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漁場建築佐藤家
寿都の町から寿都湾を挟んだちょうど向かい側、寿都の町から国道229号線を東に13kmほど走った所にある建物が漁場建築佐藤家だ。北海道の日本海側はどこもニシンが大量に獲れ、ここ歌棄や磯谷も例外ではなかった。1852年からこの両場所の最後の請負人を務めたのが源義経の家臣、佐藤継信の末裔である角十佐藤家だ。佐藤家はニシン漁獲法の改善を心がけ行成網を導入して西海岸のニシン漁の急速の発展に尽し、明治維新後は駅逓取扱人を命ぜられたこの地方随一の名家である。漁場建築佐藤家は佐藤継信が1870年に建てたとされる漁場建築の代表的な建築物で現在でも人が住んでいる。建物は和洋折衷様式の木造2階建てで、よせ棟屋根に西洋風下見張り、2階正面には櫛形ペジメントの付いた上げ下げガラス窓、1階正面には縦の組子を少しせばめたたてしげ格子と下見板張りの玄関、屋根の大棟をまたいで洋風の六角形の明かり取り、その背後に和風の切妻屋根の煙出しを設けている。鰊御殿とは違って漁夫の宿泊場所がないのが特徴的だ。現在も実際に人が住んでいることから内部は公開されていないが、時折一般公開される。
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漁場建築佐藤家
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角十佐藤家
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