昨夜は0時頃に一度目が覚めた。何やら外で騒いでいる声がするので、また時間もわきまえずに馬鹿者が騒ぎに来たのかと思っていたが、どうもそんな雰囲気ではなく、すぐに立ち去っていった。しかしそれからというもの、どうしても寝ることができなくなってしまい、結局4時までテントで横になったまま過ごした。 ところが3時30分頃に雨が降り始めた。最初はパラパラだったが、次第に本格的に降り出した。私は今朝雨が降るとは予想もしていなかったので、テントを張る場所もいい加減だったし、ベンチレーターも開けたままだ。そもそも天気予報で雨が降るなんって言ってたっけと思って天気予報を調べると、昨夜の天気が晴れ後曇り、今朝の天気が曇り時々晴れで降水確率は10%となっていた。なぜ降水確率が10%なのに、こうも簡単に雨が降るのか理解できない。 さすがに最後の日の撤収を雨の中で行うのでは嫌だったが、今日は千歳空港に早く着くために早く出発しようと考えていたので、雨が止むまで待っていられない。ところがどうにか4時頃に雨が止んでくれたので、私は出発の準備を整えることにした。曇り空ということもあって朝4時でも外は暗く、テントの中での作業はヘッドライトを必要とした。今日が最後なので荷物の積み替えなど、出発前の作業は多い。私は先に雨の止んでいる間にラーメンを自炊して食べた。 今回の北海道自転車ツーリングではすべての朝食と夕食を自炊したので朝食を10食と夕食を10食、自炊した事になる。まだあと2回くらい自炊できそうなガスが残っていたので、やはり11日間くらいの自炊であれば250のガス缶1つで十分だ。 ラーメンを食べている時、隣のテントのおじさんから声をかけられた。彼は夜遅くにこのキャンプ場にやって来たソロのチャリダーで、かなり古い30年くらい前のツーリング用の自転車をいまだに使っていた。驚いた事に彼の自転車のリアの泥よけには当時流行していた派手なフラッシングライトが装備され、フロントギアもシングルだった。これでは峠を登るのが辛いでしょと言うと、峠はほとんど押しているとの事だった。彼は昨日、留萌から月形まで来たが、留萌から北竜に抜ける美葉牛峠だけは自転車を押さずに乗ったまま越える事ができたと言っていた。しかし私に言わせれば美葉牛峠は峠とは言わず丘というレベルのものだろう。 彼はあまり自転車については詳しくないようで、装備のあれこれを私に聞いてきた。私も色々と説明し、ギアを前三段にするにはどのパーツを代えればよいかなどの話をした。彼は自転車についてはあまり詳しくないようだったが、その代わりに地図はツーリングマップルを持たずにガーミンのGPS「eTrex」を地図代わりに自転車のハンドルに装備していた。GPSだと雨の日でも地図を見ながら走る事ができるのがいいとの事だったが、やはり情報量の多さではツーリングマップルにはかなわないだろう。まして私のようにキャンプ場や温泉の価格、峠の標高など地図にびっしりと書き込んでいる人にはなおさらだ。 彼は宗谷岬から月形まで3日間ずっと向かい風だったとぼやいていた。この時期、北海道は南風なのだから仕方あるまい。彼は今日の午前中に札幌の南区の友人の家に行かなければならないので朝早く起きて準備をしていると言っていたが、その割には私に色々と質問責めにして30分ばかり話し込んでいたので、私まで出発が遅くなってしまった。
荷物の入れ替えの際に自転車の最終チェックも行った。今回の北海道自転車ツーリングは期間がいつもより7日も短く、しかも雨が少なかったので、自転車の汚れはずいぶんマシだった。しかしそれでもチェーンはかなり泥で汚れ、リアのブレーキのシューは危険なまでにすり減り、前輪のタイヤの溝はほとんどなくなってスリックタイヤになっていた。通常、タイヤは後輪の方がすり減るものだが、私は昨年の北海道自転車ツーリングで使用したタイヤの前後をローテイションしただけで、同じタイヤを使っていたので、昨年後輪タイヤとして使い1800km以上走り、今年は前輪として使用した前輪タイヤの方がすり減っているというわけだ。 おじさんは先に出発したので、一人残された私は第二段の朝飯としてトマトとヨーグルトを食べ、5時50分にキャンプ場を出発した。すぐに近くのコンビニに行って昼飯のおにぎりとパンを購入。エディ払いなので財布の残金が減る心配はないが、少し心許ない。コンビニで買い物を済ませるとすぐに出発する。
道道6号線を走り続け、6時30分に北村に到着。想い出深き北村ふれあい公園キャンプ場を横目にさらに自転車を走らせる。ところが北村を過ぎた頃から向かい風が強くなり、走行速度も20km/hで走っていたものが、18km/hになり15km/hになり、次第にスピードが落ちていった。向かい風の中を走るというのは辛いもので、まだ風速3〜4m/s程度の弱い向かい風であったが、それでも苦しめられた。
