今年もやって来た夏の北海道自転車ツーリング。もう夏の恒例行事となっており今年で12回目になる。もう慣れたものだが、この慢心がこれまで忘れ物や事故に繋がっていたので今年も気をつけて取りかかるとしよう。 昨年は夏休みが長かったので17日間という久しぶりの長期でのツーリングとなったが、今年は11日間と短いので昨年ほどは多くを走る事ができない。それでもこれまで踏破したことのない峠を中心にニセコ・積丹から道北を回って道東に行くコースを組んだ。その予定は2014年 行動予定に記載しているのでそちらを参照されたい。 昨年もそうだったが、今年も仕事が急がしくて本当に北海道に行けるかどうかも微妙なところだった。とある基板メーカーが悪さをしてくれたおかげで韓国まで謝罪に行き、そしてその基板メーカーの工場監査、さらに別件で部品メーカーの工場視察があった。これがこの10日間ほどの間に集中した。特に韓国出張は16時を過ぎてから翌日の出張が決まるというありさまで、まさにドタバタの連続だった。 その第1日目となる今日は4時30分に起床。まずは北海道の天気予報を確認する。数日前からそうだったが7月29日に発生した台風11号がゆっくりと日本に接近しているせいで北海道だけでなく日本全土の天候はここ数日悪く、北海道もかなりの雨模様となったようだ。幸いにも台風11号は歩みがとても遅くて出発時の台風直撃は間逃れた。天気予報では今日の天気は曇り時々雨、9日曇り時々晴れ、10日が曇り、11日と12日が曇り時々雨、13日が曇り、14日が曇り時々晴れとなっている。特に台風11号が現在の予報だと11日午前頃に北海道に最接近しそうなので気になるところだ。昨年も中盤から終盤にかけて天候が悪くて毎日のように大雨注意報が出ていたし、2012年もあまり天気はよくなかった。最近の日本の夏は異常気象なのか天気が荒れることが多く最近の北海道の夏は雨が続くことが多いが、今年も今のところ前半の天気は悪そうだ。2009年のように晴れていてかつ涼しい日が続かないものだろうか。 朝食にパンを食べて出発準備に取りかかる。サイドバッグはあらかじめ白老にあるヤマト運輸の営業所留めで送ってあるし、自転車は一昨日のうちに分解して輪行袋に詰めて車に搭載済みだ。11日間も家を空けるので戸締まりだけはしっかりして5時に出発する。 早朝の国道を走り5時40分には津なぎさまちに到着。今回は高速船を予約していたのでEdy払いでチケットを受け取り、外で高速船の写真を撮っていたら5時50分から乗船が始まった。夏休み前ということもあって満席ではないがほとんど満席に近かった。6時ちょうどに津なぎさまちを出航し伊勢湾を疾走する。高速船は揺れも少なくて快適だ。
カウンターに行くと一般のカウンターはそれなりに並んでいたが、プレミアムカウンターは誰も人がいなかったので突入する。今回自転車はX線検査機に通るようにパッキングしたつもりだったが係員は輪行袋を見るなりX線検査機に通そうともせずに目視チェックとなった。はっきり言って目視チェックは面倒だ。自転車だけなら問題ないのだが輪行袋にフロントバッグが入っていると、それを外してフロントバッグだけX線検査機に入れなければならないのだ。結局せっかく取り付けていたフロントバッグを外してX線検査機に通し、それ以外は目視チェックとなったが、外したフロントバッグを再び取り付けるのにかなり苦労することになって係員にも手伝ってもらい、さらにフロントバッグを取り付けたが、輪行袋が閉まらなくなってしまった。係員と一緒に5分ほど悪戦苦闘しどうにか袋を閉めることができた。
しばらく待ってようやく受付を行う。受付のお姉さんはどうも私がいつも最前列の窓際に座ることを知っていたようで「最前列窓際の席がなくなりそうだったので先に確保しておきました」と言われた。そして自転車を預けるが今回は“自転車が壊れても文句言いません”の書面にサインを要求されなかった。いつもだったら「サインさせるの忘れていませんか」とこちらから言うのだが、今回は爪が割れたショックで言い忘れていた。まあサインしなくても私が困るわけではないからいいのだが。 受付を済ませると手荷物検査場に行くが、これまだ込んでいてずいぶんと待たされた。どうにか手荷物検査を済ませて搭乗口まで行くともう出発の20分前だった。