このキャンプ場は近くで漁船が操業しているので、そのエンジン音で朝4時に目覚めるが、昨夜の騒ぎの事もあったので、1時間だけ余計に寝て、5時過ぎに起きる。朝食はサンドイッチとおにぎり。テントを出ると昨日の家族が既に起きており、炊事場を占拠している事を謝りに来た。朝食は自炊しないので炊事場を使う事はなく何ら問題はないが、彼らの方から声をかけて来たのは嬉しかった。朝から雨が降っていたのでテントの撤収をどうしようか悩む。実は雨が降っている時にテントを撤収するのは初めてなのだ。結局テントの中身を全部トイレに移動し、しかもテント本体もフライシートごとトイレのひさしの下に移動し、そこでテントをたたむ事で、どうにかテントを本体を濡らさずにテントをたたむ事ができた。
オシンコシンの滝の少し手前から道は急に広くなり走りやすくなる。しかし雨は相変わらず降っており、美しい知床の景色がだいなしだ。途中、携行食のビスケットを食べて11時過ぎにウトロに到着。ウトロの町を抜け、知床峠の登りが始まる直前のパーキングで、これからどうするか散々悩む。
知床峠を越えるとなると、まずは腹ごしらえだ。自転車を200〜300m逆戻りさせて知床さいはて市場という大きな海産物の土産物屋に入る。ここにはレストラン流氷という食堂があったので、迷わず食堂に入りいくら丼を食べる。どちらかと言うと観光バスでやって来る団体の観光客向けの店だったが、思ったよりおいしかった。
余計な話だが1ヶ月ほど前の会社の健康診断で、初めて医師の所見が付いた。これまで健康診断で異常が見つかった事などなく、最近運動ばかりしているのに何が異常なのだろうと問診に行くと、お医者さんいわく私は「洞性徐脈」だそうだ。洞性徐脈とは脈拍が異常に遅くなる病気らしい。洞性徐脈には2通りあり、1つは病的なもので脈拍が少ないので心臓が血液を必要量送り出す事ができず、すぐに疲れたり、目眩いをおこしたり、倒れたりするもの。ひどい場合は心臓にペースメーカーを入れなければならないが、日常生活に不自由ければ治療の必要などないらしい。だからお医者さんは私に、しきりに「疲れたりしませんか?」と聞いてくるけど、こっちはいたって健康。もう1つはスポーツ選手に見られるスポーツ心臓というやつだ。日頃から持久力を必要とするトレーニングをしていると心臓の血液を送り出す能力が高まり、1回の鼓動でたくさんの血液を送り出せるようになるので、平常時の脈拍が下がるらしい。ちなみに私の脈拍は40回/分なかった。私の今までの訓練を考えると、どうやら私はスポーツ心臓になったらしい。もともと50回/分程度と遅かったが、この洞性徐脈を調べていて、どこかのHPに「ツール・ド・フランスの選手は脈拍が30台しかない」と書かれているのを見て、「おお、私もツール・ド・フランスの選手並みに鍛えられたか」と喜んだものだ。もちろんそんなはずはないが。 さて、50mほど登ったところで雨が降り始めた。チャリダーというものは多少の雨ではレインスーツは着ないものだ。なぜならどうせレインスーツを着ても汗で濡れるのだから、汗で濡れる量と雨で濡れる量を天秤にかけ、それでもレインスーツを着た方が濡れる量は少ないと判断できるまでレインスーツは着ない。しかしレインスーツを着た方が濡れる量は少ないと思えるほど雨が降りだした。仕方なく自転車を止めてレインスーツを着て再び登り始める。レインスーツを着ての登りは地獄だ。サウナスーツを着ているようなものだから汗が滝のように滴り落ちる。しばらく走ると今度は雨が小振りになってきた。チャリダーというものは雨が少しでもやむと、すくにでもレインスーツを脱ぎたがるものだ。理由は言うまでもない。例に漏れず私もすぐに自転車を止めてレインスーツを脱ぎ再び走り始める。ところがレインスーツを脱ぐと再び雨が降り始めるのだ。そんな事を3回くらい繰り返していると、そのうちにレインスーツを着るのも嫌になってしまい、とうとう雨の中、レインスーツも着ずに坂を登り始める。もう小雨とは言えないほど雨が降っており、全身ずぶ濡れとなってしまったが、汗をかいていない分だけこの方が快適だ。