朝4時20分に目覚める。最近は携帯電話の目覚ましをセットしていなくても、この時間に起きれるようになってしまったようだ。今日は朝一番から乾燥機を使うつもりでいたので、乾いていない洗濯物を持って管理棟に向かう。昨日の夜に乾燥機を使用していた人達が洗濯物をそのまま乾燥機の中に入れっぱなしにしていないかと心配していたが、その心配は杞憂に終った。昨日1時間も乾燥機に入れたのに乾ききらなかった洗濯物を4時30分から乾燥機に投入する。 管理棟の中で作業をしていた時、管理棟の中にあるコンセントでデジカメと携帯電話が充電されているのが目に入った。きっと誰かが充電しているのだろうけど、よくこんな誰でも入れる管理棟に充電の為とはいえ一晩中デジカメと携帯電話を放置できるものだと感心してしまった。これが海外なら間違いなく盗まれている事だろう。デジカメや携帯電話を人目につくところに一晩中放置して盗まれないというのは、つくづく日本は治安のよい国だと思ってしまった。 洗濯物を乾燥機に入れている間にラーメンを自炊して食べる。もう毎朝のラーメンの自炊も完全に日課となってしまった。アウトドア用のガスが1缶では足りないだろうと、いつも使う250gの缶に加えて110gの缶も持って来ていたが、どうやら250g1缶で足りそうだ。このガスは最初のうちは減りが早いが、ガスの液体の量が半分以下になってからねばるようだ。 今日は朝から雲一面の空だが、東の空だけは晴れているようで、森の間から朝日がわずかに見えている。しかし写真に撮るほどでもなかった。ここは森に囲まれたキャンプ場なので、朝日や夕陽に期待するのは難しそうだ。もしその気があるなら、すぐ近くに900草原があるので、そこまで行けばきれいな朝日や夕陽が見れるはずなのだが、さすがに自転車でそこまで走る気は起きなかった。
テントを撤収し5時50分にキャンプ場を出発。まず道道53号線を少し戻って900草原へ目指す。900草原は3年前にこの道を通りかかった時、720度の大パノラマという看板を見て、ぜひとも720度の大パノラマがどんな景色なのかを見てみたいと思っていた。道道53号線を少し戻ると、「感動牧場!720°の大パノラマ」と書かれた大きな標識の交差点から900草原へと向かっていった。 交差点から登り坂が始まった。眺めのよい場所に行くには坂を登らなければならないのは仕方がないが、それにしても坂を登るのは疲れる。まだ朝一番で涼しく、かつ体力がある時なので問題ないが、これが炎天下の日中だったら太陽の日差しを遮るものもなく、大変な事になっていただろう。坂を登り続けるとしだいに景色が良くなり始め、20分も登ると900草原の展望台に到着した。
さっそく900草原の看板の前で記念撮影をしたり、雄大な景色を写真に納めたりする。360度見渡せる展望台としては、この900草原の他にも開陽台や多和平がある。景色にはそれぞれ特長があり、どれも甲乙つけがたい。真の360度の展望という意味では多和平が一番いいような気もするが、開陽台のどこまでも見渡せる平原と、その奥に続くオホーツク海と国後島も捨てがたいし、900草原から見える摩周岳や雄阿寒岳、雌阿寒岳も美しい。
900草原にはパークゴルフ場があるようで、観光客は誰もいないが朝早くから何人かのゴルファーが熱心にホールを廻っていた。どうやら北海道のパークゴルフ場は無料の場所が多いようで、混雑を避けて朝早い時間にパークゴルフを楽しむ人達が多いようだ。このパークゴルフ場横の東屋でパンを食べながら少し休憩し、6時50分に900草原を出発した。
国道243号線に入ると、いきなり田舎道をひた走る。この弟子屈から東側の国道243号線は3年前に走った時、炎天下の中、登りが続いて苦しんだ覚えがあったので、この道を走るのは多少不安だった。しかし今日はまだ朝早くて体力があったし、気温も低くて走りやすかったので、それほど苦しむ事なく峠を登る事ができた。
