昨夜も一度も目覚めることなく目覚めたときには4時20分だった。そろそろ外が明るくなり始めているが、外はあいにく小雨が降っているようだ。私はしばらくうとうとしていたが昨日の分の旅の日記を書いていないことを思い出し、起きて書くことにした。 そう言えば今年の北海道自転車ツーリングではよく寝ることができる。ここ2〜3年ほどは夜あまり寝ることができない事が続いていた。私は普段は寝付きはいい方で夜寝られないということはほとんどないのだが、北海道自転車ツーリングでは気持ちが高揚しているのかなかなか寝られないのだ。しかし今年はウイスキーのおかげかほとんど毎晩熟睡しており体調は万全だ。
雨が降りそうになかったことから私は朝食にラーメンを作ることにした。今日で持参した5食パックのラ王は食べきってしまったので、どこかのコンビニでラーメンを買い込むことにしよう。どうにかラーメンを作って食べ終えるまでは雨が降らずにもってくれた。
顔を洗っていて気付いたのだが、昨日一昨日あたりから顔の肌がツルツルになったような気がする。正確には鼻の頭から油がいっぱい出るようになったイメージだ。私の予想によるとこれはここ数日の暑い中で大量の汗をかきながら走ったことで体の老廃物が汗と一緒に流れ出し、今までは毛穴が老廃物で蓋されていたのが蓋がなくなったことで顔の脂が出るようになり、老廃物がなくなったことでツルツルになったのではないかと思う。自転車ツーリングにはこうした効果もあるものだ。 今日の天気予報は曇り後雨だったが完全に晴れてしまった。この晴れ間を利用してテントを乾かしていたこともありキャンプ場の出発は6時45分となった。おかげでいつもはフライシートが夜露で濡れたまま収納していたが久しぶりに乾いた状態のフライシートを積み込むことができた。 今日走るコースは遠軽まで60kmほどコンビニがない。そこで紋別の町を3kmほど逆走してコンビニに立ち寄ることにした。手前にセブン−イレブン、奥にセイコーマートがあった。私は迷わずセイコーマートに行ったが、そのセイコーマートはなぜか閉店していた。仕方なく私はセブン−イレブンに行くとパンと飲むヨーグルトを買い、昨日残していたバナナと飲むヨーグルトを店の前で食べた。今日は晴れているし暑くなりそうだったので凍らせたペットボトルを買おうとしたが、あいにくこのセブン−イレブンには凍らせたペットボトルが売っていなかった。
国道238号線を横切ると道道305号線に入った。この道道305号線は一本道ではないので標識をよく見ていないと道に迷いそうになるが、どうにか予定のコースに乗る事ができた。この道道305号線は序盤、本当に緩やかな登りを走り続ける。
道道305号線には道端に距離の表示板が数多く立っている。これは北オホーツクウルトラマラソン等でもよく見かけたマラソン用の距離表示だ。2つ並んでいたので20kmコースと50kmコースの2つがあるようだったが、いったいこの道でどのようなマラソン大会が行われているのか後で調べてもわからなかった。
交通量のほとんどない道道305号線を走り続けると駅頓が見えてきた。ここは上藻別駅頓といって1926年に建てられたものだ。駅噸とは鉄道がなかった時代に人馬の乗り継ぎや旅人の宿泊施設、郵便業務などを兼ねた北海道独自の官設の施設で20kmおきに建てられた。しかし鉄道の普及に伴い駅噸は廃止され北海道に600以上あった駅噸はほとんどが姿を消し、現存する駅噸はわずかとなってしまった。この上藻別駅頓は紋別市と遠軽町社名淵間を結ぶ交通路の駅噸の1つとして建てられ、2008年には国の登録有形文化財に選定されている。
元々の天気予報では昨日15日から21日までの一週間、雨か曇りばかりで晴れないはずだった。ところが天気予報に反して今日は見事なまでに晴れている。こんな晴れ間は今回の北海道自転車ツーリングではもう見られないのではないかと考え、眺めのよい場所で三脚を取り出して自分撮りを実施した。今回は夜景だけでなく自分撮りにも三脚が大活躍だ。
