昨夜は23時に寝てから爆睡だった。一度朝の4時に漁船の音で起こされたが、それでもすぐに寝てしまい目覚めたときには朝の5時になっていた。今日は美幌峠まで往復してから女満別空港に行くので、そろそろ起きなければ。テントを開けると雨こそ降っていないが曇天だった。幸いにも夜露がなかったのでテントは乾いていた。
ついでに言うと米も100gほど残った。自宅から900g持ってきたので800gほど食べたことになる。これで夕食9回と雑炊2回分作ったので、1回あたりの夕食の米消費量は80gくらいだ。米1合は150gなので毎日0.5合程度炊いていたことになる。私にはこれで十分だ。 5時50分から撤収開始。今日は最終日なので荷物の積み替えがある。これまでは毎日の生活にあわせて使いやすいように荷物を積んでいたが、今日はサイドバッグを宅急便で自宅に送るので、宅急便で送る荷物と手荷物として持って帰る荷物に分ける必要があるのだ。さらに自転車に取り付けていたヘッドライトも不要だしフロントバッグの脇に入れていた洗面用具やスチールたわし、虫よけ、さらには三脚もサイドバッグに収納する。
荷物の積み替えがあったにも関わらず、今日は素早く撤収できた。6時40分には出発の準備が整ったが、女満別湖畔の写真を撮ったりトイレに行っていたらキャンプ場の出発は7時になってしまった。いつもだったら女満別湖畔キャンプ場に泊まると、まずは近くのコンビニに行ってゴミを捨てて店の前で2回目の朝食を食べるところだが、今日はゴミを持ったまま美幌まで走ることにした。
フライトの時間が決まっているので今日のタイムスケジュールを考えてみた。美幌のヤマトの営業所が8時からしか開かないので8時から荷物を預けるとして8時10分美幌出発。美幌峠着が11時30分。美幌峠出発が12時。びほろ温泉後楽園到着が14時、温泉出発が14時30分、女満別空港着が15時といったところだろう。 国道39号線を南に走る。今日は南東からの弱い風なのでわずかな向かい風だが気になるほどではない。それよりもこの区間の国道39号線は無料の高速道路が併走しているせいか交通量が少なくとても走りやすい。延々と続く直線道路で交通量も少ないことから私は自転車を止めて写真を撮った。 さらに国道39号線を走るとびほろ温泉後楽園のあるはずの場所に来た。しかし何か様子が違う。びほろ温泉後楽園という看板はすべてなくなってしまい、あるのはLIFE IN BIHOROと書かれた建物だけ。しかも何やらかなり怪しげな雰囲気になっていた。ここは本当に日帰り温泉をやっているのだろうかと疑わしく思えるような外観だ。う〜む、これは美幌にもう一つある温泉の美幌温泉峠の湯に行った方がいいかもしれない。
7時45分に美幌のコンビニに到着。ここで昨夜キャンプ場で出たゴミをすべて捨て、これから登る美幌峠に備えてカルボナーラとおにぎりを買い牛乳と一緒にカルボナーラを店の前で食べた。このところペペロンチーノばかりだったので今日はカルボナーラだ。
この10kgというのは近年まれにみる軽さだ。従来はこれより1kg以上重かったはずだ。何か装備を減らしたわけでもないのになぜ今回これだけ軽くなったのかよくわからなかった。そう言えばいつもは自宅から宅急便でサイドバッグを発送する際、バックがはち切れんばかりにパンパンになるまで詰め込んでいた。が、しかし今回はなぜかかなりバッグに余裕があり何か入れ忘れたのではないかと何度も見直していた。そして旅も終盤になると食料品が減ったことでさらにサイドバッグはスカスカになり、毎回何か積み忘れたのではないかと心配になるほどだった。これも経験値を積んで装備を小型軽量化したことで実現できたのだろうか? 私は北海道自転車ツーリングを通して日常携行する荷物の小型化軽量化に常に気を配っている。おかげで宿泊出張時の荷物をコンパクトにまとめることができるようになった。3泊5日のアメリカ出張においても普段のビジネス用カバン1つで訪れるようになり、迎えに来てくれた現地駐在員を呆れさせるほどだ。 8時20分にヤマト運輸の営業所を出発。10kgのサイドバッグから解放された自転車は嘘のように走りが軽くなった。今までだと自転車を左右に振ってもなんだか動きがもっさりしていたが、今では機敏に動いてくれる。ロードバイクはこれだけ機敏に動くことを実感する。 ここからは国道243号線に入って美幌峠を目指す。ここから美幌峠までは距離にして25km程度だが標高490mまで登らなければならない。時間にして3時間ちょっとだろうか。8時30分に美幌温泉峠の湯を通過する。LIFE IN BIHOROは何だか妖しげだから、今日は帰りにこの温泉に入るとしよう。 今日は南東からの弱い風なので完全な向かい風だ。しかも序盤はなだらかな登り坂とあってスピードはでない。しかしサイドバッグを外した自転車は軽く、いつもと違って多少の登り勾配くらいではビクともせず、平地と同じようなスピードで走り続けた。
