昨夜は寝たのが23時30分と遅かったが、一度も目覚めることなくぐっすりと寝ることができた。さすがに一昨日の夜は台風で寝られなかったので昨夜は寝られたようだ。目覚めたのは4時20分。子供たちの騒ぎ声が目覚まし代わりになった。二度寝しようとするが寝れそうになかったので4時30分から起きることにした。 テントを開けると空の半分が晴れで半分が曇り。天気予報通りだが風も相変わらず強くて昨日と同様に吹き荒れていた。幸いにも風向きは南風と昨日から変わらなかったので小屋が遮蔽物となってテントへの影響は少なかった。今日も向かい風の厳しい走りとなりそうだ。 昨日までほとんど洗濯ができておらず3日も同じ服を着て走り続けていた。初日は洗濯したが2日目は時間がなくて洗濯できず、3日目はパンク修理と台風で、昨日もパンク修理と雨で洗濯できなかった。このままでは4日連続洗濯することなく走り続けることになるので今日は朝から洗濯することにした。さすがに出発までに乾くことはないだろうけどそれまで木に吊して水分をある程度飛ばし、今日は晴れるとのことなので洗濯物を荷台に干しながら走れば乾くことだろう。
トイレに往復している時に気付いたがどうも足の調子が良くない。これまでの北海道自転車ツーリングで足が痛くなっても、その多くは自転車に乗っている時だけ痛くて普段の日常生活に影響が出ることはなかった。しかし今日は朝から左足全体に違和感を感じるのだ。昨日の痛みがまったく取れていない感じだ。私はテントに入ってズボンを脱ぐと左足にアンメルツを塗って筋肉を揉みほぐしたが、こんなので効果が出るとは思えなかった。 朝食にラーメンを作り久しぶりにおいしく頂く。その後、洗面を済ませたり荷造りをしてテントを撤収する。三重湖に自転車を乗り付けて写真を撮っていたら出発は6時30分となってしまった。洗濯物は乾いていなかったが荷台に干していたら乾くことだろう。
道道274号線を少し東に走るとすぐに西二号に入りそのまま道道1080号線に入る。自転車で走り始めたものの昨日と同じく風速10m/s程度の激しい向かい風の中を走るのは辛く、早くも足の調子が悪くなってきた。昨日でさえ調子悪くなりだしたのは昼前だったというのに今日は朝一番から既におかしい。向かい風の中、無理して走るとまた痛めそうだったのでいつもよりペースを落として走るが、スピードは時速10kmも出ないレベルだ。昨日もそうだったがこんなので本当に目的地にたどり着けるのだろうか? 道道1080号線から長沼で道道45号線に曲がり栗山を目指す。そして田園地帯を抜けて馬追橋で夕張川を渡ると7時20分に栗山の町に入った。国道234号線に入るとすぐに栗山公園が見えてきた。ここには9600型蒸気機関車が展示されていたので写真を撮っておく。ツーリングマップルを見るとここにはキャンプ場があるようだったので偵察してみた。山の斜面に作られたフリーサイトには家族連れのテントがいくつかとチャリダーのテントが1つあった。ここなら山に囲まれているので風の影響は防ぐことができそうだが斜面ばかりで場所を選ぶのは難しそうだった。
国道234号線を外れて道道3号線に入る。この道道3号線は走り始めた最初のうちは平地だったが2kmも走ると登り坂となった。ここには30mくらいの丘がある。しかし1kmくらいダラダラと登る丘だったので平均勾配3%くらいだが強烈な向かい風のために平均勾配6%の坂と同じくらいのスピードしか出なかった。 丘を登り切ると今度はブレーキをかけなくていい程度の下りが続く。いや、正確にはブレーキをかける必要のある坂だが、向かい風がひどくてブレーキをかける必要がないと言うべきだろう。坂を下りきると今度は再び緩やかな登りが始まる。道道749号線との交差点を過ぎたところにコンビニがあったので立ち寄ることにした。ツーリングマップルによると夕張にコンビニのマークがなかったので、念のために丁未峠を越えるための食材を購入しておく。購入したのは飲むヨーグルトとバナナ4本1房と凍らせたペットボトル。バナナを房で購入するのはこれで3日連続だ。店の前でバナナを1本だけ飲むヨーグルトと一緒に食した。凍らせたペットボトルは丁未峠でちょうどいい飲み頃になさっていることだろう。