そんな時、道の両側にかつて町があった痕跡が見えるようになってきた。これは鴻之舞鉱山跡と言って1916年に発見された鉱山だ。かつては東洋一の鉱山と言われ金の埋蔵量は佐渡金山、菱刈金山に次ぐ3位の産金実績がある。しかし1955年の年間産金量2.98トンを最高に次第に衰退し1973年に閉山となった。当時現地には2万人もの人が住んでおり、住宅だけでなく学校や病院、商店、劇場などがあったが今では建物も撤去され跡地を忍ぶ標識が立っているだけとなっている。
9時40分から上原峠の登坂開始。麓の標高が180m程度なのに対し峠の頂上は標高459mなので高さで280mほど、距離にして6kmほどの登りだ。この上原峠は平均勾配は5%程度で単調に登っていく。ところが上原峠を登り始めると空が曇り始めた。曇ったおかげで直射日光を浴びることはなくなり、おかげで暑くなくなったのはいいのだが雨が近いことが予見された。 この上原峠は道の両側まで木を切り倒していないのでそこかしこに日陰があり休憩場所には困らない。標高350m地点で10時5分から2回目の休憩をとり最後のパンを食べる。それからも急な坂道を上り続け10時35分に標高459mの上原峠に到着。頂上には「上原峠」と書かれた標識こそあったが、景色がいいわけではなくすぐに遠軽に向かって下ることにした。
その傾斜が緩やかになった頃、自転車から異音がすることに気づいた。どうも道路のギャップを乗り越えたときスタンドから音がするようだ。私は2007年のスタンド脱落の事を思い出した。この時もスタンドから異音がするのでチェックしていたが、手持ちの工具ではどうすることもできずにそのまま放置していたら、急坂を高速で降下中にスタンドが外れてスタンドを踏みつけた後輪が瞬時にパンクしたことがあった。 今回も同じようになったら困るなと自転車を止めてチェックすると、どうやらスタンドから異音がするのではなくボトルケージから異音がすることがわかった。ネジがバカになったことでボトルケージが完全に固定できず、空のボトルを入れると異音がするということがわかった。これなら放置しても大丈夫だろう。 この時にはそう思っていたが、北海道から帰宅後に再度調査したところ、やはりスタンドがぐらついて異音がしていたことが判明した。ただしボルトが完全に固着して取れなくなっていたのでクレ556を大量にかけてどうにかボルトを外し、新しいボルトを買ってきて再度しっかりとスタンドを取り付けたことで異音はしなくなった。
自転車の装備が私とまったく違って古いコンポで固められていたのには感心した。私も7400系と7700系のデュラエース、そして970系のXTRという15年ほど前のコンポで固めているので新しいとは言えないが彼のはそれ以上だった。私がもっとも驚いたのはその荷物の量だった。彼はキャンプや自炊はせずに宿を渡り歩くスタイルのはずだが荷物の量はキャンプや自炊までする私より多く見えた。彼が言うにはカメラ関係の荷物が多いと言っていたが、私も一眼レフに三脚まで持ち歩いている。 どこまで行くのと聞かれて温根湯と答えると15時から雨になるから気をつけてと言われた。それまでには着くだろうけど雨が降る前に乾いた地面にテントを張りたいものだ。あまり引き留めては申し訳ないので5分ほど話をしてお互い逆方向に走っていった。お互い毎年北海道を走っているのにこれまで合わなかった方が珍しいと言うべきか。
12時5分にコンビニを出発。遠軽の町も信号が多くすぐに赤になるので走りにくい。自転車の加速力ではすべての信号に引っかかる感じだ。3年前にお世話になった遠軽厚生病院の横を過ぎる。湧別川を渡る遠軽橋から振り返ると願望岩が見えたので写真を撮っておく。晴れていればあの上まで行きたかったが、今や完全に曇り空でいつ雨が降り出してもおかしくない状態だったので断念する。 遠軽の町を抜け12時35分に国道242号線に入る。この国道242号線に入った頃から向かい風がひどくなった。今日は全体的に南風で今日の行程ではほとんどが向かい風となってしまう。昨日の追い風のうちに距離を伸ばして正解だった。しかも国道242号線に入った頃から雨まで降り始めた。私はレインスーツを取り出して着るが、インターミディエイト止まりでフードを被ったりレインシューズカバーを装着することはなかった。 今日は雨と逆風、さらに上り坂で交通量も多いという四重苦に苦しみながら走り続けた。この道は2013年にも走ったことがあったが遠軽から留辺蘂まで40km近くあり、そのほとんどが上り坂で、かつ休憩場所がほとんどないという地獄のような道だ。それでも私は自転車を走らせ続けた。
