昨夜は夜中の1時頃、人の話し声と足の痛さで目覚めたが、それ以降は1度も目覚めることなく熟睡できた。足の痛さはアンメルツのせいだろう。4時30分に目覚めると外は雨の降っている音がする。憂鬱になりながらも天気予報で天候を調べるが、鵡川の今日の天気は晴れ時々曇り。何でこんな天気予報なのに雨が降っているのだろうと不思議に思って外に出ると、霧が深くて近くの木立の葉に付いた水滴が落ちる音だった。しかし天気予報では明日は雨、明後日は雨後曇りに変わっていたので、明日以降どうするか考える必要がありそうだ。 テントから出ると外は一面の曇り空に加えて深い霧。肝心の大沼もほとんど見えない。せっかく大沼を撮りに来たのに霧がまったく晴れなかった。私は早速、昨日残したご飯でおじやの準備に取りかかる。まだ誰も起きていなかったが、私が朝食を作る音で、昨日夜遅くにやってきた家族連れの奥さんが起きてきた。今日は昨日のような無理をした走りをしないので、もっとゆっくりしていってもよかったのだが、私はおじやを食べると出発の準備を整えていった。霧の為にテントは雨に打たれたように濡れており、タオルで拭いてたたむが、焼け石に水で、特にフライシートはたたんでもずぶ濡れ状態だった。出発直前になって昨日のチャリダーが起きてきたが、挨拶を交わしただけで、私は6時ちょうどにキャンプ場を出発した。
私は鵡川の町で一つ行きたい場所があった。それは鵡川の河川敷にある鵡川たんぽぽ公園だ。もちろんこの時期にタンポポなど咲いているはずもないが、せっかくだからどんな場所なのか確かめておこうと考えたのだ。私は国道235号線を離れ、鵡川の町を横切ってタンポポ公園に立ち寄った。そこには何の代わり映えのしない河川敷の公園があり、入り口にはタンポポ公園と書かれていた。5月中旬になると10haにわたってたんぽぽが咲き乱れ、まるで黄色いジュータンを敷きつめたようになるそうだが、やはりタンポポの咲く時期でないと来てもあまり意味がないようだ。
コンビニを出発する時、10mくらい離れた駐車場に止まっていた車の助手席から小学生くらいの子供がずっとこちらを見ているのに気付いた。よほど物珍しいのか、一切目線をそらすことなくこちらを見ている。ジロジロと見られるのは気持ちのいいものではないし、その小学生の度胸を試してやろうと考え、自転車を走らせると、こちらもサングラスをかけたままその小学生から目線をそらすことなく助手席の横まで自転車を乗り付けて、その小学生の顔を真正面からマジマジと見てやった。さすがに小学生もビックリしたようで私から目線をそらした。これからジロジロと見る失礼な輩にはこの手を使う事にしよう。 ここからは国道235号線を離れ、国道237号線に入る。国道237号線はこの付近では北東に走っており、今日は南からの風だったので、追い風となってとても走りやすかった。平取の町にさしかかると、平取の町は相変わらず義経で町興しをしようとしているようで、義経公園には義経神社なるものまで存在していた。平取の町はよほど観光客を集める目玉がないらしい。 平取の町を走っていた頃、救急車が2台と消防車が1台、サイレンを鳴らして私を追い抜いていった。私はその様子から、きっと大きな車の事故でもあって、車に閉じこめられた人がいるからレスキューまで呼んだと直感した。
二風谷ダムのすぐそばには二風谷アイヌ文化博物館や沙流川歴史館がある。私は時間があれば見学しようかと考えていたが、開館が9時からで、あと15分ほどあったし、今日は早めにキャンプ場に入ってのんびりしたかったので、先を急ぐ事にする。駐車場には開館まで時間をつぶしているのであろうソロのライダーがいたのが印象的だった。
さらに走ると出発から61km走ったところで、振内の鉄道記念館に9時40分に到着。鉄道記念館に隣接する振内鉄道記念公園でパンを食べながら旅の日記を書き、20分ばかり休憩する。この公園にはD51蒸気機関車が展示してあったので、ついでに撮影し、横にはキャンプ場もあったので水道でボトルに給水する。ここの鉄道記念館は入館料は無料だし鉄道用具が展示されているそうなので時間があれば見学していこうと思っていたが、玄関まで行くと驚いたことに見学するには役場に電話して鍵を開けてもらうシステムになっていたので断念する。よほど見学者の少ない記念館なのだろう。いったい年間の入場者数が何人なのか知りたいところだ。