この国道243号線は並木道となっていてとても雰囲気がよい。しかも朝早いうちは今にも雨の降り出しそうな曇天だったが、次第に雲が明るくなり陽も射すようになってきた。こうなると写真を撮りたくてウズウズしてしまう。私はそこかしこに自転車を止めて撮影した。
いつもだったら標高差で100メートル登る度に休憩を入れていた。今回は美幌からまったく休憩せずに登り始めたが、100m登っても200m登っても疲れを感じない。このまま休憩なしで頂上まで登れてしまうのではないかとも思ったが、写真撮影のついでに一回だけ標高330メートル地点で休憩し、美幌で買ったおにぎりを食べた。
本当ならここで展望台まで行って屈斜路湖を眺めるはずだったが、この霧では見えるはずもない。それよりも霧雨混じりの強風下では寒くてじっとしていられず、トイレだけ済ませると休憩もせずに10分で出発した。気温は15℃くらいだろうか。霧雨で濡れて風も強かったので体感温度は10℃くらいだ。 霧雨で少し濡れた服のままこの気温の中を自転車で下ると寒くて寒くて仕方がない。しかし霧の区間は2kmくらいだけで、それを過ぎると太陽が顔を出したことから気温が上がり復活する。レインスーツなしの半袖のサイクリングジャージー1枚で霧の峠を下るには無理があった。 美幌峠の美幌側の下りはほとんどまっすぐで急な下りが延々と続く。私は過去にここをノンブレーキで下ってスピード記録に挑戦したこともあったが、もうそんな勇気はなくなった。今日の下りは追い風だったのでおそらく記録更新しただろうけど。安全運転のためスピードを40km/h以上あげないようにブレーキをかけつつ下る。今日は晴れているので大丈夫だろうけど、これが雨だったらブレーキシューが相当すり減っただろう。 スピード記録は断念したが、私はもう一つの記録に挑戦していた。それはペダルを回さずにどれだけ進むことができるかだ。今日は追い風なので好記録が期待できた。実際、目標だった10kmを越えどこまでも進んでいく。なんせ追い風なのでスピードは遅いが止まらずにどこまでも進んでいくのだ。しかし時速5km/hで走り続けても時間がかかるだけなので美幌峠頂上から10.5km走ったところで断念してペダルを回した。 若干の下りに加えて追い風もあって楽な走りは続いた。ペダルを少し回せば時速25km/hくらいをしばらく維持できるのだからこんな楽なことはない。北海道自転車ツーリングがいつもこんな感じだったらいいのにと思ってしまった。 11時35分に美幌温泉峠の湯に到着。元々計画していた時間よりも2時間も早くに戻ってきてしまった。おそらくサイドバッグを外したことを考慮せずに峠の登りにかかる時間を計算したことが原因だろう。登りはここから2時間かかったのに下りは55分で降りてきた。2倍以上違う。ちなみに2006年は登り2時間5分、下り50分。2008年は登り1時間55分、下り55分で走っている。スタートとゴールが今回は美幌温泉峠の湯という違いはあるけど10年以上前と比較してもタイムが変わっていないことに満足する。
美幌ではいつもびほろ温泉後楽園に行っていたので、この美幌温泉峠の湯に来るのは初めてだ。両者を比較すると美幌温泉峠の湯の方が設備も新しくて豪華だ。格が違うと言えるだろう。後楽園の方が勝っている点と言えば価格が安いことと露天風呂からの眺めがいいこと、加温なしの掛け流しであることくらいだろう。今までは女満別空港に近いこともあって後楽園ばかりを使っていたが、今後は両方を活用していくことになるだろう。 12時30分には温泉からあがり休憩室で旅の日記を書く。1時間半は書けると思っていたが、少し早めに出発して女満別空港のレストランピリカでハイボールでも飲みながら旅の日記を書こうと考え少し早めに出ることにした。
ここから女満別空港までは1時間ほどかかるので、これだけ太陽が出ているなら日焼け止めはぜひとも塗っておきたい。しかし手元にないとなると、あとは温泉で使ったタオルをほっかむりにして顔に陽が当たらないようにして走るしかなかった。
私が女満別空港に到着したときターミナルの入口にチャリダーの集団がいた。おそらくどこかの大学のサークルだろう。自転車の形をしていたのでこれから分解するか、もしくは既に組み立てたかのどちらかだろう。ところが彼らは自転車を置いたままターミナルに向かって歩いていき戻ってこなかった。いったい彼らは自転車を置いたままどこに行ってしまったのだろう?