しかし雨の中をレインスーツも着ずに、ずぶ濡れになりながら大量の荷物を積んだ重い自転車で峠を登る姿は相当すさまじいらしく、すれ違う、あるいは追い抜いて行くライダーからはいつも以上の、いや、最大限の応援をしてくれる。もはや私のエネルギー源は、ライダーからの声援だけだった。 30分ほど登ったところで路肩に木が張りだした場所があり、そこで雨を避けながら10分ほど休憩し、再び登り始める。雨は相変わらず降っているけど、ウトロ側からの登りは傾斜に変化が少ないので比較的登りやすい。しかもギアはフロントはインナーを使っているけどリアはロー側をあと2つも残しており、結構余裕がある。傾斜がそれほどきつくないという事だ。 こんな峠を無理に登っていたら、再び宗谷岬の時のように足が痛くなるのではないかとの思いが脳裏によぎったが、幸いな事に足が痛くなる事はなかった。3日目の午後、宗谷岬あたりが一番痛く、その翌日もちょっと無理はできない状態だったが、それ以降は問題ないので、もう大丈夫だろう。 さらに30分ほど登ると標高370mの標識が見えてきた。ここでちょうど半分だ。この中間地点でさらに10分ほど休憩。しかし、いよいよ雨が激しさを増し、とうとうここからはレインスーツを着て登る事にする。1時間も雨に濡れた上にレインスーツを着てもほとんど意味はないが、それでも着たくなるほど雨が降りだしたのだ。また大汗をかくだろうと覚悟していたが、思ったほど汗はかかない。あまりにも濡れたので汗をかいても気付かないか、もしくは気温が下がって汗をかかなくなったのかもしれない。
そしてラスト30分の登り。しかし頂上に近い登りはそれまでに比べて傾斜が比較的緩やかで、あまり苦しむ事はなかった。もしかしたら景色に見とれて苦しさを忘れていたのかもしれない。ところが峠の頂上まであと少しに迫った時、突然、峠の頂上が霧で覆われはじめた。ついさっきまで頂上が見えていたのに、今はまったく見えない。やがて自転車も深い霧に包まれ、視界は50mくらいまで落ちる。そしてようやく知床峠の頂上に到着。12時前に登り始めて14時30分前に到着。741.6m登るのに2時間30分かかったが、30分は休憩しているので、実際に自転車に乗っていた時間は2時間と言ったところだろう。さっそく峠の頂上で記念撮影。しかし霧が深くてまわりがどうなっているのかまったく見えない。しかも広い駐車場があるにもかかわらず、車はたった1台しか止まっていない。さすがにこんな雨と霧の日に知床峠に来る観光客はいないか。自転車で走っている限り、視界は50mもあれば問題なく走れるのだが、せっかく苦労して知床峠を登ってきたのに、霧でまわりが何も見えないというのはちょっと悲しいものがあった。それよりも自転車を止めると全身濡れているので急に寒さで震えだす。
もう少しで前輪のブレーキレバーもハンドルにくっついてしまうという状態になった時、ようやく国設羅臼温泉野営場の標識が見えてきた。15時過ぎに、やっと今日の宿泊場所に着いたのだ。雨の日の下りはブレーキシューがあっという間になくなってしまう事を改めて実感。国設羅臼温泉野営場への入口には急な上り坂が待ち構えており、ここは距離は短いものの知床峠よりも傾斜がきつく、この北海道旅行初めての一番軽いギアを使う事になる。 坂を登ったところに駐車場があり、そこに管理人室があったので受付しようとするが誰もいない、というより開いていない。どうしたものだろうと近くにいた人に聞いてみると受付しなくても勝手に泊まってよいそうだ。なるほど、タダなんだから受付すら必要ないのか。とりあえずテントを張る場所を探そうと受付の横に自転車を止め、近くに簡単なキャンプ場の地図があったので、それを確認する。駐車場から見て右側がファミリー用、左側はライダー等のフリーサイトという事だった。私は迷わず左側のフリーサイトに歩いて行く。 キャンプ場はそこそこの広さがあるが、傾斜が多く平地は少ないのと、土砂降りの雨だった事もあり水はけが悪く、キャンプ場の至る所に水たまりができていた。