8月11日に北海道に上陸してから9月8日まで休みがまったくない状態で体が持つのだろうか。しかも北海道から帰った直後に12時間も飛行機に乗って昼夜逆転の時差ボケに苦しめられながら仕事をこなさなければならない。どうせこの先雨続きなら21日まで北海道にいなくても先に帰って1〜2日自宅でゆっくりした方がいいような気がしてきた。 そこで今回の北海道自転車ツーリングで私がまだ回っていない峠だけをピックアップすると、美園峠とカネラン峠と釧北峠の3つがある。この3つの峠はぜひとも走りたいのでこれをコースに組み込んで最短で走るコースを立案すると、今日は予定通りおんねゆ温泉、明日は美園峠を越えて陸別のカブトの里キャンプ場のコテージで台風をやり過ごし、明後日はカネラン峠と足寄峠と釧北峠を越えて津別か美幌か女満別まで走れば最短で19日にはフライトできるかもしれない。このコースだとチミケップ湖や屈斜路湖、津別峠に行けなくなるがそれは仕方がないだろう。 こうした仕事の都合もあったのは事実だが、それだけではなくやはり雨の中を走りたくないというのもあった。しかもただの雨ではなく台風が迫っているのだ。こんな中で自転車ツーリングをしても、今日のテントは乾いた場所に張れるだろうかとか浸水しないだろうかとかそんな事ばかりを考えてしまい楽しむだけの余裕がなくなってしまう。やはり私はキャンプ場に着いたら19日と20日の女満別から中部までのフライトを予約することにした。
この国道242号線は遠軽から30kmほど走るとようやくパーキングがある。私はこれ以上雨は降らないだろうとレインスーツの上だけでなく下も脱ごうとしたが、脱ごうとした瞬間に雨が降り始め。下を脱ぐどころか上を着込んで休憩することになった。 14時20分にパーキングを出発。ここから先は金華峠が始まるがここまでずいぶんと登っていたのでほとんど峠を感じることのないまま14時35分に標高369mの金華峠の頂上まで登ってしまった。頂上には温度計があり21℃を示していた。レインスーツを着て峠を登っていたので暑く感じたが、実際にはこんなにも涼しかったのだろう。 金華峠を留辺蘂側に下り始めると猛烈な雨となった。今日はここまでそれほど激しい雨はなかったが、今日一番の雨だ。しかし空が明るかったことからこの雨は一時的なものだと考え、レインシューズカバーを付けずに下り続けた。雨の中、ブレーキをかけながら下ったのでブレーキシューがかなりすり減ってしまった。
留辺蘂の町に入ると同時にさっきまでの激しい雨は止んだが、路面は雨で完全に濡れておりいかにもさっきまで激しい雨が降っていましたという感じだ。ここからは温根湯目指して国道39号線を走る。この道は若干の登りとなっておりなかなかスピードがでなかった。 この国道39号線は海岸線沿いではないが前方から4人組のチャリダー2組とすれ違った。いずれもメンバーに女性が含まれていたが、最近は女性でも自転車ツーリングするのが流行だろうか? もちろんツーリングを否定する気はないが、暑い中での峠越えは想像以上に厳しく、化粧など身だしなみに気を使う余裕がまったくないことは間違いない。私自身こうした時は頭から水を被りながら走るのでヘルメットを取れば頭はボサボサでとても見られたものではない。 留辺蘂からは国道39号線のゆるやかな登りを走り続ける。途中追い越し車線があったりと横を走る車がスピードを出して飛沫を上げながら走るので雨は降っていないのにレインスーツは脱げなかった。そして留辺蘂から8km走ってようやく温根湯に到着。この町の入り口にはコンビニがあるのだが、温泉からあがった後に買い出しにくることにして今のところはパスする。
