昨夜はぐっすり寝ることができた。目覚めたときには4時になっていた。まだ外は暗かったが、まず朝一番にポメラを確かめる。電源を入れるが液晶は表示しない。万事休すかと思ったが、何度か電源を入れ直していたらある時急に表示するようになった。私はここぞとばかりに昨日の旅の日記の続きを書いた。 どうにか昨日の分の旅の日記を書き終える事ができ4時30分から撤収開始。今日はテントのすぐ近くにテーブルがあるので撤収が楽だ。今日はセイコーマートに立ち寄ってからカネラン峠に登るつもりだが、肝心のセイコーマートは24時間営業ではなく6時にならないと開店しないのでそれまではのんびりと撤収を続ける。 いつもだったら朝食を食べてからテントを撤収だが、今日はテントのそばにテーブルがあるのでテントの中のものをすべてテーブルの上に出し、先にテントを撤収し5時20分から朝食の準備だ。今朝の朝食はラーメンだが、いつものラ王タンタン麺ではなくアメリカ土産のマルちゃんだ。メキシコではインスタントラーメンのことをマルちゃんと言うらしい。それほどまでに北米では東洋水産のマルちゃんが幅を利かせている。日本で言うところのウォークマンやホッチキス、キャタピラーみたいなものだろう。しかし実際にはこのアメリカのマルちゃんは大味すぎて日本人にはあわないような気がする。
天気予報を確認すると今日の弟子屈の天気は曇り、明日も曇りとなっていた。ラジオの天気予報では今日も北海道は気圧の谷にあると言っておりこれで5日連続だ。しかも今日も全道に低温注意報が出ている。涼しいのはありがたいが少し寒すぎるような気がする。これだけ寒い北海道自転車ツーリングは初めてではないだろうか? 昨日洗濯したシャツやサイクリングジャージーはまだ乾いていない。しかしこのまま自転車に積んでいても乾くことはないので、自転車の荷台に広げて乾かしながら走ることにした。今日は晴れではないのですぐに乾くことはないが、峠1つにつき1着くらいは乾いてくれるだろう。
洗面を済ませて5時50分にキャンプ場を出発。今日はトイレに2回しか行かなかった。昨日ずいぶんと出したので今日はお腹の中に何も残っていないのだろう。陸別の町への道を疾走し6時ちょうどにセイコーマートに到着した。今日は標高517mのカネラン峠と標高647mの足寄峠と標高754mの氷山峠の3つの峠を越えるが、陸別のコンビニを過ぎると次は足寄峠と氷山峠の間にある阿寒湖畔でしか補給できないため、それまでの食料としておにぎりとパンと飲むヨーグルトを購入しパンと飲むヨーグルトを店の前で食べた。 6時10分にコンビニを出発。ついでに道の駅まで行くと温度計があり14℃を示していた。記念に写真を撮ろうとしたらシャッターを切る直前に15℃に変わってしまった。寒いはずだ。昨日は寒くて朝からレインスーツを着て走ったが、今日はいきなり峠の登りが待っているのでどうせ暑くなるだろうとレインスーツは着ずに走ることにした。
陸別サーキットまでは昨年も走った覚えがあったが、昨年はこの少し先で倒木による通行止めを聞かされてUターンしていたのでここから先は初めて走る道となる。陸別サーキットから先は傾斜が急になってくる。それでも最初のうちは勾配も3%くらいでまだ登りやすかった。 道道143号線は宇遠軽川に沿って登っていくが、そのうちに宇遠軽川を過ぎたところで川から離れて道はクネクネとカーブを描くようになる。この頃には勾配も6%に達するようになった。もっと狭いクネクネした道かと思っていたが予想に反して道はちゃんと整備された2車線の道路だった。しかし交通量は皆無に等しく私が陸別から国道241号線に出るまでの2時間、道道143号線全線に渡って一台の車にも出会わなかった。 昨日あたりから気になっているのが、肩や手首、足の裏の痛みとは別に膝に何か違和感を判じるようになっていた。この違和感は初めてだったので何が起きているのかよくわからなかったが、とりあえず無理をしないようにできるだけ軽いギアでクルクル回すような走りを心がける。