国道243号線の峠を越え、少し下って多和平への入口を過ぎ、もう1つちょっとした丘を越えると道道885号線に入る。朝のうちは空一面の曇り空だったが、この頃から空が晴れ始め、太陽が顔を出すようになってきた。この道道885号線に入ってすぐのところで8時20分から休憩する。太陽が出てきたので日焼け止めを塗り、パンを食べて休憩する。 私は休憩しながら、せっかく太陽が出てきたのだし、昨晩洗濯して全然乾いていない洗濯物を荷台に干しながら走ろうと考えた。過去の北海道自転車ツーリングではいつも荷台に洗濯物を干しながら走っていた。しかし今年は天気が悪くてほとんど晴れなかったのと、泥除けを外したおかげで荷台の上部が泥で汚れており、洗濯物を干す気にならなかったのだ。でも、洗濯物が完全に乾いてしまえば荷台が多少汚れていても叩けば汚れも取れるだろうと考え、洗濯物を荷台に干しながら走る事にした。
養老牛まで走り、ここから道道150号線に入る。この道道150号線に入ると前方の山肌に牛の文字が大きく見えてきた。この牛という文字は養老牛の地名の牛という文字を取って山肌の草を刈り込んだそうだ。養老牛という名前はアイヌ語でエオロシ(川の中に突き出た大きな岩)から付けられたそうだ。 さらに走ると右手に養老牛霊苑の墓石が見えてきた。しかし私がイメージしている霊苑とは大きくかけ離れている。なぜだろうと思ってよく見ると、その原因がよくわかった。それは墓石の人口密度が極端に小さいのだ。私が知っている霊苑といえば、墓石がびっしりと密集しているイメージだが、この養老牛霊苑は墓石と墓石の間隔が異常に広く、霊苑内にまばらにしか墓石が存在しないのだ。さすが北海道は墓場もスケールが広大だと感心してしまった。
9時45分に出発し、再び緩やかな登り坂を登る。走り始めてすぐに、再びアブが数匹飛んできて顔のまわりを飛び回り始めた。私は何とかアブを払いのけようとするが、蚊と違ってアブは動きが早く、手で払いのけてもひらりと身をかわしてすぐにまた顔のまわりを飛び始める。私は数匹ならいいやと半分あきらめながら走り続けると、私のまわりにまとわりつくアブの数はますます増えていった。5〜6匹のアブが顔のまわりを飛び回るようになった頃、ふと気付いた。今は北に向かって走っているので自分の影は進行方向の前方に伸びている。その路面に延びる自分の影を見ると、背後にすさまじい数の物体の影が飛び回っているのだ。私は恐る恐る後ろを振り返ると、そこには20〜30匹ほどのアブが飛び回っていた。 私は恐くなり、どうにかこのアブを振り切ろうと自転車のスピードを上げて全速力で走った。とろが今日は若干の追い風という事もあって、20km/hで走ってもアブは追い付いて来る。急ではないとはいえ、緩やかな登り坂でもフル装備の自転車で20km/h以上のスピードで走るのは大変だ。私はこのままアブに襲われるよりは、道道150号線を引き返して、別の道でオホーツク海側に出ようかとも考えた。しかしこの道道150号線は過去に何人ものチャリダーが走っているはずだし、ここだけ我慢すれば裏摩周展望台や神の子池に行けるのだと考え、そのままアブの襲撃に耐えながら走り続ける事にした。 この道道150号線の清里峠は全体的に養老牛側の登りは緩やかで、所々フラットな部分もあったので、そのフラットな部分で何とか25km/hのスピードで走り、アブを振り切る事ができた。しかしフラットな部分はごく一部で、それからもスピードを20km/h以下に落すと、すぐにアブが1匹2匹とどこからともなくやって来るので、がむしゃらに全速力で走り続けた。 どれだけ走っただろう、アブから逃げる事ばかりに気を取られていたので、気が付いたら清里峠の頂上に着いていた。