ふたまた駐車公園から先も緩やかな登りが続いた。この道道3号線は道道749号線との交差点から夕張の道道38号線までに標高差で220mほど登る。ふたまた駐車公園から6kmくらいまでは緩やかな登りだったが、そこから先は一気に傾斜が急になった。そして大蛇の沢川に沿って標高を上げていく。 この頃になるともう足の痛みで自転車のペダルを回している時だけでなく自転車を降りてから歩く時ですら痛みで足を引きずるようになってきた。私はもう丁未峠どころか夕張にさえたどり着くのは無理なのではないかと思い始めた。そうなると明日以降、道北の峠を回るどころではなくなる。私は登り坂の途中で道ばたに自転車を止めるとこの先どうするか考え込んだ。このまま予定通り北海道自転車ツーリングを進めるか、それとも予定を変えて峠を避けたコースに再設定して女満別まで行くか、もしくは北海道自転車ツーリングそのものを止めて日程を短縮して千歳から帰るか。 私は真剣にもう夕張に行くのも断念して、このまま来た道を引き返して丁未峠をショートカットし、今日の宿泊予定である浦臼の鶴沼公園キャンプ場に向かおうかと考えた。しかしそうすると今日ここまで走ったコースを再び戻る事になりこれまでの苦労が報われないような気がした。道ばたで考えてもいい案は浮かばなかったので、このままとりあえず夕張まで行くことにした。 かつてこの道道3号線はグネグネとヘアピンカーブの続く道だったが2007年に新道が完成し走りやすくなった。その中でも大蛇の沢川を渡る錦冬橋からの眺めは美しかったので写真を撮っておく。ちなみにこの錦冬橋の名の書かれた銘板は映画の町夕張にちなんで吉永小百合の直筆だそうだ。
夕張トンネルを抜けると道道38号線に合流した。この道道38号線に入ったところから北上が始まるので、今までの強烈な向かい風から追い風へと変わった。この先、音威子府や浜頓別までずっと北上するので追い風が続いてくれることだろう。苦しかった向かい風ともサラバだ。 途中、夕張駅の一つ手前の鹿の谷駅の前に公衆トイレがあったので丁未峠の登りに備えてここで給水しておく。道道38号線に入ってからも登り坂は続いた。夕張の町のメインの通りにはゆうばりキネマ街道があり、通りに面した商店街の店には往年の映画の看板が90枚ほど掲げられており懐かしさを感じる。郵便局という公共の施設にも看板が掲げられており珍しさから写真を撮っておく。 夕張は炭鉱に変わって映画を観光の目玉にしようと2000年から始まったが、テーマパークやスキー場、映画祭など身の丈を越えた開発をしたため2006年に夕張の町そのものが財政再建団体となり、お盆のシーズンでありながらほとんど人のいない寂れた観光地となってしまった。 夕張の町を過ぎても登り坂は続いた。なぜか夕張に花畑牧場があり、それを過ぎるとすぐに石炭歴史の村だ。花畑牧場までは車も何台か行き来していたが、それを過ぎるとめっきりと人気はなくなり石炭歴史の村はまるでゴーストタウンのようだ。さらに登ると石炭の歴史村ファミリーキャンプ場が見えてきた。ここは話に聞いていたとおり閉鎖されており入口は簡単なパリケードが置かれていた。ここまで10年ぶりに夕張の町を走ってみたが、10年前も寂れていたが10年間でなおさら寂れてしまったように感じる。
昨年も同様に足の痛みに襲われたが、それは自転車で走っている時だけ痛くて日常生活ではまったく問題なかった。しかし今回の痛みは自転車で走っている時だけでなく日常生活においても痛いのだ。自転車を降りた直後に歩くと痛みで足を引きずるほどだ。そういう意味では明らかに今年の方がひどい。 昨年はサドルを少し低くして、かつ1日の走行距離を減らしたことで何とか元通り走れるようになった。しかし今日は朝から痛みがひどく、しかもここまで悪化する一方だ。これがよくなるようには思えない。そこで一つの決断をした。この丁未峠の頂上まで標高差であと360mほど。平均勾配6%としても距離にして6kmくらいか。そうするとどうしても足が痛くて走れなくなったとして全部押して歩いても2時間もあれば頂上だ。