どうにか40分で輪行袋への梱包完了。重い輪行袋を抱えててチェックインカウンターに行く。まだ時間が早いせいかカウンターには客が私しかおらずすぐに対応してもらう。自転車はフロントバッグやレインスーツ、ヘルメットなどと合わせて17kgだった。最近は輪行袋をX線検査機に入るように梱包することができるようになったので検査が楽になった。X線検査機に入らないとその場で輪行袋を開けて、中に入れたフロントバッグやレインスーツを取り出して別途X線検査機にかけることになるので、それがとても手間がかかるのだ。
フライトは16時50分なので16時20分までレストランに居座り、それから手荷物検査を受けて待合室に入った。今日乗る飛行機は16時50分女満別発、18時55分セントレア着ANA328便だ。なぜか今日の便にはラグビーのラガーマンが大挙して乗り込んでいた。女満別空港は前回2年前に来た時は待合室も工事中でボーディングブリッジも2つしかなかったが、今回来てみると新しく改装されていた。道東の玄関口として恥ずかしくない空港にしたのだろう。
17時ちょうどに離陸。美幌の町が見えたと思ったら雲の中に入り、それからは着陸直前まで地表が見えることはなかった。今日は日本全土が雲に覆われているようだ。仕方なく私は機内で旅の日記を書き続けた。 機内で私は今年の北海道自転車ツーリングを総括した。まず天候について、雨は想定の範囲だった。雨に遭ったのは2日目の午前中ずっとと4日目は一日中、そして9日目は台風で連泊、そして10日目の朝にちょっと降った。この雨の割合はこれまでの北海道自転車ツーリングから考えると平均的か少ない方だろう。逆に晴れたのは日本海側はダメだったけど、オホーツク海側は宗谷岬から斜里あたりまではほとんど晴れていた。おかげで前回と違って今年は晴れたいい写真をたくさん撮ることができた。 気温も前回の2年前と同様、近年になく涼しかった。11日間トータルの最高気温が25℃しかなく、自転車で走っていてもサイクリングジャージー1枚では寒かったことが多かった。ただし前回のように朝方は寒すぎて毎日のように防寒着代わりにレインスーツを着るという事はなかったので、前回よりは暖かかったようだ。東京や大阪が連日37℃や38℃だったことを考えると15℃ほど気温が低いことになる。おかげで自転車ではとても走りやすかった。
上の表はこれまでの北海道自転車ツーリングでの最高気温と最低気温の最高値、最低値、平均値をまとめたものだ。これを見ると今年の北海道自転車ツーリングは前回の2017年ほどではないにしろ、やはり例年に比べると涼しかったと言えるだろう。 今年は人との出会いも多かった。まずは留萌の町で出会った同志社大学のチャリダー君。彼とは留萌から羽幌までデッドヒートを繰り広げ、羽幌のキャンプ場で一緒に過ごした。翌日彼とは別れたが、2日後に宗谷岬で偶然に出会い、更に紋別のキャンプ場と呼人浦のキャンプ場で一緒になった。これだけ出会うのも珍しい。ちなみにこのチャリダー君、モンベルの協賛を受けていると言っていたのでホームページをたどってみるとブログを発見した。読んでみると少し私のことが書かれていた。 さらにトレーラーを引いたチャリダーにも宗谷岬の手前で出会い、クッチャロ湖のキャンプ場で一緒に。翌日は枝幸から紋別までほとんど一緒に走っていた。さらにこの日は富山のチャリダーともクッチャロ湖から枝幸まで走った。この日はオホーツク海沿いの休憩場所の少ない辛い区間のはずだったが仲間と走れたことで楽に走る事ができた。 そしてウトロのキャンプ場で台風の中、車内で飲み会した4人。このうちの主催者の山屋さんは13年前にも中札内のキャンプ場で話をしたことがあり大いに盛り上がった。どうしてその時に気付かなかったのだろうかと後悔した。 そしてその飲み会で同席した美容院経営の女の人は自らユーチューバーだと言っていたので検索のキーワードを教えて頂いていた。後日検索してみると確かにユーチューバーでブログもやっていた。そのブログを見ると宴会の翌日、私がお勧めした砂湯と池の湯とコタン温泉に行ってとても良かったと書いてあったのは嬉しかった。 