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四稜郭
函館の町から7kmほど北東、函館の町の北東の外れの高台に広がる陣地が四稜郭だ。1869年春、五稜郭にたてこもる榎本武揚率いる旧幕府群残党は新政府軍の攻撃に備えて各地に防御陣地を築いたが、五稜郭の背後を固めるため、その北方約3キロの緩斜面台地にも洋式の台場を急造した。これが四稜郭である。四稜郭は蝶が羽を広げたような形の稜堡で、周囲に土塁と空壕をめぐらし、面積2300平方メートルの郭内には、四隅に砲座を設けたが、建物は造らなかった。旧幕府軍残党は士卒約200名と付近の村民約100名を動員して、昼夜兼行で数日のうちにこの四稜郭を完成させた。5月11日、新政府軍は箱館総攻撃を開始した。松岡四郎次郎率いる旧幕府軍残党は四稜郭の防衛に努めたが、新政府軍には福山藩兵も加わり、さらに長州藩兵が四稜郭と五稜郭の間に位置する権現台場を占領したため、退路を断たれることを恐れた旧幕府軍残党は攻撃からわずか数時間で五稜郭へと敗走した。5月18日には、五稜郭が開城され、榎本武揚以下が降伏して箱館戦争は終わった。この四稜郭は陣地の跡で80m×40m程度の小さな土塁のみがあるだけで、それ以外にめぼしい物はない。しかし緩やかな斜面に作られた土塁はしっかりしており、その形は十分楽しめる。四稜郭の入り口には桜の木が植えられており、5月の初旬〜5月中旬にかけて桜が見頃を迎える。桜の規模こそ小さいが、函館一の桜とも言われる。あまり知られた観光地ではないので訪れる人も少なく、隠れた桜の穴場だ。一応函館の町並みも高台から見る事ができるが、見晴らしはそれほどではない。
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四稜郭
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四稜郭の土塁
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桜が広がる
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函館の町が見渡せる
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