いつもだったらラウンジに入ってウイスキーでも飲みながらのんびりするところだが、今日はその時間的余裕がなかったので断念する。 今日の飛行機は7時40分中部国際空港発の千歳行きANA701便エアバスA320で166人乗りだ。搭乗口に行くとすぐに優先搭乗が始まったので一番に機内に入る。私の座席はいつも一番前の窓際と決まっており、もう指定席のようなものだ。 定刻通り7時40分にドアが閉まったが、それから動き出すまでにずいぶん時間がかかり、さらに滑走路の端に行ってからも着陸待ちで待っていたりして、実際に離陸したのは7時55分だった。
飛行機のアナウンスでは千歳空港の天候は雨で気温は21℃とのことだ。気温が低いのはうれしいが、初日から雨というのは困りものだ。そういえばこれまでの11回に渡る北海道自転車ツーリングの初日の天気は晴れ5日、雨6日で雨の方が多い、ここ数年は晴れることの方が多かったが今年は雨だったので5勝7敗と分が悪い。 飛行機は徐々に高度を下げ始め、雲を抜けたらもう北海道の大地が見えていた。9時20分に千歳空港のR/W19Lに北側から着陸。一番に飛行機を降りると手荷物渡し所の前で待つ。いつもだったら係員がカートで持ってきてくれるのだが、この千歳空港では3年前に利用した際ターンテーブルに載せてきたことがあったので一応両方に目を光らせていると、ターンテーブルが回り始める前に係員が自転車を担いで持ってきてくれた。 自転車を受け取りターミナルを出た右手の貸し切りバス乗り場で9時40分から店を広げて自転車の組立の取りかかる。今回強度の低いカーボンのエアロホイールを輪行したのでホイールがゆがんでいたりスポークが折れていないか心配だったが幸いにも問題はなかった。その代わりにせっかく買ったばかりのホイールに傷が付いてしまったが、こればかりは仕方ないだろう。
千歳に着いた時には小雨が降っていたが自転車を組み立てているうちに雨は止んでしまった。今日は半袖では肌寒いくらいだったし、どうせ途中から雨が降り出すだろうと考えレインスーツを着て出発しようと考えたが、とりあえず雨が降り出すまではそのままでいることにした。そして私も準備を済ませて千歳空港を出発する。 これまで千歳空港は6回利用しているがいずれも出発はまず千歳市街に向かって北に走った。しかし今回は初めて南には走る。今までとは違った行動になんとなく新鮮味を感じてしまった。走り始めると少しリアのギアチェンジの調子が悪かったが、手元で調節しただけですぐに調子がよくなった。 ここで今回の北海道自転車ツーリングで使用する自転車を紹介しよう。自転車そのものは昨年の北海道自転車ツーリング時から駆動系にガタが来ていたので、BB、チェーンリング、ハブ、ホイール等、大幅に変更した。これらの詳細な変更内容については2014年 行動予定を参照されたい。 またホイールがカーボンのディープリムのエアロホイールに変わったことでスポークの本数が大幅に減り強度が落ちたことから荷物の重さも大幅に削減することとした。すべてのアイテムの重量を測定し可能な限り軽いものに交換すると共に必要度の少ないものは廃止して軽量化に努めた。それらについては自転車キャンプ旅の装備に詳細を記載しているので参照されたい。 この軽量化の効果は大きかった。毎年北海道自転車ツーリングの直前にサイドバッグを宅急便で北海道に送るのだが、この時送るサイドバッグの重さは毎年だいたい18kg程度なのだが今年は13.8kgしかなかった。何と例年より4.2kgも軽くなったのだ。これだけ違うと手に持っただけで明らかに違いがわかるほどだ。実際にはサイドバッグの中身以外にもリアキャリアやBB、工具類も軽量化しているので、さらにあと1kg弱は軽量化しているはずだ。過去11回も北海道自転車ツーリングを繰り返し、もうこれ以上の軽量化は無理だと半ばあきらめていたが、すべてのアイテムの重量をグラム単位まで重さを測定し、少しでも軽い装備を厳選することで徹底的な軽量化を図りトータルで約5kgもの軽量化を実現できた。この軽量化はレトルト食品をドライフーズに変更したりインフレータマットや三脚やリアキャリアを軽量化したり自転車工具を見直すなど涙ぐましい努力で実現できた。