まだ11時だし登坂も不可能ではない。 この足の痛みは2日前の泊村のアップダウンあたりからおかしく感じていた。その日はトーマル峠越えがあり、この時はいつもよりも多めに休憩を取ったおかげかそれほど足が痛むことなく峠を登りきることができた。昨日も朝のうちはまったく問題なく、痛くなりだしたのは札幌手前あたりからキャンプ場まで走っていた間だ。 そこでとりあえず丁未峠を越えてみて、それほど足の調子が悪くならないようならこのまま今日は浦臼に向かって北上し計画通り旅を続ける。足は痛むがのんびりとなら走れそうなら峠なしの一日の走行距離を50〜70kmに減らし女満別に向かう。もう旅も続けることができないようなら明日の飛行機で千歳から帰ることにしよう。念のためにANAのホームページで明日の飛行機の予約状況を確認するといずれの便にも空席があった。 とりあえずやることは決まったので丁未峠を越えることにする。休憩は昨日と同じく標高で100m登る度に休憩することにした。坂のきついところは無理をせずに自転車から降りて押して歩いた。しかしこの足の痛みは日常生活でも痛むので自転車を押しても痛い。そのうちに自転車を押すよりも自転車に乗ってギアを下げて走った方が楽だということに気づいて次第に押して歩く回数は減っていった。 痛みに耐えながら坂を登ると標高430m地点にゆうばりめろん城があった。しかし残念なことに施設は閉鎖されていた。このゆうばりめろん城は夕張の特産であるメロンを加工する夕張市農産物処理加工センターとして1985年に建設された。しかし石炭の歴史村と同じ会社が運営していたため2006年に石炭の歴史村の経営破綻による閉鎖と同時にゆうばりめろん城も閉鎖となった。市の規模にふさわしくない開発を推し進めた結果がこれだ。身の丈に合った経営をすべきだったのだろう。 それからも急な登りをゆっくりと登り続けて11時35分に標高500m地点に到着。ここで予定通りの休憩を取りバナナを食べ少し溶けてきた凍らせたペットボトルを飲みながら休憩。気温もそれほど高くないし凍らせたペットボトルもあり足の痛みを除けば順調に登っていった。 11時50分に出発し再び急坂を登り始める。出発してすぐに眺めのいい場所があったので写真を撮ろうと道路の左側のガードロープに自転車を横付けし自転車の右側に降りようとしたところ足が痛くて左足を上げることができず自転車から降りるのにも苦労するようになってしまった。もう左足のふくらはぎから膝、ももにかけて全体が痛い。やはりこれ以上北海道自転車ツーリングを続けるのは無理かもしれない。写真撮影を済ませると自転車を走らせながらこの先どうするかを考えた。せっかくここまで登ったのだし丁未峠は越えるとして、その先は北上するのはやめて千歳空港に引き返すことにしよう。
私は2003年の北海道自転車ツーリングで羅臼ので台風遭遇によって腕時計が壊れてしまい、帰宅直後に時計をカシオのアウトドア用時計プロトレックPRG−50に買い直した。これはソーラーパワーであるだけでなくコンパスや高度計の機能もありそれからの北海道自転車ツーリングでとても役に立った。しかしいつしか高度計の機能がおかしくなり標高500mを越えるとまともに表示しなくなった。そこで今年から新しいプロトレックPRX−2500T−7JFを購入し今回の北海道自転車ツーリングでシェイクダウンした。これは当然のことだが高度計も正しく表示するため標高100m毎の休憩でも役に立ってくれるからありがたい。 標高600m地点で再び休憩。あとは頂上まで走るだけだ。しばらく走ると丁未風至公園が見えてきた。ここは丁未峠の頂上近くに作られた27ヘクタールの広大な自然公園で、かつてはレストハウスやパークゴルフ場、そして丁未風致公園大草原キャンプ場まであったが今では公園そのものが一部を除いて閉鎖されていた。 そして12時40分に標高699mの丁未峠の頂上にようやく到着した。こんなに苦労して登った峠は始めてではないだろうか。キャンプ場の出発から6時間以上かかってここまでの走行距離はたった44kmしかない。平均時速は7km以下。観光地にもほとんど寄らずにこんな遅いのは初めてではないだろうか。