そもそもダートは砂利にタイヤを取られやすい。マウンテン用の太いタイヤだと接地圧が低いのでまだマシだがロード用の細いタイヤだと特にタイヤを取られやすい。さらに深砂利だとタイヤが砂利にめり込むのでなおさら走りにくくなる。そしてそれが下りになるとブレーキをかけながらでないとスピードが出すぎて危ないが、ブレーキをかけるとタイヤが砂利でスリップして制御が効かなくなるので、そうなるとブレーキを離す必要がありスピードが乗ってなおさら危なくなる。やはり23Cのタイヤでダートに行くのは無理があるのを痛感する。
このパーキングには広い駐車場とトイレもあり、足寄峠を登る最後の給水場所としていつも活用している。ここでおにぎりを食べて15分休憩する。ここまで後部荷台でTシャツを乾かしていたが、ようやく乾いてきたのでサイクリングジャージーと交換する。この茂足寄パーキングからは雌阿寒岳と雄阿寒岳がよく見えるはずなのだが、今日のような曇り空では何も見えなかった。
ここから足寄峠まではあと5km程度だが、実際には峠の頂上近くは平坦になっているので5%程度の急な峠は3kmほど。しかしその3kmが大変なのを私は経験上知っていた。なんせこの足寄峠は東に向かってだけでも登るのはこれで4回目なのだ。
国道241号線を走り続け頂上近くで再びソロのチャリダーとすれ違った後、10時35分に標高647mの足寄峠に到着した。昨年は12時35分に到着しているので昨年より2時間も早い。しかし今日の予定時間よりは5分遅かった。頂上には小さな駐車場があるだけなので、休憩もせずにそのまま下ることにした。下りは寒いだろうと頂上でレインスーツを着ようと考えたものの忘れていたが、下り始めると寒くて後悔することとなった。
足寄峠から8km、標高差で200mほど下ると阿寒湖畔に到着した。時間に余裕があればアイヌコタンに立ち寄って観光して行くとこだが、今日は大きな峠を3つも越えなければならず時間的余裕もなく、そのまま素通りすることにした。その代わりにお腹が空いてきたので11時ちょうどに阿寒湖畔の国道沿いのセイコーマートに立ち寄ってコンビニ弁当を購入し店の前で食べた。。 このセイコーマートにはライダーが頻繁にやって来る。私は風防付きのハーレーが来たらぜひとも液晶パネルを見せてもらおうと待っていたが、残念ながら来ることはなかった。単なるハーレーだけならたくさんやって来るのだが液晶がないと見せてもらう意味がない。
阿寒湖畔を出発してもしばらくは平坦な地形が続く。このあたりは阿寒湖が近いはずなのだが国道からは阿寒湖がまったく見えない。阿寒湖を見るのはハードルが高い。車やバイクから阿寒湖を見るためには道沿いからは見ることができず、有料駐車場に車を止めるしかない。こんな有料駐車場に車を止めない限り湖が見えないのは阿寒湖だけだ。摩周湖でさえ裏摩周展望台や第三展望台は無料だというのに。 私は2010年にここ阿寒湖に来た時にも悪態をついていたが阿寒湖はどうもホテルへの宿泊客を最優先していて通りすがりの観光客には冷たい。阿寒湖の美しさを見てもらうなら湖畔に道の駅を作ればいいのだ。もっともこの周辺は阿寒摩周国立公園に定められているので容易に開発できないという事情があるのかもしれない。