しかしこれだけ目に見えての軽量化が実現できればその苦労も吹き飛ぶというものだ。 リムの強度以外にも心配事があった。それはタイヤの減りだ。昨年の北海道自転車ツーリングでタイヤをずいぶんすり減らしていたが、あれからタイヤ交換することなく1年間通勤で使い続けて、それをそのままタイヤ交換することなく今年の北海道自転車ツーリングに持ち込もうというのだ。このタイヤは交換したのが2012年の北海道自転車ツーリングの帰宅直後で、それから8000kmほど走っている。しかもそのうち1600kmほどはキャンプ道具を積んでの昨年度の北海道自転車ツーリングだ。もうトレッドも完全に消えていつ下地が見えてもおかしくない状態だ。こんな状態だとパンクのリスクが高いので本当は新しいタイヤに交換して北海道に乗り込みたかったのだが、夏休みの直前に韓国出張を含めて出張がいくつも重なり交換する時間がなかったのだ。今回の北海道自転車ツーリングが終わったら間違いなく交換になるだろうけどそれまでパンクしないことを祈る限りだ。 今年からはカメラを更新するつもりでいた。2010年から現在のカメラEOS7Dを毎年持参している。これは2009年10月に発売されたカメラで、既に発売から5年が経過しているがいまだに後継機種がない。日進月歩のデジタルカメラ業界で5年間も販売が続くカメラも珍しいだろう。それだけ基本性能が高かったと言うことか。おかげで今年こそは新しい7Dの後継機種を持参するつもりでいたが、いまだに後継機種が発表されないので今年も7Dを持参することとなった。 この7D、さすがに5年間も使い続けるとガタが来るようで、昨年の北海道自転車ツーリングから帰宅後、どうもピントが合いにくくなった。特に広角レンズ使用時にオートフォーカスがまったく働かないのだ。仕方なくマニュアルフォーカスで使い続けていたが、さすがにずっとマニュアルで使い続けるのは面倒だったので修理に出した。修理には1ヶ月ほどかかりオートフォーカスのFPCが壊れていたとの事で交換してもらい、無事に直った。 私の場合、自転車もそうだがカメラも道具と考えており扱いが荒い。自転車のフロントバッグにカメラを入れて走ったりするので割とよく壊れる。その為にカメラ購入時には必ず5年間保証を付けて購入するので今回も修理代はタダだった。もちろんカメラをわざと雑に扱うつもりはないが、大切に扱うあまりシャッターチャンスを逃すくらいなら、道具として割り切った方がよいというのが私の考えだ。自転車も同様で私の場合、自転車もフレームを保護せずに輪行を繰り返すのでフレームは傷だらけだ。 千歳空港を出発すると道道130号線に入る。この道道130号線は平坦な道かと思っていたが実際には多少のアップダウンのある道で10mほどの高さの丘を2つほど越える。この道は予想外に大型車両の通行が多くて走りにくかった。そしてしばらく走ると国道36号線に合流した。
サイドバッグを付けていない軽い自転車を走らせ続けるとウトナイ湖サンクチュアリの標識が見えてきた。このウトナイ湖の湖畔沿いには、キツツキの小径、キタキツネの小径、シマアオジの小径、イソシギの小径など、全長2kmにも及ぶ木道の自然観察路が整備され、自然に囲まれた林の中を野鳥や草花などを見ながら散策することができる。また野生鳥獣保護センターの1階の展示ホールにはウトナイ湖の自然や野鳥を紹介する多数のパネル展示があり2階ではフィードスコープを用いてバードウオッチングも可能だ。しかし今日はこの先まだまだ走らなければならないのでここはパスする。 さらに走ると道の駅ウトナイ湖がある。とりあえず立ち寄ってウトナイ湖の写真だけ撮っておく。ここで休憩しようかと考えたが空港からまだ12kmしか走っていなかったので休憩することなく出発する。どうせ雨が降り出すだろうからとここまでフロントバッグの上にツーリングマップルを出さずに走っていたが、どうも雨が降りそうな気配はなかったことから、ここからツーリングマップルを出して走ることにした。地図を見ながら走った方がはるかに楽しい。 ちなみに今回持参したツーリングマップルは2014年版の新しいものだ。これまでは2008年版を使い続けていたが、昨年の北海道自転車ツーリングでボロボロになりすぎて表紙が剥がれてしまい今年から新しいのに買い直した。