強烈な向かい風に急坂の峠、そして足の痛みと散々だった。 頂上に着いたとき私の心は決まっていた。もうこれ以上ツーリングを続けるのは不可能だ。幸いにも今は千歳に近い位置にいるので、今日は無理としても明日には千歳から飛行機で帰ることができる。そうすると今日はどのキャンプ場に泊まろうかとツーリングマップルを見ると今朝泊まっていた三重湖キャンプ場と朝に視察してきた栗山公園キャンプ場があった。栗山公園キャンプ場は雰囲気も良さそうだったが、今日も昨日に続いて風が強いのと明日朝は雨とのことだったので、雨と風の両方に強い三重湖公園キャンプ場に二日連続で行くことにした。
この国道38号線沿いには交通センターという建物が多数ある。万字交通センターに始まり美流渡交通センターなど立派な建物がたくさん存在した。何だろうと思っていたがどうやらこれは旧国鉄万字線の廃線跡らしいことがわかった。万字線は岩見沢と万字を結ぶ23.8kmの路線で1914年に開業し夕張地区の炭鉱から産出される石炭を運ぶのに活躍した。しかしこれらの炭鉱は1966年から1974年にかけて次々と閉山し万字線も赤字路線となって1985年に廃線となった。 この道道38号線の緩やかな下りを走っている時、走りながらの撮影をしようと考えた。もう北海道自転車ツーリングを明日で終わりにするなら、そろそろ撮影のペースも考えないといけない。当初の予定の半分の日数で切り上げることになるのでカメラのバッテリーもメモリーの容量も十分に余裕がある。いつも走りながらの撮影は1.5kgもの重いカメラを片手で持ちながらそれでシャッターまで切らなければならないので大変だ。それでも数十枚撮影すればそのうちの何枚かは使える物が撮影できたようだ。 自転車ツーリングでの写真撮影には色々ある。私の場合はほとんど自転車を降りて周りの風景や自転車を取り入れて撮影している。この方法だとアングルやフレーミングなど色々と試行錯誤できるので写真好きな私としてはこの撮影スタイルが楽しい。この方法の欠点は写真撮影する度に自転車を止める必要があるのでなかなか走行距離が伸びない点にある。 これは自転車を走らせながら写真撮影すれば解決するし、実際に自転車を走らせながら写真撮影したと思われる道の写真を掲載するホームページも多く見かける。しかし似たような道の写真ばかりというのは私のスタイルには合わない。まして私が使用しているEOS 7Dでは大きすぎてポケットには入らないし、走りながらバッグから取り出して撮影することもできない。また同様にGoProに代表されるアクションカムを自転車に取り付けるというのもあるが、やはりこれでも似たような道の写真や映像ばかりになってしまう。 私が走りながら自転車を撮影するとすれば自転車に乗りながら遅いシャッタースピードで自転車も含めた臨場感のある写真を撮るか、もしくは道端に三脚をセットして自分が自転車で走っている姿を撮影するくらいだ。特に後者は三脚を持参するようになって以来、景色のいい場所では多用している。 ところが技術の革新とは恐ろしいもので、私が北海道自転車ツーリングを始めた2003年には思いもつかなかった撮影方法が広まってきた。それはラジコンヘリによる空撮だ。当時は田畑に農薬を散布するためにラジコンヘリを使うことはあったが、これを一般の人が空撮の目的で使うことはなかった。しかし今では空撮用のラジコンヘリが揺れや傾きを吸収するジンバルとカメラがセットになって10〜20万円で手に入る時代になった。 しかもこの価格でGPSによる位置情報の取得と姿勢制御まで可能としているので、例えばホバリング中に風が吹いて流されても自動的に元の位置まで戻ってくるのはもちろんの事、あらかじめ飛行ルートを設定しておけば何も操縦しなくても勝手にプログラム通り飛んでくれるし、自動で設定した場所に着陸までしてくれるのだ。まるでトマホーク巡航ミサイルのようだ。トマホークは1983年から配備が始まったが30年経ってようやくその技術が民生にも下りてきたということだろうか。 これはとてもありがたい。