昨夜もあまり寝られなかったが、夜中に2回しか目覚めなかったので、まだましな方だろう。寝た時にはまだ寒くはなかったが、朝方寒くなってきた。しかし寒くて寝れないというほどではなかった。4時20分に目覚めるが、まだ誰も起きていなかったし、少し寒かったのと、今日はそれほど走らないはずなので、5時まで眠りそれからのんびりと起き出す。テントを出ると今朝は霧がなくイワオヌプリがきれいに見えたので写真を撮った。朝食は昨夜残したご飯をおじやにして食べる。 今朝はさすがに気温が低く、昨夜洗濯してまだ乾いていない濡れたままの服を着る気にはならず、今日は昨日一昨日と着ていたデュラエースのサイクリングジャージーではなく、新しいパナソニックのサイクリングジャージーを着る事にした。もちろんパッド付きのパンツも新しい乾いたものだ。昨夜洗濯した濡れたままの服は自転車の荷台に干しておけばすぐに乾く事だろう。
キャンプ場を出ると道道58号線はいきなりの急坂だ。その途中には昨日行きそびれた五色温泉橋展望台があったので、展望台まで自転車で乗り付けて写真を撮る。この展望台の入り口には「ミネラルウォーター」と書かれた水道の蛇口があったのでボトルに給水しておく。しかしきっとキャンプ場の水道の水と同じだろう。
この国道5号線の倶知安からニセコまでの道は、昨日も走った道だ。同じ道を2日続けてしかも同じ方向に10km以上もの長い距離を走るのは初めてではないだろうか。しかし昨日よりも交通量が多いような気がする。昨日はこの国道5号線に7時30分に入ったが、今日は昨日より40分遅れだ。その違いだろうか。昨日とまったく同じ道を昨日と同じような天候の元で走っていると、これから蘭越、岩内を回って再びニセコパノラマラインを走りそうになるから不思議だ。しかしそれだけは勘弁してもらいたい。 8時50分にニセコに到着。昨日と同様、道の駅「ニセコビュープラザ」は素通りして道道66号線に入る。この道道66号線はニセコから真狩までかなりの高さの丘を越えることになり、ずいぶん苦しめられた。羊蹄山を取り囲む道路は倶知安、京極、真狩、ニセコと羊蹄山を囲むように四角を描いているが、いずれの町も低い場所にあり、隣の町に行こうとするにはどうしても丘越え、いや、山越えになってしまうようだ。特に京極と真狩、そして真狩とニセコの間はそれなりの登りがあるような気がする。 これは後で調べた事だが、羊蹄山を取り囲む4つの町と、その町を結ぶ道の最高点の標高は次のようになる。倶知安180m、倶知安−ニセコ間230m、ニセコ140m、ニセコ−真狩間270m、真狩230m、真狩−京極間320m、京極230m、京極−倶知安間260m。従ってニセコから真狩まで走ると130mの丘越えという事になる。 そしてもう一つ気になるのが、この羊蹄山を取り囲む倶知安、京極、真狩、ニセコの町には、倶知安以外の町に道の駅があるのだ。これだけ狭い地区に3つも道の駅があるというのは、きっとそれぞれの町が競いあって建設したに違いない。ついでに言うと、真狩の道の駅から7kmしか離れていない場所に留寿都の道の駅があるし、ニセコの隣の蘭越には驚くべき事に道の駅が2つもあったりする。 道道66号線は羊蹄山のすぐ横を走る。ニセコまでは霧で何も見えなかったが、ニセコを過ぎると空は晴れだし、羊蹄山が頂上まできれいに見えるようになってきた。すると前方でライダーが歩道上にバイクを止めて羊蹄山をバックにバイクの写真を撮っていた。私もここで写真を撮ることにして、三脚をセットすると再び自分撮りを行った。このニセコ周辺では景色がきれいなので、撮りたくなる被写体が多いから、なかなか自転車が前に進まない。