最近はこうした紙の地図を持たずにGPSナビやスマホの地図だけで走る人が多いような気がするが、個人的には紙の地図を見ながら走った方が楽しいと思う。 それからも国道36号線を走り続けた。この国道36号線沿いには太陽光発電所が多数あった。私の勤める会社も苫小牧に太陽光発電所を作っていたような気がしたが、全量買取制度ができて以来こうした土地の安価な場所に太陽光発電所を作るのがブームになっているような気がする。このあたりからは苫小牧市街に入るので走りにくくなるはずだが、苫小牧市街の国道36号線沿いの歩道には鮮やかな青色で色分けされた自転車道がありこれは走りやすかった。北海道中の都市部の歩道がこうだとありがたいのだが。
苫小牧の中心部まで行くと前方に緑ケ丘公園展望台が見えた。ここは1964年に開設された運動施設を中心とした公園だが、苫小牧を見下ろす標高30m程度の丘の上にある事から眺めがよく丘の上の頂上広場に展望台がある。天気が良ければ展望台まで行ってみようかと思っていたが、今日のような天気だとあまり眺めはよくないだろうし、標高で30mほど登る必要があったのでパスして先を急ぐことにする。 ここから国道36号線を外れて道道781号線に入る。この道は2009年にも逆方向に走ったことのある道で、国道36号線を走るよりも走りやすいだろうと思っていた。しかしいざ走ってみると信号だらけでストップアンドゴーの連続。さらに路肩が極端に狭くて自転車で走るに危なく、かつ歩道はでこぼこで走りにくくて、ちっともスピードを上げることはできなかった、このままでは今日の目的地である大滝の徳舜瞥山麓キャンプ場にたどり着けなくなるのではないかと考え途中からは歩道ではなく車道を走るようになった。車道を走るようになるとスピードもでるようになり、やがて路肩も広くなって走りやすくなった。 道道781号線を最後まで走り。そしてJR函館本線の踏切を渡って国道36号線に出た。ここからの国道36号線は内浦湾に沿って走る。この区間は北海道を時計回りに走っているので自転車は海側を走っているのだが、残念な事に太平洋はほとんど見えない。しかし今回の北海道自転車ツーリングではこれが太平洋の見納めになってしまうので、わずかでも見える部分を狙って自転車を止めて太平洋をしっかりと目に焼き付けておく。ここでもソロのチャリダーとすれ違い挨拶する。海沿いの道ではチャリダーによく出逢うものだ。
13時30分に国道36号線沿いにあるヤマト運輸の白老センターに到着。ここでサイドバッグを受け取り自転車に取り付ける。サイドバッグの取り付けも慣れたもので作業は比較的短時間で終えることができ13時50分には出発。しかしこれまでと違って自転車がかなり重くなった感じだ。
この白老でコンビニに立ち寄っておかないと、今日この先にコンビニがないのはもちろんのこと、明日も喜茂別か留寿都までコンビニがないので食糧を補給しておく必要がある。そこでそのまま道道86号線に戻るのではなく、白老の町まで戻ってコンビニに立ち寄ることにした。 今日は苫小牧の町に入った頃から薄日が差すようになってきたので暑い。天気予報では曇り時々雨だったはずだが、雨どころか晴れているぞ。そこで白老のコンビニでガリガリ君のアイスを買って店の前で食べ、今日の夕食のカップ野菜や明日の行動食としておにぎりも購入しておく。
コンビニを出る時、ボトルから水を飲んでボトルケージに戻そうとしたらボトルケージが割れていることに気付いた。どうやら金属が疲労破断したようだ。11年も前に買ったものなので壊れても仕方ないだろう。幸いにも破断してもボトルケージとしては使用できそうだったのでそのまま使い続けることにした。北海道から帰ったら新しいのに買い直すことにしよう。 関係ない話だが最近どうも記憶力が悪くなってきた。脳の活性化は運動しながら頭を使うことが一番効果的とされる。私は自転車通勤時には車のナンバーの4桁の数字を四則演算して頭を使うのをよくやるのだが、ここでは交通量が少なすぎてその手が使えない。アルツハイマーの検査をする時には100から7を順番に引いていくというのがあるのだが、私は珠算をやっていたのでそんなのは一瞬で終わってしまう。そこで自転車を走らせながら1000から77を繰り返し引くというのをやってみた。これくらいが自転車を走らせながら計算するにはちょうどいいくらいだったが、何度もやっていると数字を覚えてしまうので、1000から37を繰り返し引いてみたり67を引いてみたりと色々試しながら走ってみた。