私はさすがにここまで全力疾走していたので疲れてしまっていたが、裏摩周展望台まであと3kmの標識があったので、休憩せずにもう少しだけ頑張るって走る事にした。 10時10分から道道150号線の裏摩周展望台への道に進んでいく。走り始めて最初の数百mは比較的登りも緩やかだったので裏摩周展望台に行くのも楽勝に思われた。しかし途中から登りの傾斜が一気に急になり、10%は越えているだろう急坂になった。私はギアを一番軽くして、それでも道幅いっぱいを使って蛇行しながら急坂を登った。 そんな時に限って再びアブが1匹2匹と飛んできた。先程は登り坂が緩やかだった事もあってスピードで何とか振り切ったが、この急坂ではとても振り切る事はできない。やがてアブは大挙して押し寄せ、私のまわりは20〜30匹のアブが飛び回る状況となってしまった。しかも先程はスピードが早かったのでアブも飛び回るだけだったが、今はスピードも遅いのでアブは足や腕、手に好きなだけとまるようになった。私は刺されないように必死で払いのけるが、一瞬飛び去るだけですぐにまた舞い戻ってくる。それに急坂を登っている時に片手ハンドルで体中にとまっているアブを払いのけるのはとても疲れてしまう。見えている部分だけでこれだけとまっているのだから、見えていない背中などにはもっととまっている事だろう。急坂を登るチャリダーはアブにとってまさに絶好のカモだ。 私はこの状況を打破する為には、Uターンして登ってきた急坂を駆け降りるしかないような気がしてきた。そうすれば40km/hはスピードが出るのでアブを一気に振り切る事ができる。私はどうしようかと本気で考えたが、やはりせっかくここまで来て裏摩周展望台を断念するのはあきらめきれず、大量のアブに襲われながら裏摩周展望台への急坂を登り続けた。よく考えたら私は虫除けのスプレーを持っているのだから、それを使えばよかったのだが、残念な事にそんな発想はまったく思い浮かばなかった。 10時30分にようやく標高585mの裏摩周展望台に到着。駐車場に自転車を止めると、近くにいた観光客は私があまりにたくさんのアブを引き連れていたので逃げ出してしまった。私も駐車場に自転車を止めると走ってアブから逃げ、展望台に着いた時にはどうにかアブを振り切る事ができた。これだけ多くのアブに襲われながら刺されなかったのは不幸中の幸いだろう。
展望台を降り駐車場に戻る。さすがに急坂をアブと戦いながら登ってきたので疲れてしまい、木陰でパンを食べながらしばし休憩する。他の観光客は「ここはアブが多い」としきりに言っていたが、そんな1匹や2匹のアブなど多いうちには入らないだろう。もっともその1〜2匹のアブも、もしかしたら私が引き連れてきたアブかもしれないが… パンを食べながら木陰でしばらく休憩し、10時45分に出発する。再び先程のアブに襲われた道を走るが、帰りは下りなのでアブに襲われる事もなく一気に急坂を下る。出発からわずか5分で清里峠を過ぎ、道道1115号線に入る。道道1115号線に入っても下りは続き、一気に駆け降りた。そして裏摩周展望台から10kmほど下ると11時5分に神の子池への入口に到着した。 道道1115号線から神の子池へはダートだと聞いていたので覚悟はしていたが、入口から入るといきなり急な登りのダートが待っていた。しかも再びアブが1匹2匹と飛び回り始めた。私はさすがにダートの急坂を見てうんざりしてしまい、もう引き返そうかと考えてしまった。それでもこの神の子池には数多くのチャリダーが訪れているはずだし、彼らもこのダートの急坂を登っているはずだと考え、自分も頑張って登る事にした。 幸いな事に急坂だったのは最初の100mほどだけで、それ以降は比較的フラットで砂利のしまったダートになった。アブも1〜2匹から増える事はなく、引き返さなくて良かったと思ってしまった。それでも昨日に続いて再びダートを走る事になってしまい、今回の北海道自転車ツーリングではダートを走らないつもりでタイヤを700−23Cという細いタイヤを履いていたのが裏目となってしまったようだ。 森の中のダートを2kmほど走ると森が開けて駐車場が見えてきた。11時15分にようやく神の子池に到着。神の子池は看板が奥の方にあり自転車を立てかけて写真撮影する事ができない。仕方なく自転車を倒して写真撮影するが、さすがに倒した自転車では絵にならなかった。