テントは長期滞在者と思われるテントが5張ほどと、ソロのライダーと思われるテントが10張ほどが既に張られていた。テントを張る場所はまだまだ余裕があるものの、そのほとんどが水はけの悪い場所にあったので、キャンプ場を3周ほど歩いて最適な場所を探し出す。水たまりの横だったが、平地でどうにかテントを張れるスペースだった。土砂降りの雨の中、さっそく私はテントを張り始める。雨の中の設営は初めてだった。素早くしないとテントの中まで濡れてしまう。どうにかテントを張ったところで一息つくが、ずぶ濡れのままテントに出入りすると、テントの中まで濡れてしまうので必要な物だけテントの中に入れ、外で雨に打たれながらこの後どうするかを考える。 まずは食事だ。しかし知床峠を越えてきた私にはコンビニすら立ち寄っておらず、おにぎりやパンなどはすべて食べ尽くしていた。米やラーメンなどの食材はまだまだあったけど、いずれもバーナーとコッヘルを使わねばならず、この土砂降りの雨ではそれもできない。炊事場に屋根があったので、炊事場で調理できないか様子を見に行った。できなくはなさそうだが、ここで調理するとまわりの人に迷惑がかかりそうだったので、どうしようかと考えていたら、長期滞在者の人が何人か炊事場にやってきた。私は彼らに挨拶し、色々と情報を得る。私はまったく知らなかったのだが、この土砂降りの雨は台風10号が接近しているからで、今夜から明日朝にかけて台風が通過するらしい。台風の時くらいライダーハウスか民宿に泊まった方がいいような気がしたが、既にテントは張ってしまったし、もう疲れ切って動く気にはならなかったので、ここで台風をやり過ごす事にする。すると長期滞在者のおじさんから私に一緒に食事に来ないかとお誘いがかかった。ご馳走はないけど缶詰くらいならあるから食べに来いと言う。私は最初、社交辞令かと思っていたが、あまりに何度も言うので、もしかして本気かなと考えてしまった。とりあえずずぶ濡れになった体を何とかしたかったので、温泉に行ってきますと言ってその場を立ち去った。 国設羅臼温泉野営場は道を挟んだ隣に熊の湯という無料の露天風呂があり、この露天風呂がキャンプ場の最大の魅力だったので、ここに入らずして羅臼に来た意味はない。乾いた服は1着だけあったが、温泉に入って着替えても、この土砂降りでは風呂から戻る時にまた濡れてしまいそうだったので、着替えも持たずにタオル1枚だけでずぶ濡れに濡れた服のまま熊の湯に行く。さすがに無料なので、お金を取る温泉ほど設備があるわけではなく、脱衣場も湯船も小さいし、洗い場もなきに等しいが、タダだから誰も文句は言わない。温泉につかれるだけで天国というものだ。熊の湯はお湯の温度が熱いと聞いていたが、完全な露天風呂に土砂降りの雨だったので、お湯の温度はちょうどくらいだった。大雨の日に露天風呂に入るというのは何だか変な気分だった。湯船にずいぶん長くつかって十分に体を温め、再び濡れた服を着てキャンプ場に戻る。 キャンプ場に戻りながら私は夕食をどうしようかとずいぶん考えた。確かに長期滞在のおじさんからのお誘いは嬉しかったが、あれは社交辞令ではなかったのだろうか? 迷惑ではなかろうか? しかしお誘いを断ったとして食事はどうするか? 自炊はできそうにないし、コンビニに弁当を買いに行くにも、行きは坂を下るだけなので楽だが、帰りは坂を登らなければならない。疲れ切っていたし、土砂降りの中、坂を登るのは嫌だったし、もう薄暗くなっていたので、コンビニに行くのは無理だろう。あとは携行食でしのぐしかないが、残っている携行食はスニッカーズが1本とカロリーメイトが2つだけ。これではちょっと足りない。夕食をどうするか散々考えたあげく、とうとう私はおじさんからのお誘いを受ける事にした。おじさんは何度も何度も誘って下さったので、社交辞令ではなさそうだったし、私自身、羅臼のキャンプ場のヌシと呼ばれる人達と話し、その生活を垣間見てみたかったのだ。 私は自分のテントにも戻らず、濡れた服のままおじさんのテントを訪れると、おじさんは私を暖かく迎えてくれた。