国道241号線が阿寒湖を外れると急な下り坂が待っている。そして国道240号線との分岐付近で最も標高の低い389mまで下がる。これから標高754mの氷山峠に登るので370mほどの登りになる。そして阿寒湖畔から6kmほどは平坦な地形が続いたが国道240号線との分岐を1kmほど過ぎたところから登りが始まった。 国道240号線の氷山峠は登りの区間が10kmほど続く。勾配はほとんど一定だが、直線区間は比較的緩やかでカーブの続く区間は勾配6%程度。そして双湖台から先は緩やかになり双岳台の手前で頂上になる。2004年と2008年の2回この氷山峠をいずれも同じ方向から登っておりこれで3回目になるのでだいたいの感じは覚えている。登り始めてから頂上までで1時間30分と言ったところだろう。 この氷山峠の登りはじめ付近でソロのチャリダーとすれ違った。彼は雨のフル装備だったのでこの先は雨かもしれない。ここまでキャンプ場出発からずっとレインスーツを着ずに走っていたが、氷山峠を登っていくと予想通りやがて霧雨となった。仕方なく私は荷台で乾かしていた洗濯物とフロントバッグの上のツーリングマップルをバッグにしまい、レインスーツを着て走ることにした。 静かな場所で自転車を走らせると気になることがある。それはペダルをまわすとある特定の場所で異音がするのだ。明らかにペダル(クランク)の位置に依存しているので、最初はチェーンリングを固定するボルトとチェーンフォールプロテクターが干渉しているのだろうくらいに思っていた。しかしある日に音鳴りを改善してやろうとチェーンリングやクランク周りのあたりを徹底的に調べてみたが、どう見ても当たっている場所はない。どうもBBの中で音がしているようだという結論に達してしまったが、さすがにカップ&コーンのBBの中まで整備することができず、そのまま北海道に来ることになった。まあ北海道自転車ツーリングの間は大丈夫だとは思うが、帰宅したら再度徹底的に調べる必要がありそうだ。 12時40分に標高685mの双湖台に到着。展望台に自転車を持ち込んで写真を撮る。ここからはパンケトーとペンケトーという湖が見えるはずだったがあいにくの天気でペンケトーしか見えなかった。この駐車場には自衛隊の車両が多数止まっていて若手の隊員が駐車場入口で誘導係をしていた。雨の中大変だろうけど私に比べたらまだマシな方だろう。
13時ちょうどに標高754mの双岳台に到着。あいにくの雨で雌阿寒岳と雄阿寒岳は全く見えなかった。この双岳台はよくわからない。この氷山峠は2004年と2008年の2回登っている。2008年は今日と同じ雨で何も見えなかった。2004年は晴れていたが、双岳台からは雌阿寒岳と雄阿寒岳がほとんど見えず、その手前から見えたような気がする。 雨が降っていた事もあり写真だけ撮影するとすぐに双岳台を出発。ここからはひたすらヘアピンカーブの連続した急な下りをどこまでも下り続ける。勾配のきついところは8%程度だがカーブの連続なのでブレーキは欠かせない。頂上から少し下ると霧が出てきた。最初はそれほどでもなかったが、やがて視界は100mくらいまで落ちてきたので追突されないようにリアのフラッシングライトまで点滅させて走る事にした。 ヘアピンカーブの連続なのでブレーキを酷使する事になり、さらに雨が降っていた事からブレーキシューがあっと言う間にすり減っていく。北海道自転車ツーリングの直前にブレーキシューを新品に交換しておいて正解だった。交換していなかったら今頃ブレーキシューがすり減ってなくなっていた事だろう。こんな道を10kmも下り続けるので地獄の底まで落ちていくような感覚だった。 気温が低いせいもあるが峠の下りはペダルをまわさないので体が発熱せず風で体温を奪われる一方なので寒い。それもあって峠の下りはレインスーツを着ているが、今日はレインスーツを着てもまだ寒く、普段開けたままにしている脇の下のピットジップを初めて閉めて走る事にした。
