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帯広発祥の地の記念碑
JR帯広駅から北東に2kmほど、国道38号線沿いの交差点の空き地に立つのが帯広発祥の地の記念碑だ。交通の要衝とも言うべき場所に建っているがほとんど目立たない存在となっている。1853年に静岡の農家に生まれた依田勉三は慶應義塾で福沢諭吉の影響を受け北海道開拓を目的とした晩成社を立ち上げた。1883年に彼は静岡で移民を募集し13戸27名が入植したのがこの帯広だった。よって帯広は旧幕府の陣屋や官主導の屯田兵ではなく民間の組織で開拓が始まっている。開墾は冷害や虫害など苦難の連続で1885年には移民も3戸にまで減ってしまい、晩成社も30年ほどで活動を休止してしまう。しかし彼が帯広で築いた事業は開拓だけでなくハム製造の畜産会社や木工場、バター工場、缶詰工場、練乳工場などを立ち上げ帯広に根付くことになった。 帯広発祥の地の記念碑の裏側には「開墾のはじめは豚と一つ鍋」の歌が刻まれている。なお帯広開拓に貢献した依田勉三は中島公園に銅像が建てられているが、この銅像を建てたのはシンガーソングライターである中島みゆき氏の祖父である中島武市氏が寄贈したもので、その功績をたたえて公園は中島公園と呼ばれている。
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帯広発祥の地の記念碑
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市街地の真ん中にある
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