羊蹄山の湧き水からは下りが多くなり、走りやすくなる。9時50分に真狩に到着。真狩の道の駅「真狩フラワーセンター」でパンを食べ、ここまでアップダウンが多かったのと、これから留寿都までの登りに備えて長めの休憩を取り、その間、道の駅のベンチに座って旅の日記を書く。30分ほど旅の日記を書き10時20分出発する。ここまでは3年前より15分早いだけだ。 道道66号線を少し走るとフラワーパークというパーキングが見えてきた。ここは別に何があるというわけではないが、羊蹄山がよく見えたのと、水道があったので、タオルとアームカバーを濡らして暑さに備える。暑いと言っても実際には25℃くらいと思われたが、それでも太陽の光を浴びながら坂を登ると汗が噴き出してくる。 真狩から留寿都までは地図を見てもそうだし、実際現場に行っても、それほどきつい峠があるようには思えない。ほとんどフラットな平地を走っているような感覚にとらわれる。しかし実際には真狩から170mほどの登りがあり、しかもかなり急な傾斜の道なので、なかなか自転車が前に進まず苦しめられることになる。私は3年前にここで同じようにへばってしまい、途中で休憩を余儀なくされたことがあったが、今回はあらかじめそれを知っていたので、一気に留寿都まで行くことができた。この道道66号線の真狩から留寿都まではなかなかハードだ。 峠を越えて、あと少しで留寿都に着くというその時、道道257号線からチャリダーが出てきて同じ方向に走りだした。あまりに偶然のタイミングだったので、私は挨拶をして彼の後ろを走り始めた。期せずして同行することになったが、数百mほど走った国道230号線との交差点の手前で彼は止まったので、同行するのはここで終わった。11時ちょうどに留寿都に到着。すると留寿都の交差点には他にも3人組のチャリダーも日陰で休息しており、なぜかこんな田舎町にチャリダーが集結していた。
そろそろおなかが空いてきたので、国道沿いの日陰に自転車を止めて11時20分から休憩しパンを食べる。先ほどのチャリダーが来ないものかと思っていたが、結局来なかった。さらに自転車を走らせると、私の嫌いな貫気別橋を越える。ここは橋を越えるのに70mも下って、それから再び70mも登らなければならないので大変だ。どうにか貫気別橋を越えると今度は大原小学校だ。ここは3年前に炎天下を逆走した苦い思い出がある。先ほど休憩したばかりだったのでここでは休憩せず、大原小学校の前で再び羊蹄山をバックに自分撮りをチャレンジする。 大原小学校を出発すると分岐がある。3年前は国道230号線に進んで苦しんだ覚えがあったので、今回は道道66号線に入る。この道道66号線に入って坂を下り始めてすぐにチャリダーが日陰で休憩しているのが目に入った。きっと洞爺湖から登ってきて急坂と暑さで力つきたのだろう。私は挨拶して先に進んだ。
12時35分に展望台を出発。再び道道66号線の急坂を下ると、すぐに洞爺湖の湖岸に到着した。私はそこから反時計回りに走り始めた。この道道578号線、通称洞爺湖ぐるっと一周線は木立に囲まれた洞爺湖の湖岸を走る気持ちのいい道で、私はぜひともここを満喫したかったのだ。残念なことに洞爺湖は霞んでいたので中島はぼんやりとしか見えなかったが、まあ自転車で走るには問題ないだろう。
13時ちょうどに洞爺湖温泉街に到着。火山科学館に行きたかったのだが、これからさらに周囲36.5kmの洞爺湖をもう一周するとなると時間的に少し厳しいので、今回はパスする。温泉街を通り抜け、壮瞥に行くとコンビニがあったので、パンと牛乳を買ってその場で食べる。夕食の分はもう一周するときにでも買いに来ればいいだろう。壮瞥の町を少し過ぎると昭和新山が見えてきた。私はいつか昭和新山や有珠山火口原展望台に行きたいと思っているのだが、今日は時間的にも厳しいので、また次の機会にする。 コンビニを出発し洞爺湖湖岸沿いに道道2号線を走ると、前方から女の人が二人歩いてくるのが見えた。遠くからだとどうもその女の人たちは服を着ておらず、ビキニの水着を着ているように見える。こんな海水浴場でもない道路上をビキニの水着を着た女の人が歩いているはずはないと思ったが、すれ違うときによく見ると、やっぱりビキニの水着を着た金髪の外人の女性だった。いったい彼女たちはここで何をしていたのだろうか?