なぜなら自転車で自分が走っている姿を撮影するには他の人に撮影してもらうか、自分一人の場合はあらかじめ三脚をセットしておく必要がある。空撮の場合も自分が自転車で走る場合はヘリを操縦する人が必要になるが、GPSで自動飛行してくれるならあらかじめ飛行ルートを決めてヘリを飛ばし、そのヘリを自転車で追いかけるか併走すれば自分一人で美しい北海道の大自然をバックに自転車で疾走している映像を空撮できてしまうのだ。まるで自動車のCMのようではないか。 私はこれにチャレンジしてみようと色々調べてみたが、やはりヘリの大きさとバッテリーという問題に直面し、断念するしかなかった。もう少し小型化されればぜひとも挑戦したいのだが。しかしライダーであればヘリさえバイクに搭載できるのなら自分がオロロンラインや知床峠を疾走する姿を上空から撮影するのも容易だし、ぜひともチャレンジしてもらいたい。
道道30号線との交差点の先にコンビニがあったので14時20分に立ち寄ることにした。コンビニに自転車を乗り付けて自転車を降りるが、しばらくはまともに歩くことさえできずコンビニの脇で3分ほどストレッチしたり足踏みしたりしないといけないような状態だった。昼食にバナナとパンしか食べていなかったのでカルボナーラと飲むヨーグルトを購入して店の前で食べた。ここに立ち寄ればもうキャンプ場までコンビニに行くことはないだろう。 再び道道38号線を走るが、途中から国道234号線に入るべくわき道にそれる。このわき道にそれる時が一つの決断の時だった。というのもこの道をまっすぐ進めば岩見沢に出てそのまま元のコースに戻れる。しかしこの足の痛みを考えるととてもそれはできない。私は後ろ髪を引かれる思いで道道38号線をそれて北海道自転車ツーリングを中断すべく国道234号線に向かっていった。 国道234号線に入ると再び向かい風に苦しめられるようになった。今日は南からの強い風なので南に向かって走るのは苦しめられる。本来なら夕張から先はずっと北に向かって追い風の中を走るはずだったが、旅を中断するために再び千歳空港目指して南に走らなければならないのだ。
栗沢まで国道234号線を下り、栗沢の駅前を抜けて道道274号線に入る。この道も向かい風となり自転車がなかなか前に進まず苦しめられた。無理してスピードを上げようとすると間違いなく足を痛めるのだ。しかし無理をしなければ何とか走れるレベルにはあった。自転車に乗っている間は「ちょっと痛いな」くらいで済んでいるのだが、自転車を下りた直後に足が痛くてしばらく歩けないのと、休憩して自転車を走らせ始めた直後が特に痛む。 昨年もそうだったが、なぜ昨年と今年の二回も続けて足が痛くなったのかを考えてみた。それはやはり峠を登りすぎだということしか思い浮かばない。2012年までの10回の北海道自転車ツーリングは峠も登ってきたがその数は決して多くなく、1日に2つ3つも登ったり、連日のように峠ばかりを登ることはなかった。それが一変したのは2013年からだ。1日に2つ3つも登ったり、連日のように峠ばかりを登ったことで5日目から足が痛み始め7日目にピークを迎えた。今年も同様に連日の峠で3日目から足が痛み始め5日目にピークを迎えた。 こんな峠ばかりを登るというのは過去の北海道自転車ツーリングではなかったことで、やはり無理しすぎが原因のような気がしてきた。今度また来ることがあれば峠の数を極力減らして健康・体調に気を使いながら楽しく走れるようにしよう。そうしないと足の痛みと闘いながら自転車で走ってもちっとも楽しくない。 道道274号線はキャンプ場近くで夕張川を清幌橋で渡る。この橋の上から見た夕張川は川の色が真っ茶色をしており、2日前の台風の影響を感じさせたが水量はそれほどでもなかった。一応写真を撮っておくが橋の上は風が強くて吹き飛ばされそうだった。風速15m/sくらいありそうだ。風が弱ければ三重湖公園キャンプ場ではなく500mほど北にある南幌リバーサイドキャンプ場に行こうかと思ったが、これだけ風が強いと三重湖公園キャンプ場の昨日テントを張った場所にもう一度設営するのが一番無難だ。 足の痛みに耐えながら15時40分に三重湖公園キャンプ場に到着。