郵便局とコンビニに寄っていたら出発は10時20分になってしまった。彼らよりも先に出発したが、ほどなく先ほどの2人に追い抜かれてしまった。かなりのハイペースでとても追いかけることはできなかった。彼らはサイドバッグを付けず、ザックだけを背負って走っていたので、自転車が軽かったのだろう。あと一人はどうしたのだろうと思っていたら、ちょうど撮影したい場所があったので自転車を止めてカメラを構えていたら、残りの一人がやってきた。その一人は私よりもわずかにペースが遅いらしく、あとから出発した私も、いつの間にか追いついてしまった。しぱらく彼の後ろを走っていたが、やはりペースがあわないので追い抜いて先に行く。 それからも残りの一人を後ろに従えて国道237号線を走り続けた。一番距離が離れた時で500mほど離れただろうか。しかし気に入った景色があると私は自転車を止めて撮影するのですぐに追いつかれ、追い抜かれてしまう。そのうちに先ほどのコンビニから10kmちょっと離れた場所で、先に追い抜いていった二人が休憩していたので、私は彼らを残して先に走り去っていった。 彼らを残して一人で走っていると、前方からチャリダーがやって来た。私はいつものように満面の笑みで「がんばってぇ〜」と言って大きく手を振ると、彼は外国人のチャリダーで、「涼しくていいねぇ〜」と流暢な日本語で言っていた。確かに今日は… いや、この夏の北海道は涼しくて走りやすい。これだけ走りやすい日が続くのは、7年目の北海道自転車ツーリングで初めてではないだろうか。
日高までは緩やかな登りが続くが、今日は弱い追い風だったので坂を感じることなく走り続け、三人組のチャリダーを後ろに従えたまま日高の町に11時40分に到着。スタートから5時間40分で86km走ったことになるので、カメ作戦よりもずいぶんハイペースだ。国道237号線は富川から日高までアップダウンを繰り返しながら標高で300mほど登っているが、私の昨日までの登坂に比べれば、この程度の登りは平地のようなものだ。それほどまでに今日の走りは楽だった。 日高の道の駅「樹海ロード日高」でボトルに給水しようかと思ったが、振内のキャンプ場で給水しており、まだボトルにはたくさん水が残っていたのと、国道237号線からでは、日高の道の駅に行くには少し寄り道しなければならないので、そのまま素通りする。交差点にコンビニもあったが、既に振内で今夜の分も買っていたのでコンビニにも寄らず、そのまま日高の町を素通りした。 よく考えたらこれまで日高の町には二回来たことがあったが、二回とも日高の沙流川オートキャンプ場に泊まっているので、日高の町を通過したことなど一度もなかった。いわば私にとって日高は交通の要所、宿場町みたいなものだったが、今回初めて通過したことで何か新鮮さを感じた。しかし振内の鉄道記念館で休憩して以来、もう1時間30分ほど走り続けていたのでさすがに疲れを感じ、日高の交差点を越えて少し登ったところで20分ほど休憩しパンを食べながら旅の日記を書いた。
日高峠の頂上には標識も何もないので写真も撮らずにそのまま素通りする。日高峠の反対車線には温度計があるのを知っていたので、現在の温度を確かめると25℃を示していた。今年の北海道の夏は涼しくて走りやすい。いつもだったら涼しいけど雨か、晴れているけど暑いかのどちらかだったが、今年は両方のいいとこ取りだ。 日高峠を下って占冠に向かう。日高峠の占冠側は急な下りの直線道路が続くので、ここで速度記録に挑戦する。時速54.8km/hをマークしたが、サイドバッグを搭載したフル装備の状態ではこれが限界だろう。日高峠の日高側は峠を下ればすぐに日高の町だが、占冠側は占冠に着くまでに10km近く走らなければならず、ペダルを回さずに占冠まで着けるというほど甘くはない。しかし基本的には下りなので自転車では走りやすかった。 この国道237号線を走る頃から、手を挙げてくれるライダーの数が明らかに多くなりだした。これまで国道36号線等を走っていると、こちらから手を挙げてもなかなか挨拶してもらえなかったことが多かったが、国道237号線に入ってから、しかも日高を越えてからはほとんどのライダーが手を挙げてくれるようになり、またライダーの方から手を挙げてくれることも多くなり嬉しい限りだ。 日高峠を越えて走り続けると、やがて13時5分に占冠に到着した。ここには道の駅「自然体感しむかっぷ」がある。確か昨年はこの道の駅の隣の占冠ショッピングモールの建物の横で休憩した覚えがあった。今年も休憩できる場所を探していたら、昨年とまったく同じ場所にベンチが置いてあったので、ベンチに座ってパンを食べ、旅の日記を書きながら20分ばかり休憩する。