この神の子池は摩周湖の伏流水と言われており、神の子池には流れ込む川もないのに1秒間に140リットルもの水が湧き出している。摩周湖は流れ込む川も流れ出す川もないのに水位が変らないのは、摩周湖と神の子池が地下でつながっているからだと言われる。しかも水温は常に8℃を保っており、神の子池に沈む倒木がまるで化石のようにいつまでも腐らないのは神秘的ともいえる。 今日は神の子池を訪れる観光客も少なかったので、誰もいないエメラルドブルーに輝く神の子池の写真を撮ろうとカメラを構えると、いきなり横から割り込んできた女の人がカメラを構えている私の目の前に立ちふさがって写真を撮り始めた。あまりの大胆不敵な行動に呆れ返っていると、彼女の連れの女の人が彼女に注意してようやく彼女は私の存在に気付いたようで逃げるように走り去っていった。私はあまりに腹立たしくて大きな声で彼女を笑い飛ばしてやった。
11時35分に道道1115号線に戻り再び下り始めた。このあたりは基本的に下りだが、今日は北からの風が吹いているので向かい風だ。そんな道道1115号線を10kmも下ると、12時ちょうどにJR緑駅に到着した。この緑駅は3年前に東北学院大学のチャリダーの面々が待ち合わせしていた場所だ。せっかくだから私も道道1115号線を離れて駅前まで行ってみた。駅前にはのどかな公園があり、思わずテントを張りたくなってしまう。ここなら待ち合わせ場所としては最適だろう。ちょうど緑駅に列車が来たので駅舎を撮影して出発した。 緑駅からさらに道道1115号線を北上する。この緑駅から北の道道1115号線の2km西には国道391号線が走っている。私は今夜は女満別湖畔キャンプ場に泊まるつもりでいたので、早目に道道1115号線から国道391号線に移るつもりでいた。ところが緑駅から道道1115号線を北上すると、国道391号線があるはずの西側には山がそびえ立ち、どう見ても山越えしないと国道391号線に行けそうにない。私は山越えで近道するくらいなら平地を大回りした方がいいだろうと考え、国道391号線ではなく、そのまま道道1115号線を走り続ける事にした。
12時30分に札弦を出発。さらに道道1115号線を北東に進む。右手に標津岳や斜里岳などの美しい知床連山が見えるようになってきた。今日は見事に晴れているし、写真映りもよかったので、そこかしこで自転車を止めて写真を撮った。しかしこのあたりから向かい風が強くなり、やっぱり清里まで寄り道せずに最短コースで女満別を目指せばよかったと思ってしまう。
清里という名前から私がイメージしていたのは、山梨の清里のようなきれいなリゾート観光地をイメージしていたが、まさにそんな感じの町で、近くにあるいかにも北海道の寂れた田舎町といった感じの斜里町や小清水町とはまったく異なっていた。北海道で例えるなら、それはまるで美瑛の駅前のような感じだった。ただ町並みは立派だったがJR清里駅の駅舎は町並みに似合わずショボかった。 このまま道道1115号線を走り続けると斜里まで行ってしまうが、さすがに斜里まで走ると遠いので、清里の町を抜けたところからJR釧網本線の踏切を渡り、国道244号線を目指して農道に入り北上する。このあたりは私の好きな小清水と斜里の間の農地で、景色がよかった事もあり写真を撮りつつ走る。今日はよく晴れているので海別岳がよく見えた。