岩見沢の町は信号が多くて走りにくい。しかしそれを乗り越えれば、JR函館本線の高架下をくぐり抜け、国道12号線を横切ると、走りやすい国道234号線に出た。国道234号線はしばらくの間2車線で、路肩も広く自転車でも走りやすい。私は月形からちょうど25km地点で7時20分から5分ほどパンを食べながら5分ばかり休憩した。 それからも国道234号線を走り続けた。ところが国道234号線を走り始めてすぐに雨が降り始めた。私は路面が濡れ始めるまでレインスーツを着るのを我慢していたが、路面全体が濡れるに及んでレインスーツを着ることにした。せっかく月形のキャンプ場でレインスーツをきれいに畳んでまとめていたのに、またここで使わなければならなくなってしまった。悔しくはあったがいたしかたない。しかし降水確率10%でなぜにこれだけよく降るのだろうと不思議に思ってしまう。 それからも雨は降ったり止んだりを繰り返した。途中でレインスーツを脱ぐと雨が降り出すというジンクスを恐れてレインスーツを脱ぐことはできなかった。実際雨は降ったり止んだりだったので、レインスーツは脱がなくて正解だった。しかし今日は比較的涼しかったので、レインスーツを着たままでも暑くないのが唯一の救いだろう。
この道道45号線は市街地を走るわけではないが、区画整理された農村地帯といった感じで人家は絶えない。交通量も少ないしまずまずの走りやすさだ。私はここで自転車から見た視界がどんな感じになるのか写真に撮ってみた。実際にはもっと左右に視界が広いはずだが、まあこんなものだろう。
道道45号線を走っていると「道恋しょ」という看板があった。そういえば昨日は「大雪山見て育ったの」や「北育ち元気村こだわり米」というのがあったと思っていたが、これらは北海道の広域産地統一ブランド米としてネーミングされたものである事がわかった。他にもこうした広域産地統一ブランド米の例として、
というのがあるらしい。個人的には「大雪山見て育ったの」が一番いいような気がする。 それからも道道45号線を走り、さらに国道337号線に入る。この国道337号線は手拍子街道と呼ばれているそうで、最初なぜ国道337号線が手拍子街道なのかわからなかったが、途中で3・3・7拍子なのだと気がついた。
私は国道337号線を進み、松原温泉を目指した。この国道337号線は路肩も狭く、走りにくい道ではあったが、どうにか松原温泉までたどり着くことができた。国道から松原温泉への入り口までの道はダートになっており、入るのに多少抵抗を感じてしまった。松原温泉に9時30分到着。しかし旅館の入り口に行ってみると、準備中となっており10時開店との札が。仕方なく私は10時まで松原温泉の前で旅の日記を書いて時間をつぶした。 10時ちょうどに松原温泉は営業スタート。私は一番風呂を目指して支度を済ませ温泉に入る。この温泉は小さい湯船が2つだけという、かなり小さな浴室だが、重層泉と弱塩泉の2種類の泉源を持ち、それでいて掛け流しという豪勢な状態だった。私は2種類の泉源を堪能した。重層泉の方が温泉は真っ黒でヌルヌルしていてPHが低く、美人の湯のような感じがしてよかった。おまけに浴室内には蛇口が二つあり、それぞれ飲料用の重層泉と弱塩泉となっていたので備え付けのマグカップで飲んだ。弱塩泉はただの塩辛い水だったが、重層泉は何ともいえない味がした。決して不味いわけではないが、この真っ黒なお湯を飲んでいいものだろうかとドキドキさせられた。
松原温泉の庭には人懐っこい犬がいた。誰にでも尻尾を振って懐いてくるので番犬としては何の役にも立たないが、相手をしてやるととても喜んでいた。この犬の欠点は自分に構ってくれる相手には見境なく飛びついてくることだろう。私も犬の相手をしてやるとせっかく洗濯したばかりのズボンに飛びつかれてしまった。 それからも国道337号線を千歳に向かって下り続けた。松原温泉から先は服を着替えたこともあり雨が降っていたら嫌だと思っていたが、幸いなことに天候は悪かったものの雨は降っていなかった。しかし国道337号線は路肩が狭い上に大型トラックやダンプカーの通行量が多く、何度も怖い目にあった。この国道337号線はチャリダーの走りたくなるような道ではない。 松原温泉を出発してすぐに登坂農場という看板を見つけた。これは「とさか」と読むそうだが、読み方によっては「とうはん」とも読める。これはチャリダーに対する挑戦というか、チャリダーにとってハードルの高そうな農場に思えてしまい、思わず写真を撮った。