道道86号線の緩やかな登りを登り続けるとホロケナシ駐車公園が見えてきた。ここはトイレもある駐車公園で芝生の広場もあり緊急時はここでキャンプができそうな雰囲気だ。しかし駐車場の路面を見るとタイヤ痕が多数残っており、夜中にうるさいのが来たら嫌なのでここはパスだ。その代わりにホロホロ峠越えに備えてパンを食べて休憩する。千歳空港で給水して以来、水をまったく給水していなかったのでここで給水しようとしたところ、このトイレの水は飲めなかった。これを逃すと残り400ccほどでホロホロ峠を越えなければならない、大丈夫だろうかと心配になってきたが気温も低いのできっと大丈夫だろう。 ホロケナシ駐車公園にはホロケナシ駅逓跡があった。駅逓とは北海道への移住民や開拓地を旅する人々の便宜を図るために宿泊施設や馬の飼育を行ったり、物資の運輸や郵便業務も取り扱う施設だ。このホロケナシ駅逓は1914年に白老と大滝を結ぶ道路が開通したのを機に1924年に駅逓が開設された。このホロケナシ駅逓は地域農民の集会所としても利用されたが次第に利用者が減少し1944年間に廃止された。それを記念してホロケナシ駐車公園のトイレは駅逓をイメージした建物になっている。
少し走るとしらおい森野オートキャンプ場が見えてきた。ここは大滝までたどり着けなかった時のための緊急避難用のキャンプ場に考えていた。ここから次のキャンプ場である徳舜瞥山麓キャンプ場までは19km、ホロホロ峠を越えるのにあと標高で470mほど登らなければならない。おそらく到着までに3時間はかかるだろうから16時までにここに到着しなければしらおい森野オートキャンプ場に泊まろうと思っていたが、今の時間はまだ15時30分とリミットより30分の余裕があるので先に進むことにする。 道道86号線は旭橋を越えると登り勾配が一気に急になった。ここからはホロホロ峠の頂上まであと約6.7km、標高差にして約400m登るので平均勾配は約6%だ。私は峠の頂上に行くまで1回だけ休憩することにした。いつもは腕時計の高度計で休憩のタイミングを計るのだが今回は勾配が一定でかつ頂上までの距離がわかっていたので距離で計算する。 しかし急坂を3kmちょっとだけでも休憩なしで走るのは辛い。平均勾配6%だからそれだけで標高で200mは登っているのだ。この急坂を登り続けると気温は低いはずなのに全身汗だくになってヘルメットから汗がポタポタと滴り落ちるようになった。そして胃の調子まで悪くなってこれだと夕食が喉を通るだろうかと心配になってきた。 急な坂を登り続け、さっき決めた中間ポイントにさしかかった時ちょうど森野トンネルの手前にパーキングがあったので自転車を止めて休憩し、パンを食べながら貴重な水を飲んだ。もう水は残り少なくこの休憩ですべて飲み切ってしまったが、これだけ汗をかいていたら飲まないわけにはいかない。 パーキングを出発すると全長330mの森野トンネルだ。一般的にはトンネルは峠の頂上にあるものだがここはそうではなく、まだまだ登りが続く。おまけにトンネルの中まで緩やかな登り勾配だったのが嫌だった。幸いなことに交通量が少なかったおかげで怖い思いをすることはなかった。このトンネル内で今回初めて投入したリアのフラッシングライトの自動点灯が機能するかどうかを確かめたが、確かにちゃんと点灯していた。 森野トンネルを越えてさらに坂を登ると1km程走ったところに全長85mのホロホロトンネルが見えてきた。このトンネルは全長こそ短いが傾斜は先程の森野トンネルよりもきつくて苦しめられた。この頃になると標高が上がったことで雲の中に突入し霧が出てきた。雨こそ降っていないが霧で視界が悪い。私は追突されないようにリアのフラッシングライトを点灯させたかったが、霧だと明るいので自動点灯してくれなかった。やはり強制点灯のスイッチが必要のようだ。 道道86号線のホロホロ峠頂上近くはヘアピンカーブの連続で眺めも良さそうな感じだ。しかし残念な事に霧が深くて何も見えなかった。きっと晴れていれば白老の町まで見えるのではないだろうか。近くのオロフレ峠もそうだが、ここはぜひとも晴れている時に登りたい峠だ。
