目覚めると4時20分だった。昨夜は一度も目覚めることなくぐっすりと寝ることができた。しかもジャージーの上下を着てシュラフにくるまって寝たおかげか、寒くなかったのがありがたい。とりあえずテントの中で着替えを済ませてテントを開けると、空は曇ってはいないがここは山間のキャンプ場なので朝日を見ることはできそうになかった。 私は昨夜の間にシイシカリベツ川の水かさが減って鹿の湯が入浴可能になっているのではないかと期待を込めて偵察に行くが、大きい方の湯船は相変わらず川の水が入り込んでおり入浴できそうにない。上側にある小さい夫婦の湯は入浴可能だが、昨日入ったし先客もいたので入浴は断念して撤収作業に取りかかる。隣にテントを張ったライダーの話では川の水が引いただけではダメで、湯船の水を全部抜いて湯船に堆積した土砂を掻き出し、それから温泉を溜めることになるので丸一日はかかるとのことだった。 朝食は昨日の残りご飯でおじやを作って食べる。昨日洗濯した服を自転車に干したままにしていたが、昨夜の露付きでまったく乾いていなかった。さすがに今朝も寒くて濡れたままの服を着る気にはなれなかったので、昨日走りながら干して乾かしたサイクリングジャージーを着た。今日もおそらく雨は降らないだろうから、昨日洗濯してまだ乾いていないサイクリングジャージーは再び走りながら荷台で干すことにしよう。
鹿の湯を堪能して5時30分から撤収開始。テントは露付きで完全に濡れており撤収には時間がかかったが、それでもどうにか6時10分には撤収完了。昨日お酒をごちそうになった山屋の人に挨拶して、キャンプ場を出発する。山屋の人は私が狩勝峠に行くと言うと、瓜膜から狩勝峠へとショートカットする道道593号線と道道713号線を教えてくれた。このコースだと私が走ろうとしている鹿追と新得を経由するコースに比べて8km以上の短縮となるが、その分、狩勝峠麓までの丘越えの登りの合計が予定では130mのところを、紹介されたコースだと200m以上も登らなければならなくなるので、素直に鹿追と新得を経由する事にする。 6時20分に然別峡野営場を出発。ここは羅臼温泉野営場と並んでライダーに人気のキャンプ場と聞いていたが、その一端を垣間見たような気がした。キャンプ場からの道は林道然別峡線、下りのダートから始まる。下りなので走るのは楽だが、砂利の浮いたダートなのでハンドル裁きは慎重さが要求される。そしていよいよ急勾配の登り区間だ。私はこのカーブの連続する急勾配の区間だけは無理せずに押して歩こうと考えていたので、その通り実践する。しかし自転車を押す必要があったのは100mくらいの区間だけで、それ以外は自転車に乗って登ることができた。 1.3kmの林道然別峡線のダートが終わると、今度は道道1088号線の舗装路の下りが延々と始まる。最初のうちはシイシカリベツ川に沿ったワインディングロードをブレーキを使いながら駆け抜ける。そのうちに直線道路に入り、道道85号線に入る頃にはペダルをいっさい回さなくても時速25kmを維持できる、ほど良い下りの状態が延々と10kmほど続きとても楽な走りだった。
この道道85号線の直線道路の区間で写真を撮ろうとするが、またもやレンズの結露でいい写真が撮れなかった。然別峡は標高が高くて寒かったが、ここまで降りてくると標高が低くて一気に気温が上がってきたので、結露が発生したようだ。昨年まではカメラを入れたウエストバッグを腰に巻いていたのでカメラも外気温に近い温度に維持されていたが、今年からカメラを入れたウエストバッグをフロントバッグに入れるようになると、フロントバッグがクーラーバッグの代わりになるようでカメラの温度がなかなか変わらず、冷たいままのカメラを暖かい外に取り出すと一気に結露してしまうというわけだ。こればかりは時間をかけて温度変化させるしかないが、残念な事に北海道自転車ツーリングの最中にそんな余裕はない。 瓜幕から国道274号線に入ってからも、傾斜こそ緩やかになったものの下りの楽な走りは続いた。昨日に続いて今日も快晴とは言わないが、青空が見えている。然別峡は携帯の電波が入らないので今日の天気予報を知らなかったのだが、この様子だと今日は晴れのようだ。嬉しいことだが暑くなりそうなのが怖い。 下りばかりの楽な道を30km走って鹿追に7時30分に到着。途中で写真を撮りながらでも1時間20分で30km走ったのだから、いかに下りが多かったかという事がわかる。鹿追のコンビニでキャンプ場のゴミを捨てようとしたところ、このコンビニにはゴミ箱が設置されていなかった。あまりのショックに冷凍したペットボトルを買い忘れてしまい、牛乳と明日の朝食用に袋入りのラーメンだけ買って店の前で昨日買ったおにぎりを食べながら牛乳を飲む。