が家族連れを乗せて私のテントの隣に止まり、すぐそばにテントを張り始めた。こんなに遅い時間にキャンプ場に来るのも論外だが、23時を過ぎても子供に騒がれてしまった。自分がテントを張るときには家族連れのそばはうるさいので避けるが、家族連れが後から自分のそばにテントを張られたらどうしようもない。 今日は標高930mのオロフレ峠を麓の標高130m地点からと、登別から倶多楽湖までの190m、そして倶多楽湖から出るのに90mと、合計したら今日も峠を登った高さは1080mを越えてしまった。これで2日目と3日目に続いて峠を1000m以上登ったのは3回目になってしまった。しかも1000m以上の峠に登ったあと、80km以上走っているのだからたいしたものだ。一昨日のように80km以上走ってから1000m登るのと、今日のように1000m登ってから80km走るのとどちらか選べと言われたら、それはきっと究極の選択だろう。 明日の予定は富川、日高、占冠経由でかなやま湖に行くつもりにしていたが、先ほどツーリングマップルを確認していたら、走行距離が135kmくらいになりそうなので、ここはもう日高で手を打つかもしれない。さすがに連日ハードすぎる。明日ここを出発する時間次第だろう。 今日は昼間の休憩時間中に旅の日記を書かなかったので、夕方以降テントにこもって旅の日記を書くのに5時間もかかってしまい、大変だった。やはり少しずつでも休憩時間中に書いていかないと、夜テントに入ってからやることが多くなりすぎる。このキャンプ場ではワンセグの電波が入ったので報道ステーションを見ていたら、東海地震で東名高速が寸断されたそうな。このお盆の時期に大変なことだろう。23時にようやく旅の日記を書き終え、就寝する事にした。寝る前に外を確認したらすごい霧が発生していた。今日はなぜかとても暖かく、シュラフから腕を出して寝る。
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