HIRAO'S HOME PAGE > 世界名作劇場 > 小公女セーラ > 小公女セーラ 感想

小公女セーラ  感想

 「小公女セーラ」は世界名作劇場の中でもかなり暗い部類に入る作品です。お父様が亡くなってメイドとして働きだしてからは、ひたすらミンチン院長と代表生徒のラビニア、メイド頭のモーリー、コックのジェームスにいじめられる毎日。メイド仲間のベッキーと共に泣かない日はないというくらい悲しい物語です。
 セーラがミンチン女子学院に来た時はセーラは大金持の娘で贅沢し放題でした。あまりの贅沢ぶりに「こんな恵まれた世界名作劇場の主人公があっていいのかっ!」と思っていたのもつかの間、物語中盤に入る頃にお父様が破産して亡くなってしまい、セーラは無一文になってしまいます。しかも身寄りがないのでミンチン女子学院にメイドとして働かせてもらう代わりに住まわせてもらうという、奈落の底に突き落とされたかのような展開をみせます。セーラの為に学院に損害がでてしまった事を恨みに思ったミンチン院長はひたすらセーラをいじめ続け、ミンチン院長に命令されたモーリーやジェームスもセーラをこき使ったり食事を与えなかったりと、それはもう鬼のような仕打ち。しかも極めつけは代表生徒のラビニアは代表生徒を奪われた悔しさからセーラの事を憎んでおり、それはもうすさまじいいじめが始まります。しかし無一文になったはずのセーラもお父様の友人のクリスフォードさんと出会った事により再び大金持のダイヤモンドプリンセスとなるハッピーエンドで物語は幕を閉じます。もしセーラが食事も与えてもらえず寒い屋根裏部屋で朝ベッキーが起こしに行ったら餓死して冷たくなっていたなどという展開になっていたら目も当てられなかったでしょう。まあ「フランダースの犬」のネロのようにならなくて本当に良かったです。
 ところでセーラがクリスフォードさんの後継ぎとなってダイヤモンドプリンセスとなった後、セーラから話を聞いたクリスフォードさんはオウムのポナパルトとポニーのジャンプを買い戻し、さらに御者としてピーターを再び雇いますが、1人忘れていませんか? そうです、セーラの専属メイドだったマリエットを呼び戻さなかったのはなぜでしょう? ベッキーをメイドとして雇うのではなく、あくまでお友達としてクリスフォード家に住んでもらい、マリエットをメイドとした方が良かったような気がするのですが、いかがなものでしょう。
 セーラと「フランダースの犬」のネロとはどちらが不幸でしょうか。ネロは最後に疲労と空腹と寒さで死んでしまいますからネロの方が不幸と言えば不幸なのですが、ネロが不幸になり始めるのはおじいさんが倒れた、物語も佳境に入った頃からです。しかしセーラの場合は中盤に差しかかる頃から終盤の最後の方まで延々と不幸の連続です。しかもネロの場合、いじめていたのはコゼツ旦那とハンスの二人だけで、いずれもネロと一緒に住んでいるわけではないから顔を合わせないようにすればできない事はありません。しかしセーラの場合、セーラをいじめていたミンチン院長、ラビニア、モーリー、ジェームスはセーラと一緒に住んでいるので顔を合わさないわけにはいきません。それに味方してくれる人もセーラの場合はベッキー、アーメンガード、ロッティなど、いずれもセーラと同様にいじめられていた人ばかりで、あまり役に立ちません。それに比べるとネロに味方してくれた人はミッシェルおじさんやノエルじいさんなど、強力な助っ人がいます。バッドエンディングだったという意味ではネロの方が不幸ですが、作品全体を通して見るならセーラの方が不幸ではないでしょうか。
 ちなみにTV版の「小公女セーラ」ではセーラが10歳の冬にミンチン女子学院に入学し、11歳の誕生日にお父様が亡くなり、11歳の冬に再びダイヤモンドプリンセスになっていますが、原作ではセーラは7歳の時にミンチン女子学院に入学し、11歳の誕生日にお父様が亡くなっています。アニメ製作上の都合で設定を変えてしまったのでしょう。他にも登場人物の年齢構成が原作とアニメとでは大きく異なり、セーラの年齢を基準にして考えると、原作ではラビニアは6つ年上、ベッキーは5つ年上のはずですが、アニメではラビニアは3つ年上、ベッキーに至ってはほとんど同年代になっています。アニメを見ているとベッキーは働きに出るには幼すぎると思っていましたが、原作では5つも年上だったのですね。きっと日本の視聴者の受けを良くする為にベッキーの年齢を下げてしまったのでしょう。
 この作品の訴えている事は優しさと思いやりでしょう。セーラは相手の身分に関係なく誰とでも仲良くしました。そしてプリンセスと言われていた頃でさえ、ただのメイドであるベッキーがこき使われているのを可哀想に思っていたのです。デュファルジュ先生も身分の違いで扱いをかえてはいけないとミンチン院長をたしなめました。そして最後にはセーラもダイヤモンドプリンセスとなり、その時になって初めてセーラをいじめ続けてきたミンチン院長はその事に気付いたのです。やはり他人への思いやりを忘れてはいけないという事でしょう。それからどんな環境におかれても誇りを捨ててはいけないという事も挙げられます。セーラはメイドに成り下がっても決してプリンセスとしての誇りを捨てませんでした。きっとマリー・アントワネットを見習っていたのでしょう。今から200年ほど前、ルイ16世の王妃だったマリー・アントワネットはベルサイユ宮殿で優雅な日々を送っていましたが、フランス革命で捕らえられ牢獄の中でそれまでとは違う辛い日々が続き、若く美しい髪は真っ白に変わるほどでした。しかし彼女は最後まで誇りを失わなかったと言われています。そして1793年10月16日、彼女は断頭台の露と消えたのです。セーラはマリー・アントワネットの話しを知っていましたから、例えメイドとしてこき使われても彼女のように誇りを失わないようにしていたのでしょうね。セーラは不条理な言い分で怒られた時、必ずと言っていいほど相手の顔を睨み返しました。その事で結局お仕置きがより厳しくなるだけだったのですが、これなんかも誇りを失わないようにする事の一貫だったのでしょう。

評価
 項目 5段階評価 コメント
不幸度 ☆☆☆☆☆ もう不幸の連続です。涙なしでは見られません
ほのぼの度 お父様が亡くなるまではわずかにほのぼのとしてしましたが…
お薦め度 ☆☆☆☆☆ 絶対おすめです
戻る
inserted by FC2 system