よく考えたらゴミ箱がないのだったら店の前で食べる意味はまったくなかった。まあ今日のゴミは空のペットボトルと袋ゴミが少々なので重量的には捨てなくてもぜんぜん問題ない。 このコンビニの目の前には道の駅「しかおい」があり、その道の駅の横には神田日勝記念館が併設されている。かつて6年前に羅臼温泉野営場で元チャリダーのおじさんから話を聞いたところでは、この神田日勝記念館なら屋根の下にテントを張れると言っていたが、まさにそんな感じの場所だった。さすがにあのおじさんはよく知っていた。 7時40分に鹿追町のコンビニを出発。ここからは国道274号線を離れて道道133号線に入る。ここからが大変だ。十勝平野は平野と言われているが実際には平野ではない。十勝川に向けて何本もの支流が十勝平野の中を走っているが、これらの支流を横切る度に何十mものアップダウンを越えなければならないのだ。この支流に沿って走る道はアップダウンも少ないが、支流を何本も横切って走る道はそれだけアップダウンも激しいのだ。 この道道133号線も例外ではなく、鹿追から屈足までの6kmの間に60mの登りと90mの下りがある。これは何とか朝一番のパワーで乗り切って屈足の町に入る。道道75号線に入ると気づかぬうちにいつの間にか新清橋で十勝川を越えていた。十勝川は大きな川なのでどんな橋なのか期待していたが、橋の存在に気付かなかったとは不思議だ。この屈足の町にはコンビニがあったのだが、これが本日最後のコンビニになるとはその時は気づかずそのまま通過してしまった。 屈足から新得の間にも70mのアップとダウンがある。私は丘を登り切った場所にあったバス停で8時35分から20分ばかり休憩し、旅の日記を書いた。今日は既に出発から45km走っておりここまでハイペースだ。朝から荷台で干していたサイクリングジャージーは完全に乾いてしまったので洗濯物を交換し、自転車用のパンツと靴下を干しながら走ることにする。
わずかに上り勾配の国道38号線を北に走り続け9時30分に狩勝峠の入り口にあるパーキングエリアに到着。ここはツーリングマップルには記載されていなかったが広い駐車場と大きな屋根、そしてトイレと水道を備えたパーキングだった。今日はキャンプ場から一度も給水できておらず、かつ狩勝峠の登りを控えて暑くてたまらなかったのでボトルの水を満タンにし、そしてタオルとアームカバーをボトボトに濡らして峠の登りに備えて暑さ対策しておく。 さあ、ここからが狩勝峠だ。この峠は傾斜は比較的緩やかで同じ調子の登りが延々と続く。交通量は多いが路肩が広いので走りやすい。しかも今何合目を走っているかの標識があるのでチャリダーにはとても登りやすい峠だった。太陽は顔を出しており、かつ気温も30度近くあったのでかなり暑かったが、暑くて登れないというほどではない。
一定の勾配の続く国道38号線の狩勝峠を3合目、5合目と順調に標高を上げていく。登り始めた時は完全な晴れだったが登っている最中から少しずつ雲が出だして、雲による晴れと日陰が半分ずつくらいになった。狩勝峠を1時間ほど登り続けて10時30分から6合目の先のにある車の通らない旧道の日陰で10分ほど休憩し旅の日記を書く。昨日に続いて今日もかなり暑く、麓のパーキングで水浴びできていなければかなり苦しい登りになったことだろう。 狩勝峠は6合目までは登坂車線があり自転車も快適に走れる。そして8合目までは路肩も広かったが、8合目から先は覆道が始まると同時に路肩が一気に狭くなり走りにくくなった。一つ目の全長166mの狩勝峠第二覆道は車の流れが途切れた隙にどうにか走り抜ける事ができた。二つ目の全長903mの狩勝峠覆道は歩道があったのでこの歩道に入るが、覆道の中の歩道は半分近くが舗装されておらず、覆道の中の急な登りのダートを走ることになり、しかもそれがかなり長い距離を走らさせられたので、さすがに嫌になってしまった。
狩勝峠から国道38号線の下りばかりを10kmほど下ると、11時50分にトマムへ向かう道道1117号線との分岐に到着した。ここでこのまま国道38号線を下ってかなやま湖に向かうかトマムと占冠経由でかなやま湖に向かうか考えた。このままかなやま湖に向かってもあと20km弱しかないのでキャンプ場に13時には着いてしまうだろう。昨日もあまり走っていないし今日はもう少し走りたい気分だったので、直接かなやま湖に向かわずトマムと占冠経由であと65kmほど走ることにした。