私は砂浜に自転車を持ち込むと、3年前と同じ場所にテントを張った。砂浜の上なのでペグが刺さりにくいが仕方あるまい。波打ち際まで50cmの距離しかないが、海ではないので問題ないだろう。しかしこの波の音に眠れるかどうか… テントを設営し、重量物をすべてテントに入れると、今度は14時30分から温泉と洞爺湖一周36.5kmに向かって走り始めた。これは3年前より1時間10分早いタイミングだ。目指す温泉はここから7kmほど離れた来夢人の家。ほんの少しアップダウンのある洞爺湖湖岸沿いの気持ちのいい道を走り続け、15時には来夢人の家に到着し、温泉に入る。この温泉は湯船が一つだけで洗い場も狭く、露天風呂があるわけでもないが、390円という良心的値段がうれしい。温泉の中でかつてはチャリダーだったらしいおじいさんに話しかけられたが、何を言っているのかよく理解できず、適当に話を合わせておく。15時30分には湯船からあがり、休憩室で16時まで旅の日記を書く。今年は3年前と違って逆走しなかった分だけ時間的に余裕があるのが嬉しい。そして温泉を出ると少しおなかが空いていたので、これからの洞爺湖一周に備えてパンを食べて力を付け、再び日焼け止めを塗る。
洞爺湖ぐるっと一周線をずっと走ると、中島の北西あたりの道道578号線にガードレールの途切れた部分がある。時間もあることだし、ここでも洞爺湖と中島をバックに自分撮りを敢行することにした。自分撮りをするのは今日一日だけで何回目だろう。おそらく10回近く自分撮りしていると思われる。それほどまでに自分撮りは楽しい。しかし1回撮影するのに5分ほどの時間がかかってしまうので、なかなか走行距離が伸びないという問題がある。今日も12時の段階で60kmしか走っていなかったのは、もちろん休憩しながら旅の日記を書いていたというのもあるが、自分撮りをし過ぎたせいもあるだろう。これから距離を走るときは自分撮りを控えるようにしよう。逆に景色のいい美瑛等では距離など関係なしに自分撮りにひたすら挑戦できるようスケジュールを組みたいものだ。
コンビニを出ると、もう夕陽は沈みそうになっていた。ゆっくりし過ぎたと考え、私は慌てて自転車を走らせた。昨年より時間は早いはずだったが、地平線付近に雲があったので、予定よりも早く太陽が隠れてしまいそうなのだ。しかも洞爺湖全体が雲で隠れてしまいそうな勢いだ。どうにか太陽が沈む前の18時10分にテントに戻って来ることができた。テントに戻るとすぐに自転車を湖畔に持ち出して夕陽をバックに写真を撮るが、2枚撮ったところで夕陽は雲に隠れてしまった。
洗濯を済ませると嫌なことに気付いた。昼間テントを張ったときには一番湖に近いペグから波打ち際まで30cmはあったはずだ。しかし今見ると波が昼間より高くなっており、波打ち際は浸食され、その距離は10cmほどになっていて、高い波が来るとテントのフライシートに水しぶきが飛んでくるほどになっていた。これでは夜中に安心して寝ていられないので、私はペグ全部引き抜くと、テントを湖から30cmほど後退させ、再びペグを打ち込んだ。これなら少々波が高くなっても大丈夫だろう。 18時40分から自炊開始。この頃には太陽は沈んでしまい、もう真っ暗だったがどうにかヘッドライトの明かりなしで自炊する。今夜の夕食は中華丼にあさりの味噌汁とカップ野菜。19時には炊きあがり、15分蒸らして19時15分から食べ始めるが、ヘッドライトなしではほとんど真っ暗だった。本当だったら夕焼けでもじっくりと眺めながらの夕食となるはずだったが、あいにく洞爺湖全体に雲が低く垂れ込めており、夕焼けを見ることはできなかった。 夕食が終わり、真っ暗な中を後片づけして19時40分からテントに入って旅の日記の続きを書く。今日は自転車を走らせる合間の休憩時間に1時間以上も旅の日記を書き、しかも温泉の休憩室でも30分ばかり旅の日記を書いていたが、まだまだ書くことが多くて当分終わりそうにない。しかも今日の分だけでなく、途中で気付いたことを昨日の分や一昨日の分に追加しているので時間がかかるのは仕方がないだろう。 洞爺湖では夏の期間中、毎日ロングラン花火を開催することを知っていたので、20時40分から三脚を自転車のサドルに巻き付けて赤外線レリーズをバルブモードにして待機する。45分からいざ花火が始まったが、不安定な自転車の上にこれまた不安定な三脚をセットし、なおかつフレーミングの極めて難しい花火を撮影するので、なかなかうまく撮影することができず苦心する。20枚ほど撮影したが、煙が多くなってきて花火がきれいに見えなくなってきたのと、バルブモードは電池の消耗が早いので、花火の終わりを待たずに撮影を適当に切り上げる。それでも3年前に手持ちで撮影した花火の写真よりはマシに撮影できたと思う。
天気予報を確認すると北海道はどこも13日だけが曇り時々雨で、それ以外の日はほとんどが晴れ時々曇りとなっている。これだけ天候に恵まれ、かつ気温も涼しいのはこれまでの北海道自転車ツーリングでは始めてではないだろうか。昼間は自転車に乗っていれば急坂を登らない限りそれほど暑いとも感じないし、夜はそれほど寒いわけでもないし、これこそ自転車に適した気候と言えるだろう。 22時には旅の日記を書き終え、やることがなくなってしまったのでワンセグのニュースを見る。ここはワンセグが入るからありがたい。初日に支笏湖のモラップキャンプ場でわずかばかり電波が入ったが、それ以降はさっぱり入らなかったので、ここでニュースを仕入れておく。しかし22時30分頃、どうしても眠たくなってしまい、ワンセグを消してそのまま寝ることにする。夕方にはあれだけ波の音が大きかったのに、22時を過ぎると湖面は鏡のように静まり返っているし、昨夜は寒かったが今は暖かいので、ぐっすりと寝られることだろう。
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