千歳の信号の多い町中を通過し、12時ちょうどにヤマト運輸千歳北斗営業所に到着。ここで最終の荷物の積み替えを行い、サイドバッグを預ける。よく考えたら宅急便でサイドバッグを送る費用のことを忘れており、温泉の500円と、宅急便の費用1790円を払うと財布の残りは1500円ほどになってしまった。果たしてこれで無事に大阪まで帰れるだろうか? 松原温泉からここまで雨は降っていなかったので、きっと千歳空港までも雨は降らないだろうと考え、レインスーツも一緒に宅急便で送ってしまう。ところが予想に反してヤマト運輸の営業所を出て走り始めると、いきなり雨が降り始めた。私はあまりのタイミングの悪さに嫌気が差したが、ここで愚痴ってもしょうがない。レインスーツのない今となっては、とにかく雨に濡れないように全速力で千歳空港目指して走るしかなかった。 全速力で千歳空港へ向かって走ったが、強い向かい風に加えて千歳空港まで8km程度の道のりでは、すぐに到着するはずもなく、12時30分に千歳空港に到着した時にはずいぶん濡れてしまった。とりあえず千歳空港のANAの国内線搭乗口近くに陣取って自転車の分解を開始。ペダルとシートと前輪を外し、車体を分割すればほとんど終わったも同然だ。分解は組み立てに比べると楽なもので、20分もかからずに輪行状態にして輪行袋に詰める。
財布の残りが1500円ほどしかなかったので、その金額で収まるギリギリのおみやげを購入。財布の残金はとうとう80円になってしまった。おみやげを購入して輪行袋に詰め、そのまま出発ロビーに上がってチェックインする。今回もプレミアムサービスのカウンターに並んだが、今日はお盆の残りということもあり、通常のチェックインカウンターはもちろんのこと、プレミアムサービスのチェックインカウンターも列ができていた。 いつものように自転車の入った輪行袋を目視でチェックしてもらい、どうにかパスする。ここ千歳空港の係員は、行きの関西空港の係員ほど厳しくはなく、輪行袋から自転車を軽くのぞき込んで、あっさりパスさせてくれた。チェックインカウンターでアップグレードを申し込むと、空きがあるとのことで、アップグレードポイントを使ってプレミアムシートにアップグレードしてもらった。
千歳空港15時25分発、関西空港行きANA1716便の出発まであと2時間もあるので、ウィスキーをロックでたらふく飲んでやろうと考えていた。旅の日記を書きながらつまみを食べつつウィスキーをロックで飲んでいたら、一杯目を飲んだところで完全に酔っぱらってまっすぐ歩けない状態になってしまった。これはまずいと思い、先ほどコンビニで買ったスニッカーズを食べたが時すでに遅く、かなり酔っぱらってしまって、まともに旅の日記も書けない状態となってしまった。 どうにか出発までには酔いを醒まそうと、トイレに行って顔を洗ったり牛乳を飲んだりして、1時間ほどかけて何とかまともに歩ける状態まで復活。その時には優先搭乗も終わり、一般客の搭乗も始まっていたので、私もゲートに向かい、ボーディングブリッジを渡ってプレミアムシートに着席。定刻通り離陸したが、離陸の頃にはようやく酔いが醒めてきた状態だった。せっかくラウンジでゆっくりと過去の旅の日記を見直そうと思っていたが、今日の旅の日記も書き終わらないうちに酔っぱらってしまい、それどころではなかった。もう少し酒を飲むペースを考えないといけないようだ。ちょっと失敗した。 今日は千歳空港は雲が低く垂れ込めていたので、離陸と同時に雲の中に入ってしまい、地上はまったく見えなかった。シートベルト着用サインの消灯とともに、旅の日記を書き始める。さすがに飛行機に乗ってからは酔いも覚めており、飛行機の中では旅の日記を書く事ができた。やがてプレミアムクラスのサービスが提供された。この飛行機は夕方の時間帯にかかっていないので夕食は提供されないが、おやつ代わりとしてサンドイッチ、ティラミス、魚介のサラダが出る。それを酔い覚ましにおいしく食べた。
他にも装備の面では、旅の日記をノートではなくポメラという電子メモ帳に書くようにした。これは画期的で、きっと帰宅後にホームページを作成する際、とても便利になると予想されたが、逆に旅の途中で書く内容が多くなり一日分を書くのに4〜5時間かかってしまい、北海道自転車ツーリングの負担となってしまった。もう少し省略して書くとか対策を考えないといけないようだ。 これは帰宅後の話だが、いつもだったら1日分の記録をホームページにアップロードできるまでに作り上げるのに1週間かかっており、帰宅からホームページの完成までに3〜4ヶ月かかっていた。しかし今回はポメラを使ったおかげで圧倒的に作業が早くなり、1日分の記録をホームページにアップロードできるまでに作り上げるのに、わずか2日、帰宅からホームページの完成までたった20日という早業で完成させてしまった。これもポメラを導入したおかげだろう。
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