私は膝の痛みから、もう旅を続けることはできないのではないかと考え始めていた。その場合、今日は弟子屈の桜ヶ丘森林公園キャンプ場に泊まり、明日は多少無理してでも美幌峠を越えて女満別に行き、明後日の飛行機で帰る。これなら3日前倒しで帰ることができる。予想外の雨降りでしかも膝まで痛かった私は、ついつい弱気な事を考えていた。 この氷山峠の下りでは後ろから車に追い越される事が少なかった。なぜだろうと考えていたらそれは自衛隊車両の存在だった。今日はこの氷川峠を多くの自衛隊の車両が私と同方向に走っている。この自衛隊車両は制限速度を守って走るので多くの一般車両を後ろに従えながら走る事になる。すると自衛隊車両の前には何も車の走らない空間ができるのだ。私は気付かないままこの車の走っていない空間の中、氷山峠を下っていた。 雨と膝の痛みに悲観的になりながら氷山峠の急坂を下っていたが、麓まで下るとやがて雨は止んでしまった。頂上から10kmほど下ったところにパーキングがあったので休憩のために立ち寄った。雨は既に止んでしまったし膝の痛みも自転車に乗っている時は痛いが自転車を降りると日常生活には全く影響がない。これなら無理をすれば北海道自転車ツーリングを続けられるかもしれないと考え始めた。雨が止むと少し前向きに考える事ができるようになってきた。 パーキングで13時55分から10分ほどだけ休憩しておにぎりを食べる。峠の下りで寒かった事もありどうしても小便がしたくなって仕方なく物陰で済ませる。この頃には雨が完全に止んでしまってもう降りそうな気配もなかった事から、ここからはレインシューズカバーを外しレインスーツも脱いで走ることにした。それだけでなくフロントバッグの上にツーリングマップルを広げ、荷台にはまだ乾いていない洗濯物まで広げで走る事にした。
膝の痛みがなくなると雨が止んだ事もあって先ほどまでの鬱な気分はどこかに吹き飛び、やはり予定通り多和平まで向かおうとする考えがフツフツと湧いてきた。我ながら現金なものだ。そして雨程度で容易に計画を変更し楽な方に逃げてはいけないと実感する。 どこまでも直線の続く国道241号線を東に走り続けると、14時30分に弟子屈の町に到着した。国道241号線はバイパスで弟子屈市街を迂回するため、コンビニに寄ろうと国道241線道を逸れて町中への道に入ることにした。 ここから先はキャンプ場までコンビニがなく、かつ明日も昼過ぎに到着予定の標津まではコンビニがないので、明日の昼までの行動食を買い込む必要がある。普段購入している夕食のカップ野菜もそこまでゴミを持ち運ばなければならないのでパス。その代わりにお酒を割るためのガラナだけはしっかりと買っておく。さらにお腹が空いていたし、この先多和平まで2時間ほどかかるのでカルボラーナを買って店の前で食べた。このコンビニは桜ヶ丘森林公園キャンプ場に近く想い出深いコンビニだ。そう言えば氷山峠を下っていた時は桜ヶ丘森林公園キャンプ場に逃げ込もうとまで考えていたが、もうその考えはまったくなくなってしまった。
ふと気になったのだが、2日目と3日目あたりでは、後輪のブレーキのケーブルがフロントバッグと干渉していてブレーキレバーを握ると手を離しただけではレバーが戻らずにブレーキを引きずってしまい、レバーを手でリリースしなければ戻らなかった。しかしいつの間にかケーブルとフロントバッグの干渉がなくなったようでブレーキは普通にかけることができるようになった。 しかしそれとは別にリアのシフトレバーのシフトダウンが固くなり、シフトレバーを押しても元に戻らなくなってしまった。シマノのSTIではシフトダウンする際にブレーキレバーごと押し込む。強く押し込めば2〜3段まとめてシフトダウンできるのだが、まとめてシフトダウンするとそのレバーが元に戻らなくなり、レバーを元の位置に手で戻さなければならなくなった。まあ1段ずつシフトダウンする分には元に戻るので問題ないが、これも帰宅後に調整が必要なようだ。