受付をすると昨日の管理人のおばさんが私のことを覚えていて驚かれたので、足の調子が悪くて千歳から飛行機で帰ることを説明した。そして今日も風が強いので再び小屋の後ろにテントを張らせてもらえるように交渉し快く受け入れてもらった。 今日は南幌温泉に行かれますか? と聞かれたので一応割引券をもらっておく。これがあれば600円の入浴料が400円になるのだ。私は南幌温泉のキャベツ天丼が今でも販売しているのかを聞いてみると、もちろん売っているとのことだった。話のネタにぜひ食べてみて下さいと言われたが、「おいしい」と言わず「話のネタに」と言うあたりが微妙な含みを感じる。 テントは昨日とまったく同じ場所に寸分違わぬ形で張った。なぜ寸分違わぬかわかるかというと、昨日刺していたペグの穴にトンカチを使うことなく今日もそのままズブズブと手で押して刺したのでズレはないはずだ。この場所は雨にも風にも強く、私のキャンプ生活史上最強の場所だ。そして16時20分にはテントの設営が完了した。今日も南からの風が強かったが、今日は昨日と違ってフリーサイトにテントがいくつか張ってあった。よくこんな強風の中、吹きさらしの場所にテントを張ってバーベキューができるものだと感心する。他にもテントを4つ張った集団がいてその集団と思われる子供達が公園内を走り回っていた。 昨日は南幌温泉に行けなかったが今日は北海道自転車ツーリングの最後の夜になるはずだったのでぜひとも温泉に行っておきたい。片道8kmでこの強い向かい風だから往復で1時間30分はかかるだろう。すると日が沈む18時30分までに戻ってこようとすれば温泉に入ってキャベツ天丼を食べている時間はわずか40分しかない。これではたぶん時間が足りないだろうけど、ここまで来たのならぜひともキャベツ天丼を食べたい。私は時間も考えずに南幌温泉に行くことにした。 道道274号線を南幌温泉向かって走り始めた。道道274号線は最初のうちは西南西に進むので向かい風だったが、途中右に曲がって西北西に進むようになると追い風となった。しかし温泉に着く頃には足が痛くなってきた。やっぱりおとなしくテントで旅の日記を書きながら足を休息させた方がよかったような気がしないでもなかった。
道道274号線を走ると途中に夕張鉄道晩翠駅跡という碑があった。夕張鉄道とは1926年に開業したJR野幌駅と夕張本町を結ぶ全長53.2kmの鉄道だ。夕張炭鉱で産出される石炭を運搬する目的で建設されたが後に旅客輸送も開始した。しかし1960年頃をピークにマイカーやバス路線の発達と共に旅客は減少し鉱山も相次いで閉山になったことから1975年には廃線となった。その晩翠駅がここにあったとされる。 17時ちょうどに南幌温泉ハート&ハートに到着。支度をして温泉に入った。この南幌温泉は湯船も広くて大浴槽、打たせ湯、水風呂など色々と楽しめた。露天風呂もあったので行ってみることにした。南幌温泉は本館と新館の2つに分かれており私は本館側から入ったが露天風呂は新館側にあり、裸で屋外の通路を70m以上歩かさせられた。この通路は七色の回廊と言って夜間は七色に光るそうだが、私が訪れた時はまだ昼間だったので七色でも何でもなかった。今の季節はまだいいが真冬に裸で70m以上も外を歩いたら寒くてたまらないことだろう。新館側には露天風呂の他、ラドン泉もあったのでこちらも堪能し、また裸で70m以上歩いて本館側に戻ってきた。 温泉から出ると私は新館側にあるレストラン味心に行った。この南幌温泉は温泉よりも、このレストラン味心で提供されるキャベツ天丼で有名だ。大きなどんぶりのご飯の上にキャベツを半玉も使った天ぷらがタワーのようにそびえ立つ姿は秘密のケンミンSHOWやリアルスコープZなど多くのTV番組やマスコミでも取り上げられ、この南幌温泉の名物料理にもなり私もかねてより食べたいと思っていた。せっかく南幌に来たのだし食べないわけにはいかないだろう。 780円のキャベツ天丼の食券を買って店員に渡し待つこと10分、出てきましたキャベツ天丼が。期待通り… いや、期待以上のボリュームに思わず笑ってしまう。早速写真を撮った後に食べ始めるが、とにかくボリュームが多い。