12時50分に出発。ここからはいよいよ念願のトマムだ。私は北海道を自転車で色々と旅してきたが、トマムだけは来たことがなかった。そもそもトマム周辺にはキャンプ場もないし自転車で走るコースではない。私の思い描くトマムのイメージは、ニセコや斜里近くの清里のような一大リゾート地だと思っていた。そのイメージと合致するかどうか、実際にこの目で確かめてみようと考えたのだ。 道東自動車道のトマムインター近くにちょっとした集落があった。トマム小学校まであったのでここが町の中心部かとも思ったが、それにしても寂れている。これではトマムの町の人口は100人に満たないだろう。しかしJRトマム駅はここから5kmほど西にある。きっとここが町の中心部に違いない。そう考えた私はトマムの町を探索すべくさらに自転車を走らせた。 このトマムインターからトマム駅までの5kmの間、人家をほとんど見ることはなく、本当にトマムの町は存在するのだろうかとさえ思い始めた。しかし前方に何やら六本木レジデンスのような高層ビルが山の間から見え隠れしている。あそこがトマムの中心部に違いない。いよいよトマムの駅が近づくと、道路沿いに格納庫付きのヘリポートまで見えてきた。観光地にこうしたヘリポートが存在するなど聞いたことがない。どんなにお偉いさんがここに来るのかと思ってしまった。
いったいトマムの城壁に囲まれたあの中には何があるというのか? 永遠の都バビロンなのか? 地上の楽園シャングリラなのか? それとも桃源郷か? ここに来る前、私にとってトマムは謎の街だった。そしてこうしてここに来た今、トマムはさらに謎の街となってしまった。 トマムから先の道道136号線はトマム川やJR石勝線、道東自動車道沿いに走る。トマムから占冠まで30kmの距離を標高差で200m下るので、基本的に下り基調で走るのが楽だ。トマム川は先日からの大雨で水かさを増し、川岸の木々までなぎ倒して流れており見ていて飽きない。ツーリングマップルによると、この道の途中に「泣く木」と言うのがあるらしい。しかしその周辺に来てもどこにあるのかよくわからない。標識に気をつけながら走っていたら、道沿いに生えた大きな木に標識があり、ようやく発見することができた。 不思議な泣く木とは道路工事の妨げになる為、何度かこの楡の木を切り倒そうとしたが、のこぎりの刃をあてるとうめくような泣き声が聞こえてくる為、どうしても切ることができなかったと言われる。以来、次のような物語が生まれた。猟場のことで争いを続けていた日高と十勝のアイヌ、日高アイヌの若者と十勝アイヌの酋長の娘は許されぬ愛に手を取り合いカムイの棲むトマムに安息を求めましたが若者はとらわれの身となりました。やがて隙を突いて逃げ出した若者が待ち合わせの場所で見たものは、この楡の木の傍らで力尽きて倒れている娘の姿でした。今では恋しい若者を慕う娘の魂が、この楡の木に宿っていると伝えられている。
道道136号線を走り14時20分に国道237号線に合流。占冠の町には出ず、ここから北上を開始する。ここまでの走行距離は115km、かなやま湖まであと25kmくらいだからキャンプ場には17時前には到着するだろう。国道237号線に入ってからすぐにソロのチャリダーと遭遇し、手を振って挨拶する。4サイドにサイドバッグを搭載し私よりもずいぶん重そうだった。 ここから先は標高502mの金山峠を越えなければならない。この峠の手前にパーキングがあったのを覚えていたので、そこで休憩しようと緩やかなアップダウンの続く国道237号線を走り続けた。休憩なしで2時間も走り続けたので、そろそろ疲労もたまっていたが、どうにか頑張って走って14時50分に金山峠手前のパーキングに到着。20分だけ旅の日記を書きながらパンを食べて休憩する。
金山トンネルを越えると残りはほとんど下りだけで金山まで下ってしまうので楽なものだ。金山に15時40分に到着。金山からは国道237号線から道道465号線に入る。この道道465号線に入った直後はいいが、3kmほど走ると金山ダムに登るため、シェルターの中の急な登り坂が待っている。覆道だけでも嫌なのに、まして勾配10%を越えていそうな急坂とあって疲れた体にとどめを刺す。私は急坂を自転車で登るのは断念し、シェルター内で自転車を降りて自転車を押して登った。 1つ目の金山シェルターを越えたところから金山ダムに行くことができる。昨年も金山ダムを訪れていた私は、ぜひともダムの管理事務所からかなやま湖を眺めたいと思っていた。こういった北海道の施設は通常16時で終了することが多いが、私が金山ダムに到着したのが16時ちょうど。もう終了しているかと思ったが、うれしいことにここは17時まで営業していた。
