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茂別館跡
北斗市から国道228号線を南西に7kmほど、JR江差線の茂辺地駅から北東に500mほどの所にある茂辺地川左岸の丘の上にあるのが茂別館跡だ。この茂別館は1443年に津軽の管領であった安東太郎盛季が南部義政に十三湊を攻め落とされた蝦夷に逃げた時に建てたとされる。1454年には安藤氏の一族や家臣が再び南部氏に攻められて蝦夷に渡り、道南一帯に12もの館を建築し道南十二館と呼ばれている。この茂別館は南の大館、北の小館とから構成され、西は茂辺地川岸の崖地、南北と東も自然の沢で区切られ土塁を巡らせており強固な作りとなっている。1457年に発生した和人の鍛冶屋と小刀を発注したアイヌとの間に発生した言い争いに端を発するコシャマインの戦いで道南十二館のうち10館まではアイヌに攻め落とされたが、茂別館と上之国花沢館だけは落とすことができなかった。茂別館は後に安藤氏の家臣の河野政通に委譲され安東氏は出羽国へ去ったが、1562年にアイヌに攻められて茂別館はとうとう陥落してしまう。現在は土塁などが見られるだけで何も残っておらず、南側の大館のあった場所には矢不来天満宮が建っている。標高34mの丘の上にあるが周囲には木が生い茂っていて眺めは期待したほどではない。眺めを期待してここに来るとガッカリするかもしれないが、来てみると周囲を崖で囲まれた地形は防御には有利だったろうと伺わせる。
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茂別館跡の碑
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跡地には矢不来天満宮が建つ
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