私の予想では金山峠の麓のパーキングから金山峠の頂上まで、標高で100mほど登らなければならないと思っていた。しかし覚悟していた割にはあっけないほど簡単に金山峠を登ってしまい頂上に到着した。登った距離に比べると、下りはかなり長く、ずいぶんと坂を下って15時ちょうどにようやく金山に到着した。 金山からは国道237号線を離れて道道465号線に入り、かなやま湖を目指す。この道道465号線は、最初のうちはフラットな走りやすい道だった。しかし金山ダムが遠くに見えるようになると、突然金山シェルターなるシェルターが出現し、そのシェルターの中の傾斜が10%を越えているのではないかと思えるほど急なのだ。私は後方から追突されないようにリアのフラッシングライトを点滅させて、あえぎながらシェルターの急坂を登ったが、一つ目を登ったところで力尽きてしまった。
その一環からか金山ダムは一般観光客でも堤頂の上を車で走れるようになっていた。私は迷わず金山ダムの堤頂の上に自転車で乗り付けて走った。北海道自転車ツーリングでダムの堤頂の上を走るのは糠平ダムに続いて2回目だが、なかなか気持ちのいいものだ。堤頂を渡ると対岸にはダムの管理事務所があり、その1階は湖・ダム・ふれあい展示ホールがあった。ここは入場無料で展示ホールからはかなやま湖を眺める事ができるだけでなく、休憩スペースや、金山ダムに関するパネル展示やビデオ上映もあったが、私は早くキャンプ場に行きたかったので、中には入らずもっぱら金山ダムを撮影した。それにしてもこのダムは市民に開かれた観光ダムのように思えてしまう。
今回の北海道自転車ツーリングでは1日目から2日目あたりではキャンプ場到着近くになると靴の問題で足の小指付近が痛くなってきていた。しかしここ数日はその問題も起きず、快適だった。今日も全然問題ないし、きっとここ数日履き続けた為に靴が大きくなってきたか、もしくは足が痛くならないようなペダリングをするようになったのだろう。 それからもかなやま湖沿いを走る道道465号線を走り続けた。この道はかなやま湖の湖畔を走るのだが、意外とアップダウンがあり、洞爺湖の湖畔を走る洞爺湖ぐるっと一周線のようには好きにはれなかった。金山ダムを過ぎてからも道道465号線を走り続け、ずいぶん走ってからようやくかなやま湖を見渡せる場所に到着した。それまでにもいくつか展望台はあったが、とても木が邪魔してかなやま湖を見渡す視界が広くなかったが、ここだけは広かったので自転車を止めて写真撮影する。
明日は雨になりそうだったので、できるだけ雨をしのげるところを探す。管理人のおじさんはステージの上はダメだが、横ならテントを張ってもOKと言っていたので、坂を下って先にステージを見に行くが、ステージの横にテントを張っても雨はしのげそうになかった。しかしステージから少し離れたところに木立の茂みがあり、ここなら多少の雨ならしのげそうだし、何よりステージが風避けになってくれそうだったので、迷わずその木立の茂みの中で少し盛り上がっている部分を見つけだし、そこにテントを張る。いつもだったら今日のように風の強い日や雨が予想される日にはテントを張る場所を決めるのに慎重になるものだが、今日はあっけないほど簡単に決まった。
テントに戻ると自炊の準備として米を水に浸し、その間に先ほどまで着ていた服をスーパーの袋に入れてジャブジャブと洗濯する。天気が良ければこうして毎日洗濯できるのがありがたい。少し時間が余ったので、テントサイトからかなやま湖まで降りてみることにした。湖畔まで降りると、かなやま湖が見渡せたので写真を撮る。それだけでなく、このかなやま湖畔キャンプ場がいかに広大かということもわかった。サイトを歩いて回ると大変なので管理人のおじさんはスクーターでサイトを回っているほどだった。湖畔を歩いているうちに雨が降り出したので慌てテントに戻った。
明日の天気予報は一日雨、明後日も雨後曇りとのことだ。詳細な天気予報を見ると明日は朝の6時からずっと雨のようで、しかも午後から夕方になるに従い、雨が激しくなっていくようだ。もし明日雨が降り続くようであれば、レインスーツも安物のことだし、ここに連泊も覚悟しなければならないだろう。もし雨が止むようなことがあれば、美瑛の千代田の丘キャンプ場まで85kmほど走ってもいいが、そうすると千代田の丘キャンプ場で3連泊する事になるので、それも考え物だ。どうなるかは明日の天候次第だろう。 今夜はまだ雨こそ降っていないが、風が強くて何だか肌寒い。昨日一昨日と暖かかっただけに、今日はずいぶん寒く感じる。ニセコ野営場と同じくらい寒いのではないだろうか。周りの家族連れも距離が離れているせいか、風の音が強いせいか、話し声一つ聞こえないのは不気味だ。このキャンプ場ではワンセグの電波が入らず、22時を過ぎるとやることもなくなってしまい寝ることにした。果たして明日はどうなることやら。
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