ホロホロ峠からの大滝側の道道86号線は三階滝川に沿って走る。傾斜の急な白老側とは違いブレーキをかけなくても時速30kmを維持できるくらいのなだらかな下りが続く。道道86号線の分岐まで6kmを約190m下るので平均勾配は約3.2%と言ったところか。緩やかな下りが続くというのはブレーキシューをすり減らさなくていいので自転車に優しくて嬉しい。それでも所々はブレーキをかける必要もあった。 17時15分にようやく道道86号線の分岐に到着した。この分岐にはトイレのあるパーキングがあった。さっきのホロケナシ駐車公園ではトイレの水が飲めずにボトルに給水できなかったので、ここで給水しようと立ち寄って確認したらここのトイレの水も飲めなかった。トイレの水が飲めないのは最近の流行だろうか。まさかキャンプ場の水が飲めないということはないと思うが。 ここから徳舜瞥山麓キャンプ場までは2kmちょっとなのだが、ここからは50mほどの高さの丘を登り、さらに30mほど下って再び30mほど登る。このあたりは山の裾野に沿って走るのでアップダウンが激しく勾配も今日までの中で一番きつかった。
この徳舜瞥山麓キャンプ場は広いグランドを利用したキャンプ場だ。もともとこのあたりは徳舜瞥鉱山として1940年から操業が始まった。初め褐鉄鉱を産出し、その後硫黄も産出するようになったが鉱脈が枯渇し1971年に閉山した。閉山に伴い人口は減少し鉱山の麓にあった上野小学校も1981年に廃校となった。この旧上野小学校のグラウンドを使用した無料のキャンプ場が徳舜瞥山麓キャンプ場だ。小学校の跡地のはずだからかつてはこの周辺に多くの民家があったのだろうけど今はその面影すらなく、周囲に人家はまったくなかった。 設営場所を決めたらテントを張りつつ先に米を水に浸しておく。こうすることで炊事が早くできるのだ。サイドバッグの中の荷物も宅急便で送ったままになっておりかなり使いにくかったので、この際キャンプ旅で使いやすいように荷物を入れ替えておく。 昨年の北海道自転車ツーリングの段階でテントは11年間の使用でシームテープがボロボロになり、もう新しいのに買い換えるつもりでいた。しかしアライテントのエアライズは1996年と2006年にモデルチェンジしており、この調子でいけば2016年には再度モデルチェンジするだろうと考えそれまで待つことにした。しかしこのボロいテントであと2シーズン過ごさねばならない。晴れていればこれでもまったく問題ないが雨が降ると防水性が損なわれているので大変なことになるだろう。 テントは交換しなかったがインフレータマットは交換した。これまで使っていたマットはカスケードデザインのサーマレストウルトラライトだった。これも11年使ってきて今でも十分使用できるしモンベルやスノーピーク、イスカ、ロゴス、コールマンの最新の機種に比べても見劣りしない。しかし最新のカスケードデザインのサーマレストのインフレータマットに比べると重さの点で見劣りするようになったので交換した。重さは従来品の6割程度まで軽量化されたが、その代わりに重量が軽くなった分だけクッション性が低下し寝心地が若干悪くなったのと足先のマットの幅が狭くなってしまった。 テントの設営も完了し荷物も入れ替えできたので18時15分から夕食の準備に取りかかろうとした。テント前にレジャーシートを敷いてコッヘルや食材を並べ始めた途端に雨が降り始めた。テントは既に設営完了していたので雨に濡れても問題ないが、雨の中で狭いテントの前室で炊事するのが嫌だったので、そのまま炊事道具と食材を屋根のある炊事場に持ち込み炊事場で食事を作ることにした。