キャベツのでっかい葉を芯にかき揚げにしたような天ぷらがご飯の上に3つ載っているが、とても食べきれる量ではない。私はそもそも少食で食べ放題に行っても絶対に元が取れないタイプなので、なおさら無理だろう。 かつてここ南幌町は米の産地だったが1970年から始まった米の生産調整のため米以外の作物の生産が求められた。南幌町では土壌や気象条件、そして札幌の大都市に近いという地理的条件を考慮し、1980年からキャベツを町の振興作物として作ることになり、今ではキャベツ生産量北海道一の町となった。その南幌町で余ったキャベツをまかない料理としてかき揚げにしたところ意外とおいしかったので20年ほど前から丼として販売するようになった。そして2010年に秘密のケンミンSHOWに取り上げられたことで爆発的ブームとなり一日に何十食も売れる南幌温泉の名物料理となった。 無理して何とか食べようとしたもののキャベツの葉の塊のかき揚げは1個と半分を食べるのが限界だった。これ以上食べるとお腹が膨れて自転車で走れなくなるのであきらめて残そうとしたが、もしかしたら持ち帰りできるのではないかと考え店員さんに相談したらあっさりと持ち帰り用のパックを出してくれた。そのパックに残ったキャベツのかき揚げとご飯を入れようとしたが、あまりにもかき揚げのサイズが大きすぎてご飯の上に1個と半分を入れることはできず、半分の方は残して丸々1個の方だけパックに入れる。
私はこのキャベツ天丼を見て4ヶ月前に行ったアメリカを思い出した。あの国は日本と違ってレストランに行ってもとにかく量が多くて食べきれない。それでも無理に食べようとしたので私も滞在中は一度もお腹が空くことがなくずっと満腹状態だった。アメリカで肥満が多いのはわかるような気がする。ただアメリカでは持ち帰り用のパックはどの店でも置いてあるので食べきれなければ持ち帰ることができるのがありがたい。私の場合ホテルに朝食が付いていなかったことから夕食を持ち帰って朝食にしていたが、それでも食べきれないほどだった。 レストラン味心でキャベツ天丼を食べ終え、18時10分に南幌温泉から出てきた。外に出るとまだ太陽が出ていたので頑張って走れば夕陽に間に合うのではないかと考え、足の痛みも無視してハイペースで走り続けた。しかし温泉から3kmほどは向かい風だったためあっという間に足が痛くなってしまった。どうも休憩した後に走り始めた直後は特に足が痛むようだ。もう急ぐのはやめてゆっくり走る事にした。 夕陽は傾き始めると沈むのは早いもので、南幌温泉を出発した時にはまだ太陽が出ていたが、いつしか夕陽も沈んでしまった。それでも今日は夕焼けがきれいに見えていたので何とか三重湖越しの夕焼けの写真だけでも撮ろうと考えた。しかし相変わらずの強い向かい風の中ノロノロ走り続けるしかなかった。 今夜の夕食は先程の南幌温泉でキャベツ天丼をお腹いっぱいに食べていたのでもう必要ない。その代わりに今夜は夜が長そうだったのでコンビニに立ち寄るが、自転車を降りてもしばらく歩けない状態だった。しばらくストレッチを繰り返ししてようやく店内に入りウイスキーを飲みながらつまみでも食べようとコンビニでポテトチップスとヨーグルトを購入し再び走り始めた。 コンビニを出発し幌向運河に架かる三重橋の上に上がると夕焼けがきれいに見えた。しかしここからでは民家が邪魔をしてあまりきれいな写真が撮れそうにない。そこで何とかあと3km走って三重湖公園の三重湖湖畔から夕焼けの写真を撮ろうと再びペースを上げて走った。ここから先は追い風となったのでまだ楽だったが、それでも足へのダメージは計り知れなかった。 18時50分にようやく三重湖公園キャンプ場に戻ってきた。先程の三重橋の上から見た時には赤く染まっていた雲は、既にグレーに戻って夕焼けは終わっていた。あと5分早ければきれいな夕焼けが見られたのに。私は痛む足を引きずるように湖畔まで自転車を押していって写真だけは撮影したが、残念な事に先程までの美しさはなくなっていた。