今回の北海道自転車ツーリングではほとんど峠に登らず海岸沿いの平地ばかりを走っていた。一番高く登ったのは最終日に登った標高493mの美幌峠だけで、それ以外は平地ばかりだった。別に前回の北海道自転車ツーリングで北海道の峠50選を制覇したから峠に登るのを止めたわけではなく、道北をまわってから道東の津別峠や知床峠に行こうとしたら雨や台風の影響で行けなくなってしまっただけだ。峠がないので楽だったが初日や3日目、5日目、7日目、8日目など向かい風に苦しむことが多かった。 装備の点では今回からカメラをキヤノンのEOS 7Dから7D MARKUに変更した。7Dは10年前、7D MARKUも5年前のカメラだが、私は北海道自転車ツーリングにはずっと古い7Dを持ってきていた。理由は7D MARKUはバッテリーの持ちが悪くバッテリーを3つ持参しても10日間持たないのだ。そこで仕方なく7Dを使い続けていた。ところがSNSをアップするようになり前回の北海道自転車ツーリングではSNS用にデジカメだけでなくスマホでも撮影していたため面倒なだけでなくきれいな写真をSNSにアップする事ができなかった。そこで7D MARKUであればWIFIでスマホに画像を飛ばすことができるため今回は7D MARKUを持参したが、これが大正解だった。今回夕陽のいい写真がたくさん撮れたが、スマホでは絶対に撮れないような写真をSNSにアップロードする事ができた。バッテリーの問題はカメラのバッテリーをモバイルバッテリーのUSBで充電できる充電器を携行することで解決できた。 逆に期待して投入したのにあまり役に立たなかったアイテムはICレコーダーだろう。元々は走りながら見たことや感じたことを都度写真を撮ったりポメラに入力していたのでは大変だから、ICレコーダーに録音しておいて後でポメラに入力しようと考えていた。しかしいざICレコーダー使ってみると自転車で走りながら喋ったのでは風切り音でまともに録音されておらず、目的とした用途にはほとんど使えなかった。 ただし日々の旅の日記が書ききれなくなって溜まってきた時、今日の旅の日記は今日のうちに書く事ができないなと判断したら、休憩するたびにICレコーダーにまとめて録音しておくと後日忘れなくて済むので、そういった使い方をしていた。ただ期待したほどは役に立たなかったようだ。 今回の北海道自転車ツーリングでは体へのダメージは例年よりは少なかったものの、多少なりともあった。一番ダメージが大きいのは右膝の痛みだ。これは2〜3日前から朝起きた直後に歩いたりすると右膝が痛んだ。しかし起きて1時間もすると直ったことから自転車に乗っている間は何ら問題はなかった。この症状は帰宅後も1週間ほど続いたが、次第に直っていった。指先のグローブ焼けの跡がひどいのはいつものことだ。今年は峠にもほとんど行かず、あまり無理をしなかったことから体へのダメージも少なかったのだろう。 ただ帰宅後も影響は続いた。まずは帰宅から2週間後には手の平の皮がすべてむけた。これは毎年のことなので驚かないが、やはり一日中自転車に乗っているのを毎日繰り返すと体にも相当負担をかけているようだ。さらにクッチャロ湖で曲がったペグを直そうとして指の爪にダメージを与えてしまったが、これも事件から2週間後に爪の端の部分で膿んだように痛むようになった。しかしこれも放置していたら次第に痛みもなくなり、事件から1ヶ月半で膿んだ部分も固まって皮膚の代謝と共にぽろりと出てきて元通りに戻った。
今日は本州には至る所に強い雨雲が点在し、それらを避けながらの飛行となったのでいつもは飛ばないような場所を飛んでいたようだが、雲に隠れて何も見えなかった。ようやく地表が見えてきたときには木曽川、長良川、揖斐川の河口だった。そこから伊勢湾に出て18時55分にセントレアに着陸した。 飛行機を降りて手荷物受取所に行く。自転車を入れた輪行袋は通常、ターンテーブルではなく空港の地上勤務員が持ってきてくれる。セントレアではどの扉から持ってきてくれるか知っているので扉の前で待っていると、かなり待たされてから輪行袋を台車に乗せて持ってきてくれた。行きの千歳空港でも手荷物受取所に着いてから荷物が出てくるまでに20分以上待たされたが、帰りのセントレアでも15分近く待たされることになった。