国道244号線を走っていると止別駅への標識があった。私は今日も町道オホーツク海岸道路を走るつもりでいたので、迷わず止別駅に向かって右折する。止別駅に来たついでに自転車を止めて駅舎の写真を撮った。ところがこの止別駅の駅名の書かれた表示板には「人の出逢いに別れを止める こりんごの浜波は純白の色」と書かれている事に気付いた。どういう意味かはわからなかったが、何となく写真を撮っておく。
止別駅から町道オホーツク海岸道路に入り、海辺のJR釧網本線と農地に囲まれた景色のよい道を走る。4日前にこの道を走った時も晴れていたが、今日はさらに晴れていて知床岳がきれいに見えた。途中、併走するJR釧網本線から列車が走ってくるのが見えたので、カメラを構えて写真を撮ったが、列車に気付いてから通り過ぎるまでに時間が短かったので、残念ながらあまりいい写真は撮れなかった。
フレトイ展望台から国道244号線を少し走ると、展望牧舎が見えてきた。私はこの涛沸湖とオホーツク海に挟まれた国道244号線を、過去5回の北海道自転車ツーリングで10回以上走ってきて、展望牧舎の写真は何枚も撮ってきたが、展望牧舎には一度も入った事がなかった。この展望牧舎は中に入る事ができると聞き、ぜひとも入ってみようと今回初めて立ち寄る事にした。
それからも自転車を走らせ続け、鱒浦駅近くのJR釧網線のトンネルのそばの流氷街道鱒浦で15時25分から5分間休憩する。さすがに休憩なしで走り続けていると腰が痛くなってくる。きっと重いデジタル一眼レフのカメラをウェストバッグに入れて腰に巻いているからだろう。
網走の町を抜け、国道39号線に入ると、すぐに呼人浦キャンプ場だ。ここではいつものようにライダー達で賑わっているのだろうと思っていたが、今日はそれほどでもなかった。おそらく時期的にお盆を過ぎてライダーが減ってしまった事と、キャンプ場が有料化されたので敬遠するライダーが増えたのだろう。それでもテントの横までバイクで乗りつける事ができる数少ないキャンプ場として、まだライダーに人気がある方だろう。
もう16時30分を過ぎており完全に夕方で太陽は西に傾いていたが、夕日に映えるメルヘンの丘を撮影する。丘が少し盛り上がっているので、丘の後ろには空しか見えず、そこに7本の木が並んでいるのはまた何とも言えない良さがある。私はメルヘンの丘をバックに自転車を撮影する。あまりにきれいだったので、明日の朝もう一度撮影しに来る事にしよう。
国道39号線を走り、ようやく女満別の町に到着した。夕食の材料を買い込む為、コンビニに立ち寄る。今夜が最後の夕食になるので少し豪勢にしようと考えていたが、結局買ったのは中華丼と卵スープとカップサラダにヨーグルトを買っただけで、いつものメニューに加えて卵スープとヨーグルトが豪勢なだけだった。
21時10分にテントに戻ると、食事時はうるさかった家族連れはもう既に寝静まったようで静かになっていた。温泉の休憩室で旅の日記を書き終えてしまったので、テントに戻ってもやる事もなく、明日の予定を考えてみた。当初の予定では美幌峠まで走るつもりでいたが、それは昨年も走ったし、今年は女満別の朝日ヶ丘展望台とメルヘンの丘、そして網走湖を一周してびほろ温泉後楽園のプールで泳ぐ事にしよう。その為に今回の北海道自転車ツーリングでは水着と水中メガネまで持参したのだから、これを利用しない手はない。 今日は比較的暖かいので、寒さ対策にはそれほど気にせずに眠る事ができそうだ。18日間の旅も明日で終りを迎えようとしている。前半は本当に雨ばかりでどうなる事かと思っていたが、後半になってようやく晴れの日が多くなってきた。今年は身体的な問題も少なく、自転車はバーテープやブレーキシュー、タイヤの減りなどの心配事はあったが、それもどうやら乗り切る事ができそうだ。そんな事を考えながら22時に就寝する。
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