おじさんのテントは長期滞在者らしく青色のビニールシートの屋根があり、テントの前で雨にも濡れず炊事できるようになっていた。おじさんは私に椅子を用意し、そして缶詰を3つ開けて私に薦めてくれ、さらにお酒まで用意してくれた。お酒は安い焼酎をお湯で割った熱燗で、温泉に入ったとはいえ濡れた服を着て冷えきった私の体を内側からぽかぽかと暖かくしてくれた。でも暖かくなったのはお酒の為だけではなく、おじさんの親切が私の心まで暖かくしてくれた事は間違いない。私は冷たいアルコールが好きだったので熱燗を今まで飲んだ事がなかったが、この一件があって以来、寒い冬の日には時々、この羅臼のキャンプ場で知り合ったおじさんを想い出しながら安い焼酎の熱燗を飲むようになった。 おじさんはもう60才くらいで、6〜10月の間はここでテント暮らしをして、冬の間は羅臼のライダーハウスで暮らしているらしい。家を持っていて夏の間だけテント生活というわけではなく、ほとんどホームレス同然のように思え、また収入があるようにも思えなかったので、そんな人から食事をご馳走になるのは気が引けてしまい、せっかく缶詰を3つも開けてもらったけど、なかなか箸は進まなかった。それでもお酒も入ったこともあっておじさんから色々と話を聞き、また私もこれまでの旅の様子を話す。おじさんが私を食事に誘ったのは、おじさんが若い頃、ライダーをやっており、その時に同じように親切にしてもらった事があり、その親切が嬉しかったので、全身ずぶ濡れでキャンプ場に来て、食事をどうしようかと途方に暮れていた私を見て食事に誘って下さったそうだ。本当におじさんの親切は嬉しかった。 それから1時間ほど、おじさんの若い頃ライダーをしていた時の旅の話を聞いた。おじさんは10年ほど前まで関西で定住していたが仕事を失い、バイクで日本海側をのんびりとキャンプ場めぐりしながら北上し、3ヶ月かけて北海道に来てここに定住したそうだ。キャンプ場にやってくる動物の話しなど色々とおもしろい話を聞き、台風の夜を楽しく過ごす事ができた。 自分のテントがこの雨に無事かどうか心配だったので、おじさんに何度もお礼を言って自分のテントに戻る事にした。どうも私の為に開けてくれた缶詰は、おじさんの今日の夕食だったような気がしてならず、全部食べるとおじさんの夕食がなくなってしまいそうだったので、それぞれ1/3づつくらいしか食べなかった。峠越えしてきたチャリダーの胃袋を一杯にするにはほど遠かったが、私の心はおじさんの暖かい親切で一杯になっていた。 19時30分に自分のテントに戻り、中に入ってびっくりした。テントの中が床上浸水していたのだ。5mmくらい水がたまっていただろうか。テントを張ってからもう4時間もバケツをひっくり返したような土砂降りの雨が続いているのだから仕方ない。私はすぐにタオルでテントの床を拭いてはテントの外でタオルを絞り、そんな事を何十回も繰り返す。どうにか床にたまった水を拭き取る事ができたが、しばらくするとすぐに床から水が染み出してきてキリがない。とりあえず濡れた服を着て寝るわけにはいかないので、唯一の乾いた服に着替え、絶対に濡らしたくないものだけはビニール袋に入れて完全に密封した。他の物は濡れてもあきらめるしかない。とりあえずマットの上だけは安全地帯だったのでシュラフを絶対に濡らさないように、マットの上に広げてシュラフに潜り込む。まだ20時だったが、おじさんにご馳走になったお酒がまわって睡魔が襲いかかっていて眠くて仕方がない。旅の日記を書かなくてはならないが、眠くてもうそれどころではなかった。このまま寝てしまえば、台風は夜中のうちに通過してしまい、朝起きたら晴れ間が見えているかもしれないという希望的予測もあったので、夜中に寝返りをうってマットからはみ出す事のないようにと祈りつつ、土砂降りの雨がフライシートを叩く音を子守歌に20時に就寝する。
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