内部はたいした資料はなかったが、かなやま湖のできる前の町の様子や、金山ダムの役割などがパネルやビデオで展示されていた。そして高倉健主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」の宣伝もされていた。これはここから近くにあるJR幾寅駅、通称幌舞駅を舞台にした映画なので宣伝しているのだろう。 管理事務所の屋上は展望台になっている。私は湖・ダム・ふれあいホールから屋上に上がったが、この展望台からの眺めは思ったほど良くなかった。正直言うとダムの上から撮影するか、もしくは金山ダム展望台から見た方がきれいな写真が撮れそうだ。それでもダム周辺やダムの一番上から写真を撮ったりする。
この金山ダム展望台は一般にはほとんど知られていない展望台ではあるが、なぜか一番上の展望台の駐車場にはキャンピングカーがエンジンをかけっぱなしで止まっていた。かなやま湖と金山ダムを見るならこの金山ダム展望台から見るのが一番きれいに見えると思う。昨年も来たことがあったが、その時はあいにくの曇り空だった。しかし今年は晴れているのでぜひとも晴れたかなやま湖と金山ダムが見たかったのだ。私はこの金山ダム展望台でパンを食べ写真を撮り思う存分満喫した。
16時50分にようやくかなやま湖畔キャンプ場に到着。キャンプ場に着いてびっくりした。これまでに見たこともないほどのファミリーテントでサイトが埋まっているのだ。ざっと見ただけで200〜300張りはあるだろうか。このキャンプ場は広大なことで知られているが、その広大なキャンプ場がファミリーテントでびっしりと埋まっていたのにはびっくりした。しかしサイトの下の湖畔の方は駐車場からの距離が遠いこともあって比較的すいていたので、湖畔まで降りていつものステージの横にテントを張る。残念ながらステージ横の木立の下は家族連れに占拠されていたのであきらめるしかない。 テントを張っていると一人のおじいさんと目があったので挨拶すると話しかけてきた。自転車を始めたいそうだがもう80歳を過ぎているので今から始めるのは難しいだろうと自分で言っていた。年を取っても自転車で日本1周する人は実在するが、さすがに80歳を越えると厳しいかもしれない。 テントを設営し17時40分から、温泉に行くか食事を先にするかを決めるため、管理棟に温泉の営業時間を聞きに行く。温泉は21時まで営業しているとのことだったが、遅く行かずに先に行った方がいいと言う。これだけのキャンパーが夜になってから温泉に一斉に行っていたら大混雑は明白だ。そこで食事は後にして先に温泉に行くことにした。先に温泉に行くと温泉の休憩室で長時間旅の日記を書いていたら、夕食の支度を真っ暗な中でしなければなるのが問題だが、それも仕方がないだろう。 自転車を走らせてかなやま湖保養センターに行きロビーでお金を払って温泉に向かう。そうでなくても狭い脱衣所はこの時間から大混雑で、中に入っても8ヶ所しかない洗い場はいつも満員状態だった。ここの温泉は脱衣所は狭いし、露天風呂もないし、湯船はまずまず広いが1つしかないし、洗い場は8ヶ所しかないが、400円という良心的価格でシャンプーと石鹸が用意されているのがありがたい。 18時10分から休憩室で旅の日記を書くが、例によって大広間を休憩場所として使っていいのかどうかがわからない。そこでロビーの従業員に了解を取って大広間を休憩室として使わせてもらう。ここの休憩室はテーブルが用意されていないので、旅の日記を書いていてもテントの中で書いているのと大差ないような気がする。 休憩室には誰も入ってこなかったので、旅の日記を書きながらテレビで名探偵コナンを見ていた。旅の日記はまだまだぜんぜん書き終わっていないが、あまり暗くなるとテントに戻れなくなるので、19時ちょうどに旅の日記を切り上げてテントに戻る。既にテント周辺は真っ暗だったので、今回の北海道自転車ツーリングで初めてヘッドライトを付けながらの炊事となった。
今回も炊飯にはちょっと失敗してしまい、なんだか水っぽいご飯となってしまった。ご飯がおいしくないと食が進まない。これまで炊飯に失敗することなどほとんどなかったのに今年は急に失敗が多くなった。おそらくご飯を火にかけている間、火の番をせずに旅の日記を書いているのが原因だろう。 19時40分には後片づけまで終わり、それから真っ暗な中で洗濯を済ませ20時からテントにこもって旅の日記を書いた。今日も書くことが多くて、書き終わった時には23時になっていた。今日はお盆休みの週末と言うこともあって、ファミリーが非常に多いが、中にはキャンプ場を格安で飲んで騒げる場所だと勘違いしている人たちもおり、23時を過ぎてもまだ大騒ぎしている。困った人たちだ。そんな人たちを後目に23時30分に就寝する。
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