弟子屈の町から多和平までは20kmほどなのであと2時間と言ったところだろう。しかしこの国道243号線の弟子屈と虹別の間には標高249mの丘越え… と言うより名もない峠越えが待っている。弟子屈の標高が100m弱なので実際の登りは標高で150m程度なのだが、ここまで3つの大きな峠を越えてきた身には厳しい。それでも頑張って峠を登り続けた。 太陽の光を浴びながら走るのは気持ちのいいものだ。今日まで5日間、ずっと曇りの中を走っていたのですごく新鮮に感じる。いつもだったら太陽が出ると暑くてたまらないのだが、今はおそらく20℃くらいで太陽の光を浴びてちょうどいいくらいだ。峠の登りではあるがそんな快適なツーリングを続けていると峠の頂上を迎え今度は下りが始まる。しかし下りは標高差50mほどを4km走っただけで終わり、虹別の手前に到着した。
そしていよいよ道道1040号線も外れて多和平に向かう。が、私は1本道を間違えて曲がってしまった。本来であれば「多和平」と書かれた看板のところで曲がるはずなのだが、その1本手前の道からバイクがたくさん出てきたのでこれが多和平への道かと間違えて入ってしまったのだ。しかしこれは多和平に裏から入る道で、この道でもたどり着けるだけでなく、こちらの方が眺めがよいということを初めて知った。おかげでここでも写真撮影を繰り返した。
今年はコンビニによる事のできなかった初日を除いて、すべて寝酒のウイスキーで割るためにガラナを買っており、毎夜ウイスキーをたくさん飲んでいる。今日で5日目だが早くもウイスキーがなくなりかけていた。まだ少しだけ残っているが明日の分はもうなさそうだったので、明日はキャンプ場近くのコンビニでウイスキーのボトルを購入するとしよう。それにしても700ccほど持ってきたはずだから1日平均130ccほど飲んでいる計算になる。少しペースが早すぎる気もするが、おかげで夜ぐっすりと寝られる。 ポメラがなかなか表示せず旅の日記を書くスタートが遅かったものの、どうにか22時30分には書き終えることができた。多和平キャンプ場に泊まるのは2004年と2007年に続いて3回目、10年ぶりとなる。ここは夜かなり冷え込むので防寒対策は欠かせない。さて何を着ようか考え込んでしまう。レインスーツでも着て寝るか? 今日は標高517mのカネラン峠と標高647mの足寄峠と標高754mの氷山峠の3つの峠を越え、今日1日の獲得高度は1400mほどとなった。1日でこれだけ登ったのは久しぶりだ。1日の獲得高度が1000mを越えたのは2014年にもあったが、1400mというのは2013年の4日目に標高748mの新見峠と標高832mのチセヌプリ峠と標高489mの樺立峠を越えて1500mも登った時以来だ。しかしこの時は距離をそれほど走らなかったが今日は116kmも走っている。 さて明日はどうするかだが、膝の痛みは氷山峠を登っている頃は北海道自転車ツーリングを中断しなければならないかと思うほどだったが、それ以降は何ともなくなった。これだったら引き続き走れそうな雰囲気だが、明日だけは無理をせずに様子見する事にしよう。明日は開陽台と野付半島を予定しているが、天気が晴れないようなら曇りの開陽台は何度も訪れているので開陽台は断念する方がいいように思われる。 今日はポメラが何とか使えたが、だんだんと液晶が表示しなくなってきているので、明日はそろそろ本気でノートを買った方が良さそうだ。明日の宿泊予定のキャンプ場は別海ふれあいキャンプ場だが、ここはコンビニが近いので、もしポメラが表示しないようであればコンビニに走ってノートを買ってくるとしよう。
やる事もなくなったので22時30分には就寝することにした。このキャンプ場、宿泊している人の数は多いが騒ぐ人はほとんどいなくて20時を過ぎると静まりかえってしまった。テントの中に1人でこもっていると、まるでこの世の中に自分1人しかいないような錯覚にとらわれる。そして今夜は寒くなりそうだったが、とりあえずシャツにジャージだけといういつもの服装でシュラフのドローコードを絞って顔だけ出して寝る事にした。
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