お盆のシーズンは旅行客がいっぱいで搭載する荷物も多く、どこも人手が足りていないのだろうか? 輪行袋をカートに載せて手荷物預かり所を出ると19時20分になっていた。次の津なぎさまち行きの高速船は20時出発だ。とりあえず高速船乗り場に行って次の高速船のチケットだけ購入し、先頭にカートを並べておいて、身軽になった状態で再び空港ターミナルに戻った。30分近く時間があったので何か食べようかとも思ったが、昼食が15時30分と遅かったこともあってあまりお腹が空いておらず、どんな店があるのか一回りして帰ってきた。ここでは昔から何度か食事をしたことがあるが、昔入ったことのある店はほとんど姿を消しており入れ替わりが激しいことを伺わせた。
考えてみればこの16年間でチャリダーみんなが持つ装備関係で変わったものと変わらなかったものがある。変わっていない物と言えば自転車やテント、寝袋、バーナー、コッヘル等はほとんど何も変わっていない。16年前の装備でも見劣りしない。逆に大きく変わった物と言えばスマホの進化だろう。私が北海道自転車ツーリングを始めた2003年と言えば携帯電話の人口普及率がようやく50%を越えたくらいで3Gもまだ広まってはいなかった。学生が携帯電話持つなどほとんどなかったし、ましてスマホなど存在しなかった。チャリダーはみんなツーリングマップル見ながら大地を走っていた。しかし今では私のように紙の地図を見ながら自転車で走る人などほとんどおらず、みんなスマホの地図を見ながら走りスマホでキャンプ場やコンビニを調べている。さらに2003年と言えばようやくデジカメが手に届く価格になって広まり始めた時期で、私もデジカメを購入して北海道自転車ツーリングに持ち込んだが、今ではほとんどの人はスマホのカメラで済ませてしまいデジカメを持っている人は少なくなった。その代わりにチャリダーは誰もが充電で困るようになったのが現在の姿だ。
追記 2019年11月9日にスズカ8時間エンデューロに同じ自転車で参戦しました。このスズカ8時間エンデューロはF1も開催される鈴鹿サーキットの1周5807mの国際レーシングコースを自転車で8時間走り続け、その周回数とタイムを競うというもの。もちろん一人ではなくチームを組んでの出走となるが、F1と同じコースを自転車で走れるというのは感激です。残念ながらF1とは逆回りに周回するので、ホームストレートは勾配2.8%の緩やかな登り。最終コーナーが勾配7%ほどの急な登りとなりシケインを過ぎるとバックストレートは緩い下り。スプーン前で再び勾配8%程度の登りとなってここがコースの最高峰となる。ここからはヘアピン、テグナー、ダンロップと緩い下りが続き、最大勾配7.8%の急な下りの逆バンクからS字、2コーナーにかけて下りとなる。そして1コーナーが一番低い場所となりホームストレートで登りとなる。1周の高低差は何と52mもあるのだ。TVでレースを見るだけだと標高差など全然気にせずに見ているが自転車だと坂は敏感に感じる。
そもそも私の自転車はツーリング用の自転車であり純粋なロードではない。大量の荷物を積んで安定した走りができ、長時間乗っても疲れにくい。さらに分解可能で輪行しやすいという特徴があるが、レースで早く走るような自転車ではないのだ。その証拠に今回出場した自転車は総重量11kgを越えており一般的なロードの6〜7kgよりもずいぶん重い。フレームはクロモリだし、しかも耐久性重視のためフレームの肉厚も厚くて重い。しかもスタンドまで付けたまま出場した。本当は外したかったけどネジが固着して外せなかった。これではタイムが出なくて当然だろう。
長時間をのんびりと走るツーリングと違って10〜20分の短い時間に全力を出して走るレースは初めてだったのでなかなか慣れない走りとなった。そんな中でも他の選手とスピードを比べてみると、下りや平地では次々と追い抜かれるが、登りになると逆に追い抜くことが多かった。私の走り方の特徴として下りや平地は手を抜くが、登りは頑張るという癖が如実に表れた。これからは平地も速く走ろうと考えたが、その前に自転車を買い換える必要がありそうだ。
|