元々私の場合、キャンプ場に到着すると毎日ご飯を炊いていた。その際コッヘルの蓋が浮き上がらないように重しとして、またレトルトパックを温める目的でレトルトパックを蓋の上に載せていた。さらにご飯が炊きあがり蒸らしている間はコッヘルの下にレトルトパックを敷いてさらに温めていた。その間はバーナーが空いているのでマグカップでみそ汁を沸かすと、ちょうどご飯が蒸らし上がった頃にみそ汁ができあがり、タイミングよく両方が完成していた。 しかしこれがレトルトパックではなくフリーズドライになった場合、まずドライフーズは重量が軽いのでコッヘルの蓋の重しにはならない。さらにフリーズドライの状態で温めても意味がない。するとコッヘルの蓋の重しは水を入れたマグカップ等の別のもので代用する必要がある。さらに炊きあがったご飯を蒸らしている間、今まではマグカップでみそ汁を作っていたが、そうするとフリーズドライを溶かすお湯が作れないので、ご飯を蒸らしている間にマグカップでお湯を作り、蒸らし終わると同時にコッヘルの蓋でフリーズドライをお湯で溶かしてご飯にかけ、残ったお湯にみそ汁の素を入れてみそ汁を作るという、かなりハードな作業が必要になってしまった。 ご飯は炊きあがったがまだ荷物の入れ替えが十分ではなく雨の中、携帯蚊取りやその薬剤、電池、お箸、スチールたわし、味噌汁、カッブ野菜などを用意しようとする度に雨の中をテントや自転車に往復したのでずいぶん濡れてしまった。 ようやく18時40分から食事を始める。今日の夕食は麻婆茄子と小松菜の味噌汁とカップの野菜だ。ご飯の水の量が多かったようでベチャベチャなご飯となってしまい正直言ってあまりおいしくなかったがお腹が空いていたので完食する。 実は一週間ほど前から歯が痛かった。原因はよくわかっており虫歯ではなく歯の根っこにある膿胞の圧力が高まって歯茎を破って外に出ようとしているのだ。この現象は2〜3年に1回発生し、一度膿が外に出ればすぐに直るのだが、膿が出るまでが夜も寝られないほど痛いのだ。通常は痛み始めてから3日もあれば直るのだが今回だけは一週間経っても直らなかった。これはまずいと痛み止めの薬を大量に持参したが、結局北海道に着いたときから痛みは完全に直ってしまった。 食事をしているときキャンピングカーの人が炊事場に来たので話をする。どうやら一人で来ているようでこのキャンプ場にもう長く滞在しているらしい。悠々自適というやつだろう。私も定年退職したらこうした生活をしてみたいものだ。
テントに戻り旅の日記を書く。今日は飛行機の中で書いて以来、旅の日記をまったく書いてこなかったので書くことがたくさんある。おそらく今日のうちに書き終えることはできないだろう。これまでは今日の旅の日記を書き終えるまでは寝ないようにしていたが、昨年からは書き終えなくても22時になれば寝るようにしている。今年もそうするつもりだ。 テントの中で旅の日記を書いていると20時30分頃に遠くで花火大会の音が聞こえてきた。花火が見えないかとテントから外に出てみるが残念な事に何も見えなかった。距離的には大滝あたりで花火大会しているような感じだ。後で調べたらこれは北湯沢ロングラン花火大会というものらしく、北海道の夏休みの1ヶ月間のみ毎日176発の花火を上げているそうだ。そう言えばこうした毎日実施するロングラン花火大会は洞爺湖などでも行われており観光客誘致のために苦心しているのだろう。 旅の日記を書きながらテントの中でラジオを聴いていると台風11号の影響で明日の天気は日本全国雨と言っていたが北海道だけは晴れとのことだ。どうせしばらくは雨が続くのだから明日のうちに洗濯物を乾かしてしまおうと20時から洗濯を始めた。このキャンプ場の炊事場の屋根にはロープが張ってあったので雨を気にせずに洗濯物を干すことができる。明日の朝までに乾かなくても明日走りながら乾かせばいいのだ。 今日はホロホロ峠越えですごく汗をかいたので、テントに入ってからも水を飲み続けた。ただの水ではなくアミノバイタルを水に溶かして飲んでいる。このアミノバイタルは摂取することで疲労回復になると言われるが、私自身はまだそれを体感できるほどではない。このアミノバイタルを溶かした水をテントの中で700ccほど飲んだが、キリがないので適当なところでアルコールに切り替えた。 今年もお酒はサントリーのシングルモルトウイスキー山崎を持参した。シングルモルトは高級ウイスキーの代名詞で、もはや私のお気に入りのウイスキーだ。ただしウイスキーをボトルのまま持ち運んでいたのでは重いのでペットボトルに詰め替えている。そのペットボトルは昨年と同じく韓国焼酎チャミスルだ。日本ではJINROと言った方がわかりやすいだろう。このチャミスルの入っているペットボトルが630ccとウイスキーを入れるには最適の容量だし、かつペットボトルに緑色が付いているので光の影響も受けにくそうだ。 