夕焼けの撮影を終えてテントに戻るときフリーサイトを見ると、先程はフリーサイトでバーベキューしていた家族連れのテントが完全に撤収されて跡形もなく消えていた。単なるデイキャンプだったのか、それともあまりにも風が強くてキャンプを断念して帰宅したのか。バーベキューするだけならこのキャンプ場にはバーベキューハウスがあるのだしこんな風の強い日にフリーサイトにテントを張る必要もないのできっと後者だろう。昨日に続いてキャンプを断念する家族連れの何と多いことか。 夕食はキャベツ天丼で済ませてきたので後はテントに入って旅の日記を書くだけなのだが、足があまりにも痛むのでテントでしばらく横になっていた。昨日に続いて今日も盆踊りの練習と思われるソーラン節の練習を隣の三重レークハウスしており、その太鼓の音が響いていた。それだけなら問題ないのだが、なぜか今日ここでキャンプしている集団はよくわからないが奇声を発したり一人で歌を歌ったりする連中がいて、このソーラン節の太鼓の音に合わせて私のテントのそばまで来てソーラン節を大声で歌うおばさんがいたのには閉口した。また他にも浪曲を勝手に歌い出すおじさんがいたりと困った集団だった。この集団とは別のキャンパーと思われる人達が「あの奇声を上げられるのはやめてほしい」というようなことを話していた。 しばらく横になっていたら痛みも引いてきたので20時から旅の日記の続きを書くことにした。今夜は最後の夜なのでポテチでも食べながら晩酌しようと思っていたが、キャベツ天丼を食べ過ぎてお腹いっぱいだったのと、旅の日記を書くのに忙しくてそれどころではなかった。そして帰りの飛行機も予約しておく。帰りは明日の15時30分千歳発の名古屋行きANA708便だ。通常のカメ作戦だと4時間、足が痛いのを考慮して5時間かかったとしても9時にここを出発すればいいのだから十分余裕があるだろう。 今日は午前中の走行距離が近年まれに見るほど少なかったが、後半頑張って結局100kmを越えた。昨日前後のタイヤをローテーションしたおかげか今日はパンクしなかった。しかしせっかくローテーションしても明日で旅を終えるならローテーションをした意味があったかどうかは疑問だ。 今日はペルセウス座流星群が見られるとラジオのニュースでやっていた。このキャンプ場は公園にもなっており近所の家族連れが流れ星を見に来ていたので私も旅の日記を中断して流れ星を見ることにした。今日は昨日と違って空は晴れていたが、やはり相変わらずの満月で星はほとんど見えず、しばらく空を見上げていたが流れ星は見えなかった。 ペルセウス座流星群は毎年8月12日〜13日頃に見える流星群でペルセウス座γ星付近から放射状に流星が出現することからペルセウス座流星群と呼ばれる。とても観測しやすいことからしぶんぎ座流星群とふたご座流星群と共に三大流星群とされている。流星の元は133年の周期で太陽の周りを回るスイフト・タットル彗星が1992年に太陽に接近した際まき散らしたチリや隕石だ。これらがスイフト・タットル彗星の航路に沿って宇宙空間を漂っており、その航路を地球が通過する時に流星群となって見える。ちなみにこのスイフト・タットル彗星は次に戻ってくる2126年に地球に衝突するのではないかと5年ほど前にマスコミで騒がれたことがあったが、まあこれを読んでいる人は誰も関係ないことだろう。
今日は夜景撮影に凝っていたら寝るのが0時20分になってしまった。ところが子供連れのキャンパーがこの時間になっても子供たちを公園の遊具で遊ばせて騒がせている。バカじゃないのと思ってしまうほどだ。どうもこの集団、何か通常の人達とは違う雰囲気がする。 予定よりも5日も早く旅を終えることになったので持参した電池が大量に余ってしまった。そこで最終日はラジオではなくワンセグでニュースを見ながら明日の天気を確認した。それによると明日の午前中は雨らしい。雨の中の撤収は嫌だ。それに14日以降は北海道は数日間天気がよくなると聞いて、なおさらこのまま北海道自転車ツーリングを続けていれば晴れの中を走る事ができたのに… と思ってしまう。そんなことはないと思うが明日起きたら足が治っていたらどうしようといらぬ心配をしつつ寝る。
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