さすがに雨を嫌ったのかテントの数は少なかった。私は3年前にテントを張った奥のテーブルの場所を狙っていたが、あいにくその場所は既にテントが張られていた。私はキャンプ場をグルグルと歩き回って雨の当たりにくい場所を探した。キャンプ場は先ほどまで雨が降っていたようで地面は塗れていた。私は雨が当たらずかつ地面があまり濡れていない木の下にテントを張ったが。正直言うと浸水こそしないだろうけど雨を避けることはできそうにないように思われた。 16時10分から温根湯ホテルの日帰り温泉に行く。この温泉はかつて3年前に汚い格好で行って追い返されそうになったいわく付きのホテルだ。今回も追い返されるのではないかと冷や冷やしていたが、そんな事はなく暖かく迎え入れてくれた。 温根湯ホテルの温泉は少し変わっており、細長い通路に沿って湯船が点々と並んでいる。その中でも露天風呂は雰囲気がとても良い。3年前にここで写真を撮ろうとしてできなかったことがあったが、今年は入浴客も少なく思う存分写真を撮ることができた。この温根湯ホテルは宿泊客をメインにした温泉で日帰り客はあまり相手にしていないことから休憩室がない。3年前にここに来た時にそれを知っていたので私は休憩することなくすぐにホテルを出た。
このおんね湯にはセブン−イレブンのほかにセイコーマートもあると思いこんでいて、通り沿いを探し回ったけどなかった。どうやら私の思い過ごしだったようだ。キャンプ場の近くにコンビニがあり、明日の朝は遅くまでのんびりしていられることからウイスキーで割るための北海道限定のガラナエールを買っておく。さらに今朝の朝食でラーメンが尽きたので5食パックのラーメンを買っておく。 テントに戻って17時40分から夕食の準備。自分のテントの前はベンチがなくて自炊しにくかったので、近くのベンチに自転車ごと乗り付けて自炊を行う。今日の夕食は親子丼と味噌汁とカップの野菜だ。このキャンプ場は蚊が多くてたまらない。
19時30分から旅の日記を書き始めるが今日はなぜか暑い。昼間と同じくらいの気温がありそうだ。と言っても20℃ちょっとのはずだがそれでも暑かった。晩酌のためにコンビニでガラナエールを買っていたのでウイスキーをガラナエールで割って何杯も飲んだ。 今日もほとんど旅の日記を書かずに走ってきたので書くことがたくさんある。昨年までは走りながらも休憩中に書いていたものだが、今年はほとんど書かなくなった。おかげで夜に旅の日記を書く量が半端ではないし、その割には自転車での走行距離が伸びていないのが残念なところだ。 長い時間、テントにこもってラジオを聴きながら旅の日記を書いていたおかげで台風7号の情報を多く入手することができた。台風7号は東北に上陸後、明日の夕方から明後日にかけて北海道を通過するらしい。昨日台風6号が来たばかりなのに今年は台風の当たり年のようだ。
明日は陸別に行く予定だが、陸別までは60kmほどしかない。これなら頑張れば午前中にも到着するのでかぶとの里キャンプ場のコテージに逃げ込むか、もしくは陸別の道の駅「オーロラタウン93りくべつ」の宿泊施設に逃げ込むとしよう。かつては台風といえどもテント泊したものだが、そこまで無理する必要はないだろう。 ラジオではバトミントン女子ダブルスの高橋・松友ペアが決勝進出し銀メダル以上が確定のこと。嬉しい限りだ。そう言えば今年のリオデジャネイロオリンピックは女子柔道など日本勢の活躍が甚だしい。 ウイスキーはサントリーの山崎を660ccほど持ってきたが6日目にして残り100ccを切ってしまった。1日100ccほど飲んでいる計算だ、明日にはコンビニでウイスキーを追加で調達するとしよう。 予定より少し遅くなったが23時前には旅の日記を書き終えることができたので23時に寝ることにした。このキャンプ場では寝る前に靴をテントの中に入れることにした。3年前にこのキャンプ場に泊まった時にキタキツネが靴を持っていくのを見ていただけにテントの前室に靴を置いておくのは危険だ。靴を持っていかれたらさすがに自転車で走る事はできなくなってしまうので靴だけは守らねば。 今日は留辺蘂の手前で豪雨に遭遇して以来、温根湯では雨の降りそうな天気が続いていたが台風7号が近づいているにもかかわらず結局一度も雨が降っていない。明日の朝も雨が降っていなければ撤収が楽でいいのだが。そして明日の台風7号の影響を受ける前に陸別に到着できる事を祈って寝ることにする。
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