この容器はつい十日ほど前に韓国から土産として持ち帰ったばかりのものだ。私にとって韓国土産は他人用には韓国ノリ、自分用にはチャミスルと決まっている。このチャミスルも関税の限度枠一杯である3本購入して日本に持ち込んだものだが、国際線には液体の機内持ち込みできなかったので仕方なくチャミスルの為にバッグを預ける羽目になってしまった。 海外に出張するとだいたい夜は飲みに行くのだが、そのとき中国だけは困ってしまう。飲める酒がないのだ。中国でお酒と言えば青島ビールか紹興酒か白酒くらいしかない。もちろん他にも酒は色々あるがあまり一般的ではなく値段も高い。私はあまりビールが好きではないのでできれば青島ビールは避けたい。まして日本のビールに比べると青島ビールは味が薄い。 青島ビールがダメだとすると残るは紹興酒か白酒しかない。しかし白酒はアルコール度数が50%ほどありとても飲めたものではない。よく中国人は白酒で一気飲みしたりしているが、彼らに付き合うと翌日起きることができなくなってしまう。だいたい一口飲んだだけで喉が焼けるように感じるものをよくあれだけ飲めるものだと感心してしまう。とすると残るは紹興酒しかないのだが、紹興酒もアルコール度数が20%ほどあってかなりきつい。確かに紹興酒だけはおいしいと感じることができるのだが、それなりにきつい酒なのであまりガブガブと飲むわけにもいかない。 その点、韓国では酒には困らない。韓国の酒と言えばもちろん韓国焼酎チャミスルだがこれはおいしいのだ。口当たりがよくてついついゴクゴクと飲んでしまうが、アルコール度数は16%なのでビール感覚で飲んでいると翌日二日酔いで苦しむことになる。しかし韓国に行ったら自分用の土産としてチャミスルを買ってしまうほどチャミスルはお気に入りの酒だ。 話はずいぶんそれてしまったが、マグカップにウイスキーをシングルの水割りにしてちびちびと飲みながらテントの中で旅の日記を書いた。氷とつまみがないのは残念なところだがそれはいつものことだ。そんな贅沢は自転車キャンプ旅には許されないのだろう。 22時前になり旅の日記は終わりそうになかったので適当なところで切り上げ、毎回の恒例行事となったキャンプ場の夜景撮影に挑戦する。外は晴れていたが満月だったので星はほとんど見えなかった。せっかくの満月なので月明かりだけで撮影するが、まるで昼間の写真のようであまり夜のようには見えなかった。 今年から北海道自転車ツーリングに持参する三脚を変えた。中国製の安物の三脚だが実測値は385gしかない。これまでのスリック製450G−7でも540gあったのに3割削減された。しかもエレベーター下げ全高は450G−7の590mmから865mmまで伸びたので撮影が楽になった。代わりに縮長が315mmから360mmに伸びてしまったが、私の場合三脚はサイドバッグの後ろのペットボトルを入れる場所に収納するので長さはそれほど問題ない。 さらに今回はバルブ撮影のためのケーブルも持参した。三脚を持参するようになった2008年からは三脚を利用して自分撮りだけでなくキャンプ場の夜景も撮るようになった。しかし三脚だけでは撮影時間が最長30秒にしかならず、夜空を写し込んだりしようとすると感度を上げるしかなかった。しかしケーブルを持参したことでバルブ撮影できるようになり、よりダイナミックな夜景を撮れるようになった。ただしバルブ撮影はカメラの電池の消耗が激しいのが問題だ。 今朝セントレアで自転車を輪行袋に入れようとして親指の爪が割れたが、これがすごく痛い。親指はよく使う指なので使わないわけにはいかず、使う度に痛い思いをしている。初日からついていない。早く直らないものだろうか。 今日はよく走った。初日から85kmも走るのは2006年以来だ。しかもその時には標高353mの中山峠を越えただけだが、今年は85km走った上に標高623mのホロホロ峠まで越えているのだ。初日からこれだけ走るのは記録だろう。おまけに今日の積算上昇高度は約700mにも達した。明日はもう少し楽な走りがしたいものだ。そう考えつつ22時をまわったので寝ることにした。明日は